プロフィール

東京ほくと医療生活協同組合 王子生協病院

東京都北区豊島は町内に荒川と隅田川が流れる住宅街である。隅田川は豊島橋の上流300メートルほどの「天狗の鼻」と呼ばれる場所で大きく蛇行するが、そこには鎌倉時代から「六阿弥陀の渡し(豊島の渡し)」があった。かつては六阿弥陀詣の人で賑わっていたと伝わるが、現在は綺麗に整備され、ジョギングやサイクリングを楽しめる川岸になっている。

王子生協病院は全日本民主医療機関連合会(民医連)に加盟する病院で、急性期一般病棟47床、地域包括ケア病棟45床、緩和ケア病棟25床、回復期リハビリテーション病棟42床の159床を備える。2013年から無料低額診療事業を開始し、「地域まるごと健康づくり」に努めている。

今回は王子生協病院の今泉貴雄院長にお話を伺った。

病院外観
今泉 貴雄 院長 プロフィール

1963年に埼玉県羽生市で生まれる。1988年に新潟大学を卒業後、王子生協病院に入職する。1999年に豊川通り診療所所長に就任する。2014年に王子生協病院院長に就任する。日本神経学会専門医など。

今泉貴雄院長

沿革

王子生協病院
1948年
労働者クラブ診療所(王子生協病院の前身)を開設する。
1949年
労働者クラブ生協(東京北部医療生協の前身)を設立する。
1950年
守る会診療所(鹿浜診療所の前身)を開設する。
1951年
峡田診療所(荒川生協病院の前身)を開設する。
1952年
荒川生活協同組合を設立する。
1955年
足立保健生活協同組合を設立する。
1956年
労働者クラブ生協付属病院となる。(25床・王子生協病院前身)
1968年
王子生協病院に名称を変更する。
1973年
北診療所(北病院の前身)を開設する。
1974年
北病院を開設する。
1975年
荒川生協病院を開設する。
1979年
東京北部医療生活協同組合を設立する。
1987年
王子生協病院を増改築し、149床となる。
1988年
足立保健生協(鹿浜診療所)と合併する。
 
赤羽東診療所を開設する。
1993年
生協浮間診療所を開設する。
 
荒川生協汐入診療所を開設する。
1994年
王子生協病院に歯科を開設する。
 
荒川生協虹の訪問看護ステーションを全国の医療生協として初めて開設する。
1995年
阪神淡路大震災に医師、看護師などを派遣し、医療支援を行う。
1996年
往診専門診療所である豊川通り診療所を開設する。
1997年
訪問看護ステーションたんぽぽを開設する。
 
医療法人社団北病院と合同する。
1998年
王子訪問看護ステーションを開設する。
 
十条訪問看護ステーションを開設する。
 
江北生協診療所を開設する。
 
往診専門診療所である北病院付属診療所を開設する。
1999年
西日暮里訪問看護ステーションを開設する。
 
荒川生協病院が35床の療養病床に移行する。
 
ヘルパーステーション虹を開設する。
2000年
北病院に歯科を開設する。
 
ヘルパーステーションかたくりを開設する。
2001年
東京北部家庭医療学センターを開設する。
 
荒川生協と東京北部医療生協が合併し、東京ほくと医療生活協同組合を設立する。
2002年
北足立生協診療所を開設する。
 
ヘルパーステーションすまいるを開設する。
2003年
ヘルパーステーションかたくりを開設する。
2004年
ヘルパーステーションかたくり浮間を開設する。
 
ヘルパーステーションかたくり王子を開設する。
 
荒川生協病院の療養病棟を廃止し、診療所とする。
 
北病院の2階病棟を一般病棟から療養病棟へ変更する。
2005年
短期入所施設あらかわ虹の里を開設する。
 
王子生協病院の2階病棟を一般病棟から療養病棟へ変更する。
2006年
北病院の療養病棟を廃止し、生協北診療所とする。
 
療養病棟から転換し、老人介護保健施設ほくとはなみずきを開設する。
 
ヘルパーステーションかたくり、同かたくり王子を統合し、ヘルパーステーションのぞみとする。
 
臨時総代会で王子生協病院の現地建替えの方針を決定する。
2007年
短期入所施設けやきを開設する。
 
歯科を統合、新築移転し、生協王子歯科とする。
 
ヘルパーステーション生協浮間を廃止する。
2008年
王子生協病院を158床に増床する。
2009年
通常総会で王子生協病院の現地建替え計画を決定する。
2010年
新病院の現地建替え第1期棟建設工事を開始する。
 
王子生協病院に電子カルテを導入する。
 
地域ケアセンターはけたを開設する。
 
日本医療福祉生活協同組合連合会(医療福祉生協連)が設立され、加盟する。
2011年
認知症対応型グループホームほくとひまわりの家を開設する。
 
王子生協病院第1期棟(111床)が完成し、診療を開始する。
2012年
都市型軽費老人ホームほくと西尾久虹の家を開設する。
 
鹿浜診療所デイサービスを廃止する。
 
デイサービスセンターなでしこを開設する。
2013年
ヘルパーステーションすまいるを廃止する。
 
短期入所施設あらかわ虹の里を廃止する。
 
短期入所施設けやきを廃止する。
 
老人介護保健施設ほくとはなみずきを53床に増床する。
 
王子生協病院が全館オープンし、177床に増床する。(一般2病棟、障害者病棟、回復期リハビリ病棟)
2014年
王子生協病院に北区で初めてとなる緩和ケア病棟をオープンする。
 
王子生協病院の一般1病棟に転換し、159床となる。
 
豊川通り診療所を廃止し、王子生協病院在宅医療部を新設する。
 
王子生協病院が日本医療機能評価機構認定病院となる。
2015年
王子生協病院が無料低額診療事業を開始する。
 
東京ほくと医療生協が第二次中期計画を策定する。
2017年
老人介護保健施設ほくとはなみずきを廃止する。
 
鹿浜診療所に通所リハビリ部門を開設する。

王子生協病院の歴史は戦後間もない1948年に設立された労働者クラブ診療所から始まった。

「労働者クラブ診療所の場所までは分からないのですが、現在地の近くだと思います。地域の方々の『地域に安心してかかれる医療機関を作りたい』という運動のもとにできた診療所です。それがのちに病院になっていったという経緯ですね。」

1987年には増改築を終え、新しい病院が建った。今泉院長が入職したのは1988年のことである。

「戦後から1960年代、70年代となってくるにつれ、医療情勢や地域住民の層が変わっていきました。高度経済成長のもとで地域に医療機関が次々に建てられ、大学病院なども開設されました。当院が1987年に新しい病院になったときは149床でしたが、そのぐらいの小さな病院でも外科の治療をしていたんです。私は1988年に入職し、神経内科を専攻しましたが、循環器科や呼吸器内科などにも専門に特化した医師が在籍し、地域住民のニーズに合わせて医療も成長する時代でした。」

しかし2000年代に入ると、医療ニーズも大きく変化した。

「それまでの病院完結型の医療から地域完結型の医療へと変わりました。この規模の病院ですと、地域の医療情勢に左右されてしまう面がどうしてもありますが、根本的には運動体として、地域住民の要望に応え、暮らしや健康を守る視点を持つという理念は引き継がれています。」

2013年には無料低額診療事業を開始した。

「厳しい状況ではありますが、差額ベッド代を取らないことに加え、無料低額診療事業も始めました。そして、地域の色々な場所に医療の場を作っています。もともと自分たちの診療所を作りたいという運動体ですから、医療生協活動の中で支えていただきながら、病院の運営をしています。」