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川又 達朗 院長プロフィール
1957年に東京都文京区に生まれ、渋谷区で育つ。1984年に日本大学を卒業後、日本大学脳神経外科に入局する。1988年に日本大学脳神経外科助手に就任し、日本大学医学部附属板橋病院に勤務する。1988年に大宮医師会病院(現 さいたま市民医療センター)に勤務を経て、1989年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校神経外科に勤務する。1991年に日本大学に有給助手として帰任し、日本大学医学部附属板橋病院に勤務する。1992年に日本大学脳神経外科医局長、1995年に日本大学脳神経外科外来医長、病棟医長を経て、1999年に駿河台日本大学病院脳神経外科に病棟医長として着任する。2001年に日本大学医学部附属板橋病院脳神経外科教育医長、2002年に日本大学脳神経外科講師に就任を経て、2004年に日本大学脳神経外科助教授に就任する。2006年に日本大学脳神経外科部長に就任する。2007年に日本大学脳神経外科准教授に就任を経て、2008年に日本大学脳神経外科教授に就任する。2008年に東京都文京区におとわ内科・脳神経外科クリニックを開業する。
◆ その他経歴
日本脳神経外科学会専門医、日本アメリカンフットボール協会(JAFA )医科学委員、日本神経外傷学会理事、日本臨床スポーツ医学会評議員など。
東京都文京区にあるおとわ内科・脳神経外科クリニックは東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅から徒歩7分、護国寺駅からは徒歩8分の音羽通り沿いに位置する。川又達朗院長は日本大学脳神経外科の教授を務めるなど、臨床、研究の最前線に立っていたキャリアを持つ。クリニックが入居するビルはご実家が所有するもので、ビルを建て替えが決まったと同時に開業を決心したという。開業にあたってはこれまでの専門を活かした脳神経外科と慢性疾患の管理を中心とした内科を標榜し、2008年の開業以来、患者数は順調に推移している。
今月はおとわ内科・脳神経外科クリニックの川又達朗院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
家族にも、親戚にも医師はおらず、祖父が大工で、父が銀行員という家庭で育ちました。父が私と弟に「事務屋は俺一人でいい。お前たちは手に職をつけろ」と言っていたことと、高校時代に理系の友人が多かったので、彼らの影響を受け、私も漠然と外科医に憧れたという感じですね。弟はゼネコンに勤務しているので、祖父からの隔世遺伝なのかもしれません。
◆ 専門を脳神経外科に決められた経緯をお聞かせください。
私は性格が大雑把なので、外科向きなんですよ(笑)。大学の同級生を見ても、研究好きの人は内科系ですし、私のようなタイプは外科にいますね。4年生のときから本格的な医学教育が始まり、5年時にはポリクリがありましたが、そこで脳神経外科は活気があるなという印象を受けました。日大の脳神経外科は特色もあり、厳しそうでしたが、大学に残るからにはそういう診療科でトレーニングを積むことに意味があると思ったんです。消化器外科も考えたのですが、当時はCTが出てきた頃で、それまで「頭の病気は治らない」と言われていた風潮が大きく変わろうとしていた時代でした。進歩しつつある治療の現場にいられることや脳神経外科独特のアカデミックな雰囲気に惹かれ、脳神経外科に入局を決めました。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
遊ぶときは遊んでいましたが、勉強もしましたよ。医学部は将来の目的が明確な学部ですから、勉強したことが将来の自分のためになります。特に4年生から6年生にかけては頑張っていましたね。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
高校時代はアメリカンフットボールをしていましたが、大学には部がなかったので、大学ではヨット部に入りました。江の島や館山の海に行くことが多かったですね。夏は50日間の合宿を組むなど、かなり真面目に活動していました。東医体でもそれなりの成績でしたよ。先輩、後輩とも仲が良く、つい先日も皆で食事会を開催しました。
◆ 脳神経外科に入局されて、いかがでしたか。
私たちの世代は脳神経外科医としては第三世代にあたります。医師になった当初からCTや手術用の顕微鏡が備わっていた世代なんですね。したがって、脳神経外科医という専門家としての教育を最初から受けることができました。第一世代、第二世代にあたる先生方は診療の腕を磨くためにずっと試行錯誤をされていたのですが、ようやく余裕ができた頃で、しっかり教育していただけたと感謝しています。医長クラスの先生方は手術も多く、私も早い段階から手術を研修させていただきました。そしてMRIが登場して、現場はますます活気づきましたね。いい時代に脳神経外科医としての研鑽を積めたと思っています。
開業の契機・理由
◆ 開業を決心された理由をお聞かせください。
勤務医として多くの手術を行い、充実していましたので、開業を考えたことはありませんでした。ところが、祖父が持っていたビルを父が継承していたのですが、今後の相続税対策のために建て替えることになり、そのビルで開業してはどうかという話になりました。大学では准教授でしたが、教授になりたいと強く願っていたわけではありませんが、結果として、退職直前に教授職に就きました。繰り返しになりますが、教授就任は私自身の望みや強い意志はなかったです。それで、医師人生の後半は、これまでのように組織のために働くのではなく、「個」や「家」のために自分の能力を使おうと考えました。
◆ 開業する地域、物件を選んだ理由をお聞かせください。
ここはもともと祖父母が住んでいて、その後は両親が住んでいましたので、開業地を選ぶという苦労はなかったです。6階建てのビルでしたが、それを取り壊し、10階建てのビルを新築しました。1階から3階までがクリニックで、4階から8階は賃貸マンション、9階と10階が両親の住居です。私は大学に近い板橋に住まいを構えていましたので、今も自宅から通っています。弟がゼネコンに勤務していますので、建築や内装などのトータルなコーディネイトは弟が取り仕切ってくれました。2006年の年末に取り壊しが始まり、2007年から新築工事が始まりました。そして2008年6月に完成し、7月1日に開業しました。
◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことでしょうか。
経営面ですね。特に、保険を含めた会計の流れが全く分からなかったことです。そういった勉強は大学ではほとんど学ぶ機会がありませんからね。そこで医療系の会計事務所や開業コンサルタントに質問しながら、開業準備を進めていきました。電子カルテがどういう働きをすれば、総括して保険請求に至るのかということも疑問でした。今となっては、ほとんどのことを電子カルテがしてくれて、情報を受付に送っていますので、私はレセプトチェックで済んでいますが、最初は開業医が全てのことを知っておかないといけないのではないかと不安だったんです。実際は開業医の知識がなくても、うまくいくことが多いですね。
◆ 医療設備についてはいかがですか。
機種の選定についてはどういったレベルの機械をどれだけ揃えるかということ、コストパフォーマンスはどうなのかといったことに悩みました。業者は「あれもこれも」と勧めてきますし、私も色々と揃えたくなってしまいましたね(笑)。しかし、減価償却を考えると、どの程度の来患数があるか分からない以上は欲しいものを全て買うのは無理です。多くの業者と面接し、「何人の患者さんが来たら、ペイします」といったデータも見ましたが、来患数の見当がつかないですから、難しいですね。
そこで、他院との差別化を図る意味でも「一点豪華主義」にしようと思い、CTの導入に踏み切りました。CTにもシングルとマルチという選択肢があります。マルチは保険点数が高く、収益性の点からは優れていますが、メンテナンス費用も高いです。一方、シングルは開業医レベルでは十分ですし、患者さんもお安い費用で済むといったメリットがあります。コストとパフォーマンスのバランスで勝るシングルに決めました。
エコーに関しても、予算立てのときには計算に入っていたのですが、買わなくて正解でしたね。CTと被ってしまいますし、エコーは時間がかかるので、効率が悪いです。高い機械はランニングコストも高くつくので、必要に応じて買っていくのがいいのではないでしょうか。
◆ スタッフ集めはいかがでしたか。
看護師は人材会社を利用して募集をかけたところ、多くの応募があり、その中で3人を採用しました。開業して3年ですが、今もその3人が勤めてくれているのは嬉しいですね。常勤の受付は信頼できる人にお願いしたかったので、知り合いをヘッドハンティングしました。ところが、1年後に寿退職してしまい、2代目のスタッフも1年後に寿退職してしまったんです。ただ、開業して2年経っていましたので、非常勤のスタッフも慣れてきており、彼女たちが3代目の常勤スタッフをリードする形で円滑に業務が行われています。スタッフ集めには苦労があるクリニックが少なくないそうですが、私は恵まれたと思っています。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
開業にあたっては、専門の脳神経外科だけでなく、内科も標榜することにしました。脳神経外科は単発の患者さんが多いですが、内科は慢性疾患の管理が中心となり、リピーターがいらっしゃいますからね。神経内科の患者さんは「あのクリニックは頭を診てくれるらしい」という口コミで自然に集まりますから、脳神経外科を全面に出すことなく、「頭しか診ない」と言われないように、2つの車輪でやっていこうと考えたんです。専門性を持ちつつ、プライマリーケアや糖尿病などの生活習慣病の管理まで幅広く診ていますので、このスタイルで良かったと思っています。
◆ 経営理念をお教えください。
「Simple is best」です。無駄を省き、新しいものを導入していく姿勢を貫いていますし、定期的な見直しも行っています。そして、患者さん第一ということですね。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
「For the patients」が基本理念です。スタッフには患者さんの要求、要望をしっかり聞くように話しています。それには自ら規範を示さないといけないということをいつも自分に課しています。ただ、私どもの看護師は優秀で、私の姿勢をよく感じとってくれていますので、あれこれと教育する必要はないですね。私のスタイルを踏襲してくれています。スタッフとは不定期に面接を行って、個別に話し合う機会を作っています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
開業当初は地域での認知度を高めるために、電柱や郵便局で使う封筒などに広告を出稿していましたが、最近は認知も広まってきましたので、取り下げています。私どものクリニックが面している音羽通りは早稲田と上野を結ぶ都営バスが走っているのですが、最寄のバス停に停車するときの車内アナウンスの広告は続けています。
しかし、何よりも力を入れているのがホームページです。CTを撮る患者さんの7割から8割の来院動機がサイトです。最近では千石や茗荷谷など、文京区の東側からの患者さんや有楽町線沿線の他区からの患者さんが増えてきました。CTは最高で月に160人、平均して130人ほどの患者さんがいらしています。震災後は少し減った感がありますが、お蔭様で減価償却もできて、いい滑り出しでしたね。サイトでは「早くCTを撮って、早く結論を出す」というメッセージが伝わっていくような工夫をしています。
院長のプライベート
開業後の3年間は仕事をしっかりしようと考えていましたが、3年経った今ではオフをはっきり意識するようにしています。まずは休息を取ることに多くの時間を使っていますね。しかし、これからは好きなことに時間を作っていきたいと思っています。
開業に向けてのアドバイス
大学は閉ざされた環境ではありますが、アカデミックの持つ魔力があります。私も非常に楽しかったのですが、一生、大学の仕事を続けるのかどうかを考え、違う世界も見てみたかったので、「箱」の外に出てきました。勤務医ですと、医業は人生の中でかなりのウェイトを占めてしまいますが、開業すると、少し解放された気分になります。そこで、どういう立場で医業を考えるのか、ご自身のライフプランの中に医業をどう組み込むのかをしっかり掘り下げて、パラダイムシフトを実現させてほしいですね。開業は目標ではなく、手段です。クリニック経営はリスクヘッジがしにくい形態ですし、収益を上げていくためには院長自らが働くしかありません。3年は必死に頑張るべきだと思います。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
おとわ内科・脳神経外科クリニック |
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院長 | 川又 達朗 | |
住所 | 〒112-0013 東京都文京区音羽1-5-17 |
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医療設備 | CT、レントゲン、ホルター心電図、電子カルテ(PACS) | |
スタッフ | 7人(院長、看護師3人、常勤受付1人、非常勤受付2人) | |
物件形態 | ビル診 | |
延べ床面積 | 約75坪 | |
敷地面積 | 約30坪 | |
開業資金 | 6,000万円(クリニック部分のみ、土地は継承) | |
外来患者/日の変遷 | 開業当初 20名→3カ月後 30名→6カ月後 40名→現在 60名 | |
URL | http://www.otowa-c.com/ |