古家内科医院
古家 正 院長プロフィール
1969年に東京都三鷹市に生まれる。1995年に福井医科大学(現 福井大学)を卒業後、1995年に東京逓信病院内科研修医となる。1998年に東京医科歯科大学呼吸器内科を経て、2003年に横浜赤十字病院呼吸器内科に勤務する。2006年に東京医科歯科大学呼吸器内科に医員として帰任し、2006年に東京医科歯科大学呼吸器内科助教となる。2007年に東京医科歯科大学呼吸器内科外来医長に就任を経て、2008年に東京医科歯科大学呼吸器内科病棟医長に就任する。2010年に古家内科医院の院長に就任する。
◆ その他経歴
日本呼吸器学会専門医、日本内科学会認定内科医、東京医科歯科大学非常勤講師など。
横浜市港南区は1969年に南区から分区して発足した区で、当時は95000人の人口であったが、1970年代に野庭団地、港南台団地といった巨大団地が造成されたことで爆発的に人口が伸び、現在は22万人を抱える住宅都市である。戦後は大岡川沿いに捺染工場が立ち並び、横浜の名産品の一つであるスカーフの生産が盛んに行われていたという。
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけては横浜市営地下鉄ブルーライン、南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号との交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。
古家内科医院は1981年に古家正院長のお父様である古家堯理事長によって開設された。横浜市営地下鉄ブルーライン上永谷駅から徒歩10分の場所である。そして、2010年に古家正院長が継承し、大幅なリニューアルを行った。古家院長の専門は呼吸器内科で、現在も喘息を中心とした患者さんが来院している。
今月は古家内科医院の古家正院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
父が医師で、父の仕事ぶりを見ていたことが大きいですね。父は私が小学6年生のときに開業し、自宅と診療所が隣接していましたので、実際の職場は見たことがありませんが、医療は身近な存在でした。したがって、自然に選択したという感じでしょうか。両親は多分、喜んでくれていたと思います(笑)。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
最初は勉強しなかったんですが、上級生になって臨床実習が始まってから、真面目に勉強するようになりました。最近、朝日新聞に福井大学の救急部、総合診療部の寺澤秀一教授が大きく取り上げられていましたが、私が学生の頃は福井県立病院にいらっしゃったんですよ。私も福井県立病院で臨床実習をしたことがあり、寺澤先生に情熱的なご指導をいただいたことを思い出し、懐かしかったですね。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
モータースポーツが趣味でした。大学には自動車部がなかったので、地域のクラブに入って、かなり熱中していましたよ。中古の競技車を買い、アルバイトをしながら、車いじりもして、ジムカーナの公式戦やレースに出ていました。レースで表彰台に乗ることがあれば、自分をすごいと思い、結果が悪かったときにはさらに燃えるという日々でしたね(笑)。
◆ 研修を東京逓信病院でなさっていますが、この理由をお聞かせください。
患者さんとじっくり向き合いたかったので、内科医になることは学生時代から決めていました。東京逓信病院は内科以外の科も幅広くローテーションできることに良さを感じて、お世話になることにしました。
◆ 専門を呼吸器内科に決められた経緯をお聞かせください。
当時の東京逓信病院での研修は最初の2年間は内科全般を学び、3年目に専修医として専攻を決めないといけないシステムになっていました。呼吸器は感染、免疫、肺循環など広い範囲の疾患を診ることができるので興味がありましたが、呼吸器内科と循環器内科の間で最後まで迷いましたね。しかし、循環器は急性期がメインなのに対して、呼吸器は患者さんと長くお付き合いする診療科なので、私の性格に合っているのは呼吸器だなと思いました。
◆ 東京医科歯科大学に入局しようと思われたのはどうしてですか。
卒後4年目になるときに、東京逓信病院の上司から勧められたのがきっかけです。大学側から強く勧誘されたわけではなく、自分自身もよく分からないまま入局しました(笑)。ちょうど呼吸器内科が独立し、吉澤靖之教授が初代教授になられた頃です。吉澤教授には本当によく面倒を見ていただきました。東京医科歯科大学は他大学出身者への差別は一切ありませんし、とてもいい環境でしたよ
◆ 大学での勤務医時代を振り返っていかがですか。
充実した日々を過ごせていたと思います。東京医科歯科大学の呼吸器内科はこれまでの大学のイメージとはかなり異なっていました。大学と言いますと、研究ばかりというイメージがどうしてもありますが、吉澤教授は臨床をかなり重視しておられたんですね。そのうえで研究もしっかりなさっていて、臨床と研究のバランスを保たれるスタンスが良かったです。私も長く大学にいましたので、教育、研究、学会のことなど、大学ならではの仕事も経験してきました。一般病院ではなかなかできないことも多かったので、いい経験ができました。
開業の契機・理由
◆ 古家内科医院の継承を決心された理由をお聞かせください。
兄が継承する予定で、父と2人で診療していたのですが、9年前に急死し、父だけになってしまったのです。私も週に1回、来てはいたのですが、歴史もありますし、ゼロにはできないという思いで、継承することを決心しました。週に1回の勤務の頃も患者さんに頼られ、開業医としての遣り甲斐を感じていましたし、父も高齢になっていましたので、継承するタイミングはベストだったと思います。
◆ 古家院長が移っていらっしゃる前にリニューアルを終えていたのですか。
私が移ってきた方が先ですね。2010年1月に移り、そこから業者と話し合いを重ね、4月から6月にかけて改装していきました。1部屋ずつ改装していったので、待合室もベニヤ張りだった時期がありましたよ(笑)。ゴールデンウィークのときは2週間ほど休診にし、そこで大幅なリニューアルを行いました。レントゲン室の位置はそのままですが、レントゲンは入れ替えましたし、電子カルテも導入しました。
◆ 具体的にはどのような改装をなさったのでしょうか。
診察室を2つにしたのは週に1回、横浜市立大学からの先生に来ていただき、主に糖尿病の患者さんの診療を、また月に1回同じく横浜市立大学からの先生に超音波の検査をお願いしているからです。私が継承する前からお願いしている先生ですので、きちんと診察室を作りました。ほかに大きな改装としては玄関の位置を変え、スロープで上がれるようにしたことですね。内部も全てバリアフリーで、2つの診察室を含め、各部屋を大きくしていること、プライバシーの確保のために防音できるパーティションを設けたことがこだわりです。改装期間中は患者さんにはご迷惑をおかけしたはずですが、何のクレームもいただかなかったことが有り難かったですね。
◆ では、継承するまでにご苦労された点はどんなことですか。
私の場合は既に医院があるところに入りましたので、特に苦労はなく、恵まれていたと思います。しかし、そういう環境をもとに、いかに発展させ、どういう遣り甲斐を持つのかという不安が今もあります。いかにモチベーションを高めていくかということですね。病院ではできない、私どもでしかできないことをやっていきたいと思っています。
◆ スタッフ集めはいかがでしたか。
私が継承する頃は医院の収益が悪化していたのです。以前は経営状態が良好だった時期があり、常勤看護師も3人いたのですが、人件費がマイナスバランスになっていました。そこで、1人が定年を迎えましたので、その常勤看護師1人の枠を非常勤看護師2人で埋めようと思ったんですね。それで人材紹介会社などにお願いをしましたが、1人がなかなか決まらず、かなり時間がかかりました。こんなにも来ないものなのかと思いましたね。
◆ 現在の経営はいかがですか。
人件費を見直し、新患を増やすことが大事だと考えてきましたので、お蔭様で新患も増え、収益も安定しています。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
内科、呼吸器科、アレルギー科を標榜し、せき外来、気管支喘息・せき喘息外来、睡眠時無呼吸外来、禁煙外来などの専門外来を行っています。やはり、せきで来られる患者さんが多いですね。私どもでは診断を確定し、症状ゼロを目標に治療を行っていくことを目指しています。
喘息に関しては吸入指導の際に、向かいの調剤薬局の薬剤師さんとタイアップし、やり方や器具が合っているかなど、チェックシートを用いて患者さんとやり取りを行っていることが特徴です。患者さんはピークフローメーターという市販の専用器具で、最大呼気流量を測定し、「喘息日記」を付けますが、これを医師だけでなく、看護師も見て、患者さんと一緒に管理しています。こういったチーム医療は開業医としては新しい試みではないでしょうか。
また、健康診断、がん検診についても積極的に行っています。港南区の肺がん検診もお受けしていますが、1カ月10人の枠は埋まっています。この検診がきっかけで来院されるようになった患者さんもいらっしゃいますね。
◆ 病診連携については、いかがですか。
済生会横浜市南部病院にはCTをお願いしています。また、横浜市立みなと赤十字病院のぜん息・アレルギー科には喘息の気道過敏性試験でお世話になっています。私も週に1回、横浜市立みなと赤十字病院で専門外来を行い、外来や検査などを担当しています。
◆ 経営理念をお教えください。
患者さんにとって親切であること、最新の診断と治療を行うことです。無駄な検査をして経営を成立させるのではなく、良心的な検査で経営を成立させたいと思っています。それには患者さんの数が必要ですので、今の課題ですね。無駄な支出を省き、スリムな経営を行っていきたいです。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
喘息治療を充実させたいので、病気や治療の説明など、パワーポイントを使って15分ぐらいの勉強会を何回か、行ったところです。看護師だけでなく、事務のスタッフも対象にして、病気について理解してもらうのが狙いです。スタッフからは「勉強になった」と言ってもらっていますので、今後は肺炎などの勉強会もしていきたいですね。
接遇に関しては特に何も行っていません。たまに「患者さんがこう言っていたよ」と伝えるぐらいです。
◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
電柱の広告は父の代から継続していますが、上永谷駅に出していた看板は止めました。今はホームページのほかは自治会の回覧板、住宅地図ぐらいでしょうか。ホームページを見ていらっしゃる患者さんもたまにいますが、基本は口コミです。したがって、患者さんを丁寧に診ることが大切だと考えています。昔からの患者さんが高齢化していますので、新しい患者さんを開拓する必要がありますが、具体的な増患対策については模索中です。
開業に向けてのアドバイス
大学病院の患者さんは大学病院というブランドや大学病院ならではの治療を求めて来院される方が多いのですが、開業医の診療所にいらっしゃる患者さんは開業医個人を信頼して来院されるので、患者さんとの距離がとても近くなります。呼吸器に限らず、様々な疾患の方がいらっしゃいますが、診断が付くと「ありがとう」と感謝されるんですね。そのときは開業してよかったと思いますし、遣り甲斐を感じます。ゼロからの開業は難しい時代になりましたが、資金的な問題をクリアできれば開業する意義はあるでしょう。「いつも診てくださって、ありがとうございます」という患者さんからの声を私ももっと聞けるように頑張っていくつもりです。
プライベートの過ごし方(開業後)
今は趣味は特にないですね(笑)。休みの日には家族で出かけることが多いです。小学2年生の娘がいますので、ピアノやバレエの教室に送り迎えをすることもあります。先日はバレエの発表会があり、楽しく鑑賞してきました。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
古家内科医院 | ||
院長 | 古家 正 | |
住所 | 〒233-0013 神奈川県横浜市港南区丸山台2-34-8 |
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医療設備 | 電子カルテ、デジタルX線画像診断システム、X線撮影装置、肺機能検査装置、心電図、ホルター心電図、簡易型睡眠モニター | |
スタッフ | 7人(院長、常勤看護師2人、非常勤看護師1人、常勤受付2人、非常勤受付1人) | |
物件形態 | 戸建て | |
延べ床面積 | 約60坪 | |
敷地面積 | 約80坪 | |
開業資金 | 2300万円(土地は継承) | |
外来患者/日の変遷 | 開業当初 60名 → 3カ月後 70名 → 6カ月後 80名→現在 90名 | |
URL | http://furuie-clinic.com/index.html |