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ニューシティ大崎クリニック

藤田 実彦 院長

藤田 実彦 院長プロフィール

 1941年に生まれ、東京都目黒区で育つ。1967年に日本大学を卒業後、1年間のインターンを行う。終了後は日本大学第三内科に入局し、消化器病学一般を研鑽すると同時に、主に肝臓病学を専攻。1975年に医学博士号を取得し、1976年に日本大学医学部講師に就任。1980年に東京都目黒区に医療法人社団藤田医院を開院し、現在に至る。2002年に東邦大学医学部客員講師に就任。2004年にニューシティ大崎クリニック院長に就任。日本消化器病学会関東甲信越地方評議員、日本内科学会認定医、日本消化器病学会認定医、日本肝臓病学会認定医など。

 東京都品川区のJR大崎駅は山手線、埼京線、湘南新宿ライン、りんかい線が乗り入れている駅である。駅の東口に直結している再開発地区が大崎ニューシティであり、星製薬や日本精工の大崎工場跡地に、1987年に完成した。その1号館に入居するニューシティ大崎クリニックはがん免疫療法の専門クリニックとして、2004年に開業した。ニューシティ大崎クリニックでは、細胞培養センターというラボを併設して、高活性NK細胞による免疫療法を行っている。これは患者さんの血液から採取したリンパ球の中で、特にがんなどの異常細胞を最初に攻撃する役割を持つNK細胞を大量に培養、増殖し、がんに対する殺傷度を高くしたうえで患者さんの体内に戻して免疫力を高めていく療法である。
 藤田実彦院長は東京都目黒区に藤田医院を開業し、プライマリケアに力を入れていた。しかし、高活性NK細胞療法を専門的に行うため、新たにニューシティ大崎クリニックの院長に就任した。現在は両クリニックを往復しながら、プライマリケアと専門医療を行っている。
 今月はニューシティ大崎クリニックの藤田実彦院長にお話を伺った。


開業に至るまで

病院風景 ◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 祖父や父の背中を見て育ったからでしょうか。祖父は日本政府から委託されて、当時、日本の支配下にあった重慶に同仁医院を開設した医師でした。毛沢東と蒋介石の内乱が始まったとき、同仁医院では負傷した兵隊を公平に診ていたそうです。それが中国政府に評価されたようですね。一方で、祖父は近衛文麿とも親しく、戦線の不拡大を願っていたのですが、日本軍は侵攻を始めました。同仁医院は日本政府から武漢医院に名前を変えさせられましたが、中国軍は昔の恩を忘れず、武漢医院だけは破壊を免れたのです。現在も積極的に中国の方々と交流していますが、一昨年は北京空軍総病院、昨年は北京大学病院にて高活性NK細胞療法についてのプレゼンテーションを行っております。現在、北京大学との共同研究を検討中です。

◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 勉強もしていましたが、スポーツにも熱心でした。卓球部に入り、真面目に活動していましたよ。今、振り返ると、面白い学生時代を過ごしましたね。

◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 卓球部の活動が忙しかったので、ほかにどんな趣味があったかは思い出せないです。卓球部では東医体にも出場し、それなりに活躍しましたよ(笑)。のちに環境大臣になった鴨下一郎先生は卓球部の後輩です。

◆ 卒業後、日本大学第三内科に入局しようと思われたのはどうしてですか。
 消化器の勉強がしたかったからです。消化器は口から肛門までの管の分野と、肝臓、膵臓などの臓器の分野があり、非常に幅が広いです。患者さんを診ていくうえで非常に興味深い症例があることに惹かれました。

◆ 勤務医時代はいかがでしたか。
 外来、病棟業務、そして研究と、非常に忙しかったですね。子どもが寝ている時間にしか帰宅できませんし、子どもと遊ぶこともなかったです。子どもから「どちらのおじさんですか」と聞かれたこともあるぐらいでした(笑)。

◆ 専門を消化器病学、特に肝臓病学に決められた経緯をお聞かせください。
 当時はB型、C型肝炎という言葉はなく、輸血後肝炎と言っていましたが、その治療がメインでした。肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれるように、糖の代謝、蛋白代謝、解毒、コレステロール、胆汁を作るなど、すごい臓器だなと思うようになりました。糖の代謝をとってみても、我々が食べるものの中からグリコーゲンをプールしているのですが、人間がそういった機能を作ろうと思ったら、広大な施設が必要です。でも体内には肝細胞があり、きちんとプールできているんですね。
 そのうち、ブランバーグ博士がオーストラリア抗原がB型肝炎ウィルスと同一のものだとする発表を行い、ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。しかし、血液の中のB型肝炎ウイルスを陰性の人の血液を輸血しても、まだ肝炎は減りませんでした。ほかにもウィルスがいるのではと思っていたら、カイロン社がC型肝炎ウィルスの遺伝子を突き止めたのです。そして、B型肝炎、C型肝炎から肝細胞癌になっていくことが分かり、がんとの接点ができたわけです。
 一方で、免疫細胞がウィルスを抑えていくことも分かってきました。この免疫細胞を用いて肝炎の治療ができないかなと思ったんです。ウィルスを駆除出来れば、がんをもっと治せるかもと期待しました。60歳から70歳ぐらいになると、加齢のために免疫力が落ちます。そして、寿命が伸びた分、今までなかった病気が出てきました。その代表ががんであり、今や2人に1人ががんになる時代です。高血圧や糖尿病はいい薬ができてきましたが、がんはまだまだです。しかしながら、免疫細胞を取り出し、培養して、身体に戻すと免疫力が上がります。高活性NK細胞はがん細胞を殺すと同時に免疫力を上げます、いかに免疫力を上げるかが勝負なのです。

◆ スタインマン博士のノーベル生理学・医学賞受賞も記憶に新しいですね。
 私たちの身体は病に罹らないように免疫で守られています。免疫とは何か、分からない人も多いのですが、免疫には自然免疫と獲得免疫があります。ヨーグルトで自然免疫力を高めるという話も聞きますが、獲得免疫ははしかワクチンで代表されるように、抗原提示細胞が、体内に侵入してきた異物或いは体内に生じた異物を取り込んでその情報をリンパ球に伝える事で得られる免疫反応の事です。スタインマン博士は御自身の膵臓がん細胞を研究の対象としていた樹状細胞に取り込ませる免疫療法で治療していましたが、この樹状細胞が抗原提示細胞なのです。免疫は白血球の中のリンパ球が主な働きを担っています。これまで日本の免疫療法はキラーT細胞が主流でしたが、私どもでは自然免疫の主役であるNK細胞に着目し、がん患者さんを救っていこうと考えました。


開業の契機・理由

病院風景 ◆ 開業を決心された理由をお聞かせください。
 父が開業していましたので、父の跡を継承するための開業でした。大学を出て13年目でしたので、当時としては妥当な時期でしたね。プライマリケアをしっかり行って、適切な病院を紹介していくという役目を果たそうと思っていました。

◆ 最初は目黒区で開業されたんですよね。
 目黒区碑文谷で、東急東横線の学芸大学前駅から徒歩6分の場所です。息子が内視鏡の専門医ですので息子を中心に6人ほどの非常勤医師に来てもらっています。循環器や小児科の医師もいますので、ちょっとした大学病院並みのメンバーですよ(笑)。放射線技師、超音波の技師、栄養指導の管理栄養士も勤務しており、プライマリケアに徹したクリニックとなっています。
 大崎のクリニックには週2日勤務しています。

◆ ニューシティ大崎クリニックの開業を決意された理由をお聞かせください。
 専門が肝臓ですので、藤田医院でもインターフェロンの注射などを行っていたのです。でも、働き盛りの患者さんが多く、学芸大学駅までお昼休みにお越しになるのは大変ですので、便利のいい場所で開業したいと思うようになりました。ここは大崎駅直結で、雨の日でも濡れずに来ることができます。藤田医院はプライマリケアのクリニックとしてそのまま存続させ、こちらで肝臓専門のクリニックを新たに開業しようと思っていました。丁度その時益山先生と知り合いました。
 自治医大の益山純一先生ががんの免疫療法を行いたいとのことでしたので、広い場所が必要だったという事情もありました。益山先生は自治医大の内科で、自己免疫性疾患を担当し、基礎と臨床の両面から免疫細胞の研究を長く行ってきました。その中で、NK細胞の高活性化と大量の培養に成功したのです。そこで、新しいクリニックでは、高活性NK細胞による、がんの免疫療法を全面的に打ち出していくことにしました。

◆ この場所の第一印象はいかがでしたか。
 当時はまだ発展途上でしたがその後、思いのほか発展して、高層ビルがどんどん増え、人の流れも活発になって、驚いています。

◆ 開業するまでにご苦労された点はどんなことでしょうか。
 費用ですね。細胞培養にはお金がかかります。そのため、株主を集め、細胞培養センターを会社にしたのです。ただし、今の日本では株式会社がクリニックを経営することは禁じられていますので、細胞培養センターは併設ではありますが、クリニックとは別組織になっています。株主集め自体は意外に苦労がなく、夢のある仕事だからと、数人の方にご賛同いただけましたので、当初の資金を確保できました。

◆ 内装はどのようなこだわりがおありでしたか。
 設計は松田平田坂本設計事務所におられた増沢亨先生にお願いしました。クリニック専門の設計士さんではなく、あえて一般住宅専門の方にお願いしました。藤田医院の方はクリニックらしからぬ個性的なデザインにしているのですが、こちらはがんの患者さんがメインですので、温かみのある感じを追求しています。結果として、アットホームな雰囲気も出せている仕上がりになり、満足しています。

◆ 医療設備についてはいかがでしょう。
 ラボである細胞培養センターがメインですので、ほかのクリニックのように多くの医療設備を持っているわけではありません。レントゲンも電子カルテもないんですよ。あるのは心電図ぐらいでしょうか。


クリニックについて

病院風景 ◆ 診療内容をお聞かせください。
 高活性NK細胞によるがん治療を専門にした免疫療法専門のクリニックです。活性化リンパ球療法の中でも、免疫細胞の中でがん細胞の初動攻撃に最も威力を発揮するNK細胞に着目し、長年の研究によって驚異的な数の培養と活性化を高める技術を開発しました。患者さんご自身の免疫細胞を、一般の免疫療法を行っている施設より大量に培養します。さらに、がん細胞に対する攻撃力を強化させたNK細胞を体内に戻すことによって、患者さんのがん細胞を殺傷すると同時に全身の免疫力を高め、がんの縮小、再発予防に効果を上げるというものです。

◆ 具体的にはどのような診療の流れなのでしょうか。
 初回のみ6mlから7mlの血液検査用の採血と、30mlから35mlのリンパ球培養用の採血をします。患者さんの状態によって、その後の投与回数分の血液をあらかじめ確保し、凍結保存する場合もありますが、採血した血液からリンパ球を分離し、併設の細胞培養センターで、約100から150億個まで大量に増やします。そして、約2週間後を目安に、再び点滴によって身体に戻します。治療時間は採血に約5分から10分、点滴が約40分から50分ですね。投与は6回を1クールとして、効果を判定します。投与回数や投与間隔は患者さんの状態次第で、細かく決めています。患者さんのご自身の免疫細胞を培養して戻しますので、点滴当日には若干の発熱が見られるケースもありますが、ほかに副作用はありませんし、患者さんに負担がかからない治療であることが利点です。

◆ 対象はどのような患者さんなのですか。
 ご家族が「家族として、何とかしてあげたい」と願う、末期がんの患者さんもいらっしゃいますが、再発された患者さんの方が多いですね。抗がん剤治療を始めるときに、抗がん剤と併用して免疫療法を行うと、成績が良いのです。抗がん剤や放射線治療は白血球が減少しますから、白血球が増えるまで抗がん剤、放射線治療を控え休養します。その間にがん細胞も増殖してしまいます。がんと診断されたあと、私どもでは患者さんの白血球をマイナス196度の状態で保存しますので、抗がん剤治療が始まり白血球が減少して来ましたら溶解、培養、増殖させてから、体内に戻していくんですね。そうすると休薬期間をおかなくてもがん細胞を攻撃出来る事になります。NK細胞の活性化率は50代ですと、20代の約半分に減少して来ています。まして癌になってしまいますと更に活性は低下しています。したがって、免疫力を上げて、がんの再発予防を行うことの重要性を訴えています。

◆ 治療成績について、お聞かせください。
 膵臓がんに関しては、ジェムザールとTS‐1の併用での1年生存率は20%から30%であると、国立がんセンターや海外からの報告にあります。私どもにいらっしゃる患者さんはステージ3、4の方が多いのですが、4回以上の高活性NK細胞療法を行った結果、27例中の1年生存率は63%です。このうち約8割の方が抗がん剤を併用しています。抗がん剤だけと比べてみても、治療結果は2倍から3倍と高く、併用による相乗効果が出ていると言えるでしょう。

◆ 病診連携についてはいかがでしょう。
 癌研、癌センターの他、昭和大学病院、聖路加病院、日本大学病院の他近隣の病院などからご紹介いただくことが多いです。遠くは沖縄、北海道、ソウル等からも来院されます。連携している病院には千葉市のみつわ台総合病院、社会保険横浜中央病院、大田区の松井病院、新大阪がん免疫治療クリニック、みなとみらいメディカルスクエア、私が院長を兼任している藤田医院とも提携して、がん免疫療法を行っています。
 また、私どもまでの通院が困難な方には在宅で治療を受けていただくことも可能です。在宅訪問診療専門の荏原ホームケアクリニックと提携し、荏原ホームケアクリニックの医師や看護師が患者さんのお宅に伺って、高活性NK細胞療法を行っています。

◆ 経営理念をお教えください。
 がんの患者さんをお助けするというのがベースにある理念です。しかし、薬による治療は安くできますが、私どものようなオーダーメイドの治療はどうしても高くなってしまいます。
 また、私どもでは「患者さんの心に寄り添った診療」を目標にしています。治療には患者さん一人に対し、1時間を確保し、患者さんの悩みや相談、治療方針、生活改善のアドバイスなど、納得いくまでお話しします。初回のご相談は無料で行っています。

◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 看護師、事務スタッフは1人ずつですし、慣れているので、特に何も教育しなくても大丈夫です。しかしながら、細胞培養センターにはバイオ技術の専門学校を卒業した培養技術者が4人いますので、細胞培養センターのスタッフには生き物を相手にし、生き物を扱っているのだということの意味を日頃から話しています。患者さんから採血した血液をマイナス196度という状態で保存して厳格に管理し、検査、培養していくわけですから、きちんとした教育が必要ですね。

◆ 増患対策について、どのようなことをなされていますか。
 ホームページのほかは、大学病院との連携を強めることが増患対策だと思っています。しかし、去年、スタインマン教授等がノーベル賞を受賞したことで、先生方も始め一般の方の対応も大きく変わってきましたし、免疫療法に対する理解も進んでいます。この機会に、大学病院の先生方にさらに協力をお願いしていきたいと考えています。


開業に向けてのアドバイス

 特殊な治療は専門職としての遣り甲斐があり、将来性も豊かで、夢も描けますが、プライマリケアを行っていくのは今の医療体系では厳しいでしょう。「開業したら金持ちになる」という考え方は捨てて、ボランティア精神を持たなくてはいけません。マスメディアは盛んに勤務医と開業医の収入格差を取り上げていますが、開業医も真面目にやれば入院患者さんを持っているのと同じで、四六時中、当直をしているようなものなのです。患者さんを治す喜びを感じる姿勢を保つことが大事ですね。


プライベートの過ごし方(開業後)

 今はテニスが趣味で、明治神宮外苑のテニスクラブに2週間に1回程度、通っています。正月、ゴールデンウィーク、夏休みには海外旅行も楽しんでいます。最近、ハワイ大学でプレゼンテーションをする機会があり、そのときは妻も同行して、発表後はハワイでリフレッシュしてきました。


タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

ニューシティ大崎クリニック
  医師 益山 純一(ますやま じゅんいち)
  住所 〒141-0032
東京都品川区大崎1-6-1 大崎ニューシティTOCビル2階
  医療設備 心電図
  スタッフ 8人(院長、常勤医師1人、看護師1人、細胞培養センタースタッフ4人、事務スタッフ1人)
  物件形態 ビル診
  延べ床面積 クリニックスペース40坪、細胞培養センター40坪
  敷地面積 80坪
  開業資金 約2億円
  診療時間 月~金 9:00~13:00、14:00~17:00
土・日・祝休み
  外来患者/日の変遷 開業当初 3名 → 3カ月後 5名 → 6カ月後 6名 → 現在7名
  URL http://www.nco-clinic.jp/

2012.03.01 掲載 (C)LinkStaff

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