小村肛門科医院
小村憲一 院長プロフィール
1968年に東京都葛飾区で生まれる。1994年に兵庫医科大学を卒業後、駿河台日本大学病院消化器外科に入局する。2000年に日本大学大学院を修了する。駿河台日本大学病院、日本大学医学部附属板橋病院、日本大学医学部付属練馬光が丘病院に勤務を経て、2002年に社会保険中央総合病院(現 東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターに勤務する。2007年4月に東京都葛飾区の小村肛門科医院を継承する。日本外科学会専門医、日本大腸肛門科学会専門医、身体障害者福祉法指定医(膀胱、直腸機能障害、小腸機能障害の診断)など。
東京都葛飾区堀切は荒川東岸の地域である。対岸は足立区と墨田区に接し、町の中央を平和橋通りが南北に通っている。最寄り駅は京成本線の堀切菖蒲園駅である。堀切は1930年代までは東京近郊の農村地帯で、堀切園などの菖蒲園が集まる行楽地として知られていたが、高度経済成長期までに都市化し、賑やかな商店街と住宅街が混在する街となっている。
小村肛門科医院は堀切菖蒲園駅から徒歩5分ほどの場所にある肛門疾患専門の医院である。小村憲一院長のお祖父様が1935年に開業した歴史ある医院で、お父様が継承し、2007年にお父様の急逝を受けて、三代目の小村院長が継承した。継承にあたってはデジタル肛門鏡や電子カルテなどを導入し、その後、同じ場所で完全に建て替えを行った。開院以来、外来のみならず、日帰り手術も行っている。
今月は小村肛門科医院の小村憲一院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
祖父も父も肛門科の医師で、私で三代目になります。医師を目指したのは父からの洗脳ですね(笑)。高校時代は反抗期もあって、このまま父の言いなりになっていいのかという思いから、「医師にはならない」と言ったこともありました。当時の家庭教師も後押ししてくれたんです。ところが、父に怒られましたね。父は家庭教師に、「何のために、雇っているのだ」と言ったそうです(笑)。私としては、これ以上は逆らえないし、そもそも父の意志を跳ね除けてまで就きたい職業があったわけではなかったので、医学部に進学しました。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
体育会のアーチェリー部に入っていました。大学入学後は初めての一人暮らしを楽しみましたね。不真面目な学生で、お酒ばかり飲んでいました(笑)。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
バイクが趣味でした。400CCのバイクに乗っていて、京都に行ったり、紀伊半島を一周したこともありましたね。
◆ 最初は消化器外科に入局されたのですね。
大学を卒業する頃は何でも診ることができる医師になりたかったので、一般的な外科を学ぶために、駿河台日本大学病院の消化器外科に入局しました。しかしながら、勤務医時代に父の医院で一緒に手術をしたり、父を手伝っているうちに肛門科の面白さに気づいたんです。
◆ どんなところが面白いのですか。
手術後にすぐに答えが出ることでしょうか。肛門科の手術は出来不出来がはっきりしているんです。よくできれば、患者さんがにこにこして「ありがとう」と言ってくださいますし、うまくいかなければ痛みや不具合があったり、便が出にくかったりといった症状が出ます。そういったところに面白さを感じましたね。
◆ 日本大学に入局されたのはどうしてですか。
母校の兵庫医大に残ることも考えましたし、実家の近くの東京慈恵会医科大学葛飾医療センターや東部地域病院などで研修するといった選択肢もありましたが、父が日本大学出身だったということが大きな理由です。
◆ 社会保険中央総合病院にも勤務されていますね。
大学院を半年ほど早く修了したので、一度、社会保険中央総合病院に研修に行き、また大学に戻ったんですね。そして、大学の医局を辞めてから、社会保険中央総合病院に改めて勤務することになりました。社会保険中央総合病院には大腸肛門病センターがあり、肛門科の専門家を育てています。当時は肛門科の研修病院としては一番いいとされていた病院でした。肛門科疾患の診断や治療が確立されていなかった時代に、慶應義塾大学出身の隅越幸男先生が肛門科疾患に悩む患者さんを救おうと1960年に大腸肛門病センターを作り、病院の特徴として打ち出されたんですね。大腸肛門病センターではそれまでにどんなキャリアを持っていても、勤務するときには一番下の立場からスタートし、一から修行し直します。1日に8件から20件の症例を担当しますから、多くの症例を積むことができました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
多くの外来を担当し、大きな手術をできることに手応えを感じていました。開業すると大きな手術ができませんから、臨床の第一線から外れるような寂しさがあり、継承には迷いがありましたね。でも、父が亡くなり、勤務医メインではありますが、開業医との二足のわらじ生活が始まりました。そのうちに開業医の良さも分かってきて、継承しなくてはという気持ちになっていきました。
開業の契機・理由
◆ 継承の動機をお聞かせください。
父が亡くなったことです。父は副作用で気持ち悪くなってまで生きたくないと言い、抗がん剤治療をせずにいたのです。亡くなる4日前まで診察していましたよ。「やりたいようにやりたい。最後まで診察したい」という思いを貫いていました。ある木曜日に腹水が溜まったとのことで、私の勤務先の外来に来たので、腹水を抜いたんですね。次の日は「身体がしんどい」と言い、月曜日に亡くなりました。私は月曜日は父の医院を手伝う日にしていましたので、こちらに来たんです。それから、しばらくは勤務先と父の医院を行ったり来たりでした。
◆ 改めて開業されるにあたってはどんな医院にしたいと考えていらっしゃったのですか。
私は、勤務先の最後の出勤日となった3月30日に倒れたんです。原因は過労と飲み過ぎでしょうか(笑)。次の日も動けなかったので、入院しました。そのときは気弱になっていましたので、勤務医を辞めるのではなかったと思いましたが、患者になりきるためにもあえて大部屋の真ん中のベッドを希望したんです。すると、カーテン越しに色々な声が聞こえてくるんですね。「具合が悪い」とか、ヘルニア手術のあとで「メッシュがチクチクする」など、患者さんは様々なことを言っていました。でも、医師が来ると「大丈夫です」と言ってしまうんです。患者さんは医師には言いたいことの半分も言えないのだなと実感しました。
また、患者さんたちは看護師さんに何かを言っているのですが、それは医療者からすれば文句であっても、患者さんからすれば意見や訴えなんですね。入院中は話し相手もおらず、心細いので、お茶を持ってきてくれるスタッフの「どうですか」という声にも和みます。患者さんを癒せるのは医師だけではなく、医療に携わるスタッフ全員なのだということも分かりました。開業前に入院したことで患者さんの気持ちを理解できたことが医院の理念になりましたね。開業後にやりたいことが見えてきました。
◆ お祖父様は開業地をどのように決められたのですか。
以前は葛飾区小菅で開業していたのですが、祖父がこの場所に移転を決めたそうです。当時は私どもの前の通りが堀切地区のメインストリートだったことが移転の理由でしょう。この通りは堀切橋に通じていて、バス通りでもありました。でも、堀切橋は戦争で損傷して、戦後に場所を変えて架け替えられたために、この通りがメインストリートではなくなってしまいました。
◆ 改めて、開業地をご覧になっての印象はいかがでしたか。
小さいときからこの場所にいますので、何の違和感もなかったですね。
◆ マーケティングはなさいましたか。
していません。肛門科の場合は内科と違って、診療圏の概念はないようですね。
◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
会計ですね。診療報酬は2カ月後ですし、父の代では年度ごとに見ていましたから、単月の利益が把握できていなかったんです。医院に必要なものを購入するにあたっても、購入できるのかできないのかが分からなかったりしたので、会計システムの改善には苦労しました。
◆ 医師会には入りましたか。
葛飾区医師会に入っています。父の代のときはB会員でしたが、父が亡くなったときにA会員になりました。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
私のほかは、受付と事務の母、看護師の妻、父の代からの看護師が1人だけでした。その後、患者さんが増えてきたり、子どもが生まれて、妻が出勤できなくなったりしたので、メンバーを募りました。ほとんどが友達関係ですね。受付は妻の友達の友達ですし、看護助手は妻の「ママ友」ですし、非常勤看護師は看護助手の友達です(笑)。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
デジタル肛門鏡と電子カルテぐらいでしょうか。当初は下部内視鏡もありましたが、今は置いていません。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
継承してから2年後にリニューアルを行いました。それまでは戦前の建物だったので、地震が怖かったのです。「小村肛門科医院にいたから助かったよ」と言われるように、基礎工事をしっかり行い、耐震性を高めたのがこだわりです。
設計にあたっては、肛門科ですからトイレを広くすること、車椅子で移動できるようにバリアフリーにすること、リラックスできる手術室にすることを目指しました。肛門科の場合は衣服の着脱に時間がかかりますから、2室の診察室を設けたのも特徴です。内装は白と茶色でまとめています。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
一般的な肛門科の内容です。痔核温熱療法のほか、局所麻酔による痔核、裂肛、痔瘻の日帰り手術、痔核のジオン注による硬化療法や肛門内圧検査などですね。手術やジオン注による硬化療法は月曜日の午後と火曜日の午後に行っています。
問診、視診、触診を疎かにせず、大腸悪性疾患の早期発見にも努めています。また、潰瘍性大腸炎やクローン病といった炎症性腸疾患、下痢や便秘などの便通異常の治療、肛門掻痒症の患者さんへの指導なども行っていますね。
また、膀胱、直腸機能障害、小腸機能障害の診断での身体障害者福祉法指定医の資格を持っていますので、その対応もしています。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
理念は「一人一人をきっちりと診る」、「患者さんが安心し、納得され、明るく元気になる縁として働く」、「医療的な満足は当然として、治らない病気でも癒やすことができるように」、「苦情は呼びかけ、対話のきっかけと心得る」です。
また、「当院の目標」として、「医療者がよく話を聞いてくれて、不安な気持ちが癒される」、「患者さんと医療者が深い信頼の絆で結ばれている」、「そこに行けば元気になり、未来に希望が見えてくる」、「最高の医療を提供するため、スタッフが最新医療技術を学び続けている」を掲げています。
これらの素になったのは自分自身の入院経験ですね。理念については毎日の朝礼でスタッフと一緒に唱和しています。
◆ 日帰り手術もなさっているのですね。
私どもは1935年の開設以来、日帰り手術を行ってきました。侵襲をできるだけ抑えることを心がけています。私どもでは中性の局所麻酔剤を使う工夫をしているほか、特色としてはジオン注による4段階注射法、ジオン注併用痔核手術、seton法による痔瘻手術が挙げられます。
月曜日と火曜日の午後が手術日です。年間の肛門疾患手術数は450例ほどで、痔核が70%と最も多く、痔瘻が25%、裂肛が5%ですね。入院が必要な患者さんには近隣の医療機関をご紹介しています。患者さんは葛飾区のみならず、江戸川区からもお越しいただいていますし、千葉県や茨城県からもいらっしゃっています。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
40代から60代の壮年、実年の方が中心ですが、若い女性も増えてきました。日本は清潔志向が強いので、清潔にし過ぎたことによる掻痒症もありますね。また、子どもさんも少なくありません。子どもさんの場合は親の拭き過ぎが原因で爛れたり、便秘などが多いですね。
◆ 検診はどのような内容で行っていますか。
私どもにはレントゲンがありませんので、レントゲン以外の検診をお受けしています。企業検診はお受けしておらず、個人のみです。腸内環境検査、ホルモンバランス検査、食物アレルギー検査などを行っています。アンチエイジングに関する、自由診療での検診依頼も少なくありません。
◆ 病診連携については、いかがですか。
国立がん研究センター中央病院、東京山手メディカルセンター肛門科、東京慈恵会医科大学葛飾医療センター外科、駿河台日本大学病院外科、東部地域病院、東京大学医学部附属病院と連携しています。直腸がんの患者さんをご紹介することが多いですね。患者さんのお住まいのエリアやご希望などから、紹介先の医療機関を決定しています。
◆ 経営理念をお教えください。
肛門疾患の痛みをできるだけ楽にとることです。痛みには肉体的、精神的、社会的、霊的といった4つがあります。肉体的痛みであれば手術や薬、精神的な痛みには精神科的なケアが必要です。社会的痛みとは仕事がなくなったり、孤立化することですね。霊的な痛みとは何をしていいのか分からない、死ぬのが怖い、これまでの人生で何もしてこなかったといった痛みを指します。社会的な痛みや霊的な痛みに対しては「友達として支え合う」ことが必要です。私どもでは葛飾区教育委員会と堀切西町会の主催事業である「わがまち楽習会」に参加し、ミニコンサートなどで地域の皆さんとの交流を行っています。こういった交流があれば、災害の際にも助けてさしあげられる繋がりができると思っています。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
患者さんから電話がかかってきたときに親身になって話を聞いてさしあげてほしいんですね。そのためには肛門疾患についての知識が必要ですから、勉強会を開いて、イボ痔や切れ痔の術後の経過などを教えました。知識があれば、患者さんから「術後に痛みが出た」という電話がかかっても話ができますからね。それから、患者さんの話を遮らず、最後まで聞くということ、診察室が2室あるので、患者さんを一人にさせてはいけないということもよく話しています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
ホームページのほかは、堀切菖蒲園駅での看板、道案内を兼ねた電柱広告を10本ぐらいですね。来院動機は口コミがほとんどです。ご家族からのご紹介なども多いです。
開業に向けてのアドバイス
厚生労働省が策定する保険点数に左右されないことが大事です。「在宅医療の点数が良さそうだ」ということで開業しても、保険点数を下げられたりするなど、行政に振り回されるだけですよ。本当に自分がしたい医療があって、それをしたいから開業するという理念があれば、どんな目に遭っても乗り越えられるはずです。
プライベートの過ごし方(開業後)
走るのが趣味で、いいストレス解消になっていましたが、膝が痛くなってきたので、最近はスポーツクラブで泳いでいます。身体を動かせば、外来をして、手術して、また外来してという日常をリセットできますね。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
小村肛門科医院 | ||
院長 | 小村 憲一 | |
住所 | 〒124-0006 東京都葛飾区堀切2-9-7 |
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医療設備 | デジタル肛門鏡、肛門内圧計、電子カルテなど。 | |
スタッフ | 10人(院長、非常勤医師1人、非常勤看護師5人、常勤看護助手1人、常勤事務1人、非常勤事務1人) | |
物件形態 | 戸建て | |
延べ面積 | 30坪 | |
敷地面積 | 30坪 | |
開業資金 | 8000万円 | |
外来患者数の変遷 | 開業当初20人→3カ月後25人→6カ月後32人→現在44人 | |
URL | http://www.komura-koumonka.com/ |