馬車道さくらクリニック
車 英俊 院長プロフィール
1965年に福岡県で生まれ、5歳から千葉県船橋市で育つ。1991年に防衛医科大学を卒業後、防衛医科大学校病院で研修を行う。1993年にむつ総合病院、1995年に防衛医科大学校病院に勤務する。1997年にシリア、イスラエルで国連平和維持活動(PKO)を行う。1998年に佐世保市立総合病院に勤務する。2000年に北里大学泌尿器科に入局し、北里メディカルセンターに勤務する。2001年に北里大学大学院に入学し、北里大学メディカルセンター、北里大学病院に勤務する。2005年に東京慈恵会医科大学附属病院泌尿器科に入局し、助手として勤務する。2008年にカナダのバンクーバー総合病院前立腺センターに留学する。2010年に東京慈恵会医科大学附属病院泌尿器科助教に就任する。2013年9月に横浜市中区太田町に馬車道さくらクリニックを開業する。
日本泌尿器科学会専門医・指導医。日本癌学会、日本癌治療学会、日本泌尿器内視鏡学会にも所属する。
神奈川県横浜市中区太田町はみなとみらい線の馬車道駅、JR根岸線、横浜市営地下鉄ブルーラインの桜木町駅から程近く、アクセス至便の街である。馬車道という地域名は日米通商修好条約締結を受けて開かれた横浜港と外国人居留地が置かれた関内地域を結ぶ道路の一つから名付けられた。現在も神奈川県立歴史博物館など、当時の面影を残す建物があり、美しい街並みになっている。
馬車道さくらクリニックは2013年9月に馬車道駅から徒歩2分の横浜市中区太田町に開設されたクリニックである。車英俊院長は日本泌尿器科学会専門医であり、前立腺がんの研究を長く行ってきたが、開業後は泌尿器科のみならず、皮膚科、内科も標榜し、幅広い年齡の患者さんに慕われている。
今月は馬車道さくらクリニックの車英俊院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
医師という職業に漠然とした憧れはあったものの、私が高校生の頃は分子生物学が注目を集め始めた時期で、私も遺伝子操作などに興味を持ち、研究者になりたかったんです。それで生物学科を志望していましたが、11月にあった防衛医科大学の試験を力試しのつもりで受験しました。そうしたら、合格通知が来たんですよ(笑)。祖父はもともと私を医師にしたかったようでしたし、両親もとても喜んでくれたので、医学部に入学することにしました。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
勉強は得意ではないですし、あまりしませんでした。ごく普通の学生で、成績は上位でも下位でもなく、真ん中辺りにいましたね。防衛医大は全寮制で、入浴時間も9時までと決まっています。入浴は前段と後段というシフト制になっており、私が入っていた弓道部はあまり汗をかかないので前段なんです。汗をかくサッカー部やラグビー部の部員は後段でしたね(笑)。入浴と食事が終わったら、廊下に並んで点呼を受けます。それから12時までが勉強時間なので、その時間帯は真面目に勉強していました。ただ、5年生、6年生は病院実習がありますから、点呼はありません。実習先の病院のロッカーに着替えを置いておいて、実習後に遊びに行ったりしていました(笑)。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
弓道部のほかには美術部と軽音楽部に入っていました。当時の防衛医大は東医体に出られなかったので、弓道部では北関東リーグに出ていたぐらいでしたね。その分、美術と音楽が趣味でした。生物学科を志望する前は美大に行きたかったほど、絵を描くことが好きだったんです。軽音楽部ではベースギターを弾いていました。
◆ 専攻を泌尿器科に決められたのはいつですか。
5年生のときです。当時、所沢にあったジャズ喫茶によく行っていたのですが、二人のおじさんが飲んでいたんです。おじさんたちは角刈りだった私を見て、すぐに防衛医大の学生だと分かったようで、声をかけてくださって、ご馳走もしてくださいました。それから病院実習が始まり、早い時期に泌尿器科に行ったのですが、そのおじさんたちが泌尿器科の先生方だったんです。私のことを覚えてくださっていたのに感激しましたし、運命を感じましたね(笑)。先輩方によくしていただけると勉強もしますし、勉強しますと興味も湧いて面白くなりますから、すぐに泌尿器科の面白さに惹かれていきました。
◆ 泌尿器科のどんなところが面白いのですか。
泌尿器科は診療科の規模としては小じんまりとしているのですが、扱う範囲が広いんです。開腹手術もあれば、内視鏡もありますし、透析シャントなどの血管手術もあります。ホルモン異常の甲状腺疾患、腎臓移植、がん治療といった分野もありますし、興味が尽きなかったですね。手術に憧れていたので、外科系に進みたいという考えは漠然とあったのですが、消化器外科に行くとなると肝臓や胃などの臓器に特化してしまいますので、泌尿器科で広く学べたことは良かったです。
◆ 国連平和維持活動にも参加なさったのですね。
学生の頃から折角、防衛医大で学んだのだから国際貢献をしたいと思っていましたし、自分から希望しました。自衛隊には階級がありますが、このような活動は隊長クラスや卒後1、2年目といった世代は参加できず、応募できる階級はかなり限られてきます。そういった狭き門ですが、専門研修が終わった頃にちょうど募集がありましたので、応募しました。初めの半年は事前の学習に充てられます。英語、アラビア語、ヘブライ語などの語学研修や、ユダヤ教やイスラム教といった宗教学も学びました。そして、後半の半年間が医療活動で、イスラエルとシリアの国境に行きました。
◆ どういった活動をされたのですか。
日本、カナダ、ポーランド、オーストリアといった4カ国混成の医療チームを組み、主な仕事は国境警備隊員の健康管理でした。場合によれば手術もしますが、私は手術を担当することはなかったです。イスラエルは都市化が進んでいるので、国境付近には人が住んでいないのですが、シリアは違うんですね。地雷を踏んだ羊飼いの子どもの治療をするなど、色々と考えさせられました。今のシリアは治安が悪くなっていますが、当時は湾岸戦争が終わった2、3年後でしたから長閑な雰囲気もあり、国境を自由に移動できたんです。休日にはダマスカスに行ったりもしました。
◆ 北里大学に入局されたのはどうしてですか。
9年間の義務年限が終わったときに、防衛医大の教授と北里大学の教授が同級生だったというご縁で、北里大学に入局することになりました。大学院大学の構想が始まった頃でしたし、私も博士号が欲しかったので、研究を頑張りましたよ。指導教官の専門が前立腺がんでしたから、私も専攻しました。テーマは男性ホルモンをどうブロックすれば前立腺がんが良くなるのかというメカニズムについてでした。
◆ 東京慈恵会医科大学附属病院にも勤務されていますね。
指導教官が慈恵医大に移られたので、私も医局を移ったのです。慈恵医大でも研究を進め、外来や病棟、手術、若手医師への教育と、忙しく働きました。
◆ カナダに留学もなさったのですね。
バンクーバー総合病院前立腺センターに世界のトップの医師がいるので、以前から留学したかったんです。ただ、慈恵に移ってすぐに留学するわけにはいかず、しばらく病院勤務をしてから行きました。カナダには家族全員で行ったので、楽しい生活でした。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
手術などの仕事はとても遣り甲斐が持てるものでしたが、常に追い立てられるかのようなプレッシャーがあり、辛かったですね。特に大学では研究や教育にも打ち込まなくてはいけませんから、心が休まりませんでした。開業した今は気持ちが安らかになっています。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
慈恵医大での同僚の三木健太先生のお父様の三木信男先生から三木医院の継承のご依頼を受けたのがきっかけです。三木院長は馬車道で40年来、開業されていたのですが、高齢になられたので、継承を考えていらっしゃったんですね。三木院長は北里大学の非常勤講師もなさっていたので、以前から知っていましたし、自宅も近いので、お話しする機会が多かったんですね。健太先生は大学で前立腺がんの研究を進めており、継承するタイミングではないということで、私に話が回ってきました。カルテなども全て継承する形での開業でした。
◆ 開業地の第一印象はいかがでしたか。
三木医院はこのビルの隣のビルに入っていました。繁華街でもなければ、住宅街でもないという印象でしたが、駅に近いこと、バスが頻繁に走っていることが好印象でした。バス路線が多く、横浜駅や山手駅、根岸駅、元町方面からのバスが来ています。また、周囲に競合がないことも良かったですね。
◆ 開業にあたって、マーケティングはなさいましたか。
していません。三木院長は高齢でしたし、1日に10人ぐらいの患者さんしか診ておられなかったのですが、医師会の重鎮でもあったので、競合が入る余地がなかったのでしょう。私も楽天的に構えていました。そんなときに三木医院の隣に入居していた内科の院長先生が急死されたのです。三木医院とその内科の両方にかかっている患者さんが多かったので、内科の患者さんも私どもでお受けすることになりました。
◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
第三者継承でしたので、手続きが煩雑だったことですね。三木院長と二人で保健所に行き、三木院長が私に継承することを口頭で伝えて、認めていただきました。血縁でない者が継承する場合に必要な手続きだそうです。また、継承の場合は診療期間を継続しないといけません。一方で、今の基準に合わせて、プライバシー保護のためにカルテ棚の位置を変えたり、パーテーションを設置する必要もありました。行政は土曜、日曜でやったらどうかと言うのですが、とても無理です(笑)。夏休みという名目で1週間、休診にしたうえで、突貫工事を行いました。
◆ 医師会には入りましたか。
横浜市中区医師会に入っています。血縁者の継承の場合はそのまま入会できるのですが、私の場合は新規に入会しました。特に問題はなかったですよ。医師会員としての義務は桜木町にある横浜市夜間急病センターで月に1日、夜8時から12時までの当番などですね。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
非常勤看護師1人と非常勤事務スタッフが2人です。看護師はなかなか決まらなかったのですが、慈恵医大で一緒だったスタッフが来てくれることになりました。泌尿器科は特殊な器具を使いますので、慣れているスタッフだと、こちらの負担が軽減されますね。事務スタッフは未経験者でしたが、すぐに仕事を覚えて、今も勤めてくれています。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
三木医院からはエコーと尿流検査計を引き継ぎましたが、しばらくして買い換えました。また、電子カルテ、レントゲン、残尿測定器、レーザーはこちらで揃えました。お隣の内科からは血圧計、ベッド、心電図などをいただきました。
◆ いつ、今の場所に移られたのですか。
開業して半年ほど経った頃ですね。前の場所はビル自体が古かったので、大幅な改装をしようにもアスベストなどの問題があって、できなかったんです。でも、隣に新しいビルが建つと聞いて、移転を決意しました。このビルは東急建設の施工で、1階にコンビニエンスストア、2階に私ども、3階に企業のオフィス、4階以上がマンションになっています。新築ならではの綺麗さが気に入りました。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
患者さんのための表動線とスタッフのための裏動線を分けたことでしょうか。また、三木医院では健太先生が診ていた患者さんもいらっしゃったので、診察室を2つに分け、健太先生にも使っていただいています。健太先生が来られないときは私どもの患者さんをご案内し、待ち時間の軽減を図っています。2つの診察室の間には処置室を設けています。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
泌尿器科、皮膚科、内科を標榜しています。前立腺がんを専攻してきましたので、今も患者さんは多いですね。生検で発見し、治療したり、大学病院などにご紹介したりしています。女性の患者さんでしたら膀胱炎が多いです。
軟性膀胱内視鏡装置を導入していますので、血尿の原因を精査したり、膀胱がんなどの精密検査が可能です。
皮膚科はアトピー性皮膚炎、蕁麻疹、虫さされ、湿疹、水虫といった疾患が中心ですね。レーザーも導入していますので、自費診療も行っています。
内科では風邪や腹痛といったものから高血圧症や糖尿病、高脂血症、高尿酸血症などの生活習慣病の管理まで、広く診察しています。デジタルレントゲンで高解像での画像診断ができますので、骨粗鬆症の検査も可能ですし、その後の診断や治療まで行っています。
患者さんの割合としては皮膚科5割、泌尿器科4割、内科1割といったところです。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
患者さん気楽に通っていただける、敷居の低いクリニックでありたいです。患者さんにとって泌尿器科や皮膚科に通院されることは恥ずかしい思いをされることもありますが、だからこそ、どんなことでもご相談いただけるような環境を作っていくことを心がけています。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
泌尿器科はサラリーマンの方が多く、続いて70代の方ですね。男性の患者さんが6割を占めます。一方、皮膚科は7割が女性です。最近、この辺りはマンションが増えてきたので、子どもの患者さんもいらっしゃるようになりました。子どもさんは風邪やアトピー性皮膚炎などが多いですね。親子での通院もありますよ。3年後には横浜市役所が近隣に移転してきますので、患者さんの層も変わってくるのではないかと予想しています。
◆ 健診はどのような内容で行っていらっしゃいますか。
横浜市の健診をお受けしています。内容は血圧、採血、尿検査などですね。
◆ 病診連携については、いかがですか。
東京慈恵会医科大学附属病院、北里大学病院、けいゆう病院、横浜市立みなと赤十字病院、横浜市立大学附属市民総合医療センターなどと連携しています。前立腺がんは慈恵医大、膀胱がんはけいゆう病院にお願いすることが多いですね。けいゆう病院の泌尿器科部長は防衛医大時代の指導医だったんですよ。みなと赤十字病院はロボット手術を導入しているので、適切な症例の場合にご紹介しています。
◆ 経営理念をお教えください。
地域密着しながらも、専門性を全面に押し出し、第一線の診療を行うことです。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
隔週の金曜日にミーティングを行っています。また、スタッフに接遇の講習に行ってもらって、そのスタッフが講師役になって勉強会をしたり、電話対応について話し合ったりしています。私からは検査内容についてのレクチャーも行っています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
クリニックが2階にありますので、1階の入口の前に看板を出しているほか、道案内を兼ねて電柱広告を5本ほど行っています。ただ、この辺りは地中化が進んでいますので、ベストの場所に電柱がなかったりして、効果をあまり感じていません。横浜市営バスの車内放送広告の方が効果的でしょうか。最寄りのバス停の馬車道駅前でアナウンスを入れています。インターネットはホームページとフェイスブックページですね。
それから2カ月に1回、本牧コミュニティハウスで市民講座を開いています。地域の方々を対象に「健康診断について」や「うんちとおならの話」などのテーマでお話ししています。また、私どもの待合室では週に1回、ヨガ教室を開催しています。骨盤底筋体操は尿漏れに効くということで、プロの講師をお招きして、有料で行っています。
開業に向けてのアドバイス
開業すると心が軽くなります。徐々に忙しくなってはいきますが、開放感があるんですよ。市中病院での勤務はさほどストレスを感じませんでしたが、大学病院は大変だったのだと改めて思いますね。開業後は患者さんが病院名ではなく、私の名前で来てくださることを実感しますので、嬉しさと遣り甲斐を覚えているところです。充実感がありますので、開業医を始める価値はありますよ。
開業にあたっては非常勤での勤務先を確保しておくことをお勧めします。開業当初は売上が上がらないものですが、自分のクリニックの中で売上を確保しようとするのは良くありません。生活費はアルバイトで稼ぐつもりで取り組んだ方がいいと思います。
プライベートの過ごし方(開業後)
毎朝の犬の散歩が習慣になっています。1歳のゴールデンレトリバーで、かわいい盛りなんですよ(笑)。また、月に2回、クラシックギターのレッスンを受けています。音楽はやはり楽しいですね。ただ、開業後は何かと忙しかったので、以前からの趣味である絵を描くことは中断しています。そのうち再開したいですね。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
馬車道さくらクリニック | ||
院長 | 車 英俊 | |
住所 | 〒231-9510 神奈川県横浜市中区太田町6-73 コーケンキャピタルビル2階 |
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医療設備 | 軟性膀胱鏡、超音波診断装置、デジタルレントゲン、尿流検査、高倍率顕微鏡、液体窒素、前立腺生検検査、レーザー、電子カルテなど。 | |
スタッフ | 12人(院長、非常勤医師1人、常勤看護師1人、非常勤看護師1人、非常勤事務8人) | |
物件形態 | ビル診 | |
延べ面積 | 100㎡ | |
敷地面積 | 100㎡ | |
開業資金 | 5000万円 | |
外来患者/日の変遷 | 開業当初10人→3カ月後30人→6カ月後40人→現在60人 | |
URL | http://bashamichisakuraiin.web.fc2.com/ |