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山本眼科医院

深野 祐子 院長

山本 隆憲 院長プロフィール

1947年に静岡県三島市で生まれる。1972年に日本大学を卒業後、駿河台日本大学病院(現 日本大学病院)眼科に入局し、駿河台日本大学病院に勤務する。1980年に神奈川県平塚市の山本眼科医院を継承する。
日本眼科学会専門医など。日本臨床眼科学会、日本眼科手術学会、日本眼内レンズ屈折手術学会、日本コンタクトレンズ学会、日本緑内障学会にも所属する。

 神奈川県平塚市は神奈川県のほぼ中央に位置し、相模湾に面している。かつては東海道7番目の宿場町として栄えていたが、現在も25万人以上の人口を有し、工業都市として発展している。JR東海道本線の平塚駅があるため、都心へのアクセスも良く、定住率の高いベッドタウンとしても知られている。平塚市には海軍の火薬廠があったため、1945年の大空襲で大きな被害を受けた。その復興を願った七夕まつりが現在は「湘南ひらつか七夕まつり」に発展し、日本を代表する七夕まつりとなっている。
 山本眼科医院はJR平塚駅からバスで5分ほどの場所にある。戦後間もなくして開業し、1980年に山本隆憲院長が継承した。山本院長は白内障や緑内障を専門とし、大学病院レベルの手術を行っている。継承以来、3万件ほどの白内障手術症例を重ねており、地域からの信頼も厚い。
 今月は山本眼科医院の山本隆憲院長にお話を伺った。

開業に至るまで

◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 父が内科医で三島市で開業していました。私は5人兄弟の末っ子で、3人の兄たちも医師になり、姉も医師と結婚するなど、医師という仕事が身近だったんです。ですから、「目指した」ということもなく、自然に医学部に入学していました(笑)。


◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 ラグビー部に入り、6年間、ラグビー漬けの毎日でしたね。ラグビーの合間に、遊びと勉強も程良く頑張っていました(笑)。ラグビー部での活動は面白かったです。今年はラグビーのワールドカップで日本チームが大活躍しましたが、当時を思うと、ここまで強くなるとは想像もしませんでした。


◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 サーフィンが趣味でしたね。湘南をはじめ、色々な海に行って、楽しんでいました。


◆ 眼科を選ばれたのはどうしてですか。
 叔母が眼科医で、この地で開業していたのです。叔母には子どもがおらず、兄たちは既に診療科を決めていましたから、私が継承することが決まったためです。末っ子ですし、「お前が継げ」という話に逆らうことはできませんでした(笑)。大学生の途中で将来の道ができていたのですね。学生実習のときはあまり実感がありませんでしたが、医局に入ってから眼科の面白さが分かってきました。


◆ どんなところが面白いのですか。
 手術ももちろんですが、眼という小さなところに様々な疾患があることですね。


◆ 日本大学に入局されたのはどうしてですか。
 母校だったことに加えて、父の母校だったことも理由です。


◆ 研修医時代の思い出をお聞かせください。
 当時の研修医は無給ですから、経済的には苦しかったですね。また、その頃は眼科医が少なく、週に3日は当直せざるを得なかったんです。土曜日から月曜日まで連続で勤務することも珍しくなかったです。今は眼科医が増えてきて、当直体制も楽になったようで、隔世の感がありますね。


◆ 日本大学の眼科の強みはどんなところにあったのですか。
 伝統的に眼底の疾患に強く、当時は硝子体手術の最先端でした。松井瑞夫名誉教授が助教授時代にアメリカのマイアミ大学に留学され、そこで学ばれた技術や知識をもとに日本で初めての硝子体手術を成功されたのです。私も一緒に手術につかせていただいていました。今とは機械が異なりますが、初期の手術を経験できたことは良かったです。


◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 眼科診療が大きく発展した時期に、大学病院の勤務医として様々な技術を学べたのは有り難かったですね。眼内レンズ手術を大学で初めて行ったのは私なんですよ。いい機械がまだなかったので、今から考えると原始的なものでしたが、当時としては画期的でした。眼内レンズ手術は継承後に本格的に開始しました。


開業の契機・理由

◆ 継承の動機をお聞かせください。
 叔母が「雨漏りするようになったから、譲りたい」と言ったためです(笑)。叔母は女性眼科医の草分け的な存在で、1950年頃に開業したのです。私が継承するまではトタン屋根の昔ながらの眼科医院でした。最初は叔母と一緒に診療していましたが、数年後に私が院長職に就きました。


◆ 継承されるにあたってはどんな医院にしたいと考えていらっしゃったのですか。
 大学病院に準じるような設備と技術のある医院にしたかったんです。そのためにはスペースも必要ですし、大がかりな開業になりました。一方で、叔母がいなくても診療がスムーズに進むように、駿河台日本大学病院から数人ずつ非常勤医師に来てもらうようにしていました。


◆ 叔母様は開業地をどのように決められたのですか。
 叔母はもともと鳥取の出身なのですが、戦時中は三島に疎開していたのです。戦後しばらくは三島市内で勤務医をしていましたが、開業することにしたようですね。平塚を開業地に選んだのは東京と三島の中間地点だからだそうです(笑)。


◆ 改めて、開業地をご覧になっての印象はいかがでしたか。
 昔から頻繁に叔母の家に遊びに来ていたんです。特に平塚の七夕まつりは子どもの頃の楽しみでしたね。そのため、平塚には土地勘や馴染みがありましたから、医院の立地などにはこだわりはありませんでした。


◆ マーケティングはなさいましたか。
 継承ですから、全く行っていません。患者さんもある程度、いらしていただいていましたし、カルテやスタッフも全て引き継ぎましたので、その点は恵まれていました。ただ、継承にあたって、医院を大きくしましたので、その支払いをしていくことが経営的な苦労の種でしたね。


◆ 開業までに、ほかにご苦労された点はどんなことですか。
 医師集めです。常勤、非常勤、ともに大変でした。医局に頼んだり、紹介会社にお願いしたりして、乗り切ってきました。来年は息子が帰ってきますので、少し楽になりそうです。


◆ 医師会には入りましたか。
 平塚市医師会に入会しました。叔母と交代しただけですので、問題なく入会できましたよ。ただ、私は公的な役職に就くのが苦手なので、医師会役員になるのはご遠慮しています(笑)。ほかの会員の先生方のお蔭できちんと運営されているので有り難いですね。


◆ 継承当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
 看護師、検査士、事務スタッフで合計8人しかいなかったのです。医院の規模を大きくしたかったので、8人ではとても足りず、少しずつ募集を行っていきました。


◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 継承とほぼ同時に建て替えを行い、手術室を作りました。カールツァイス製の顕微鏡、レーザー、検査機器など、大学病院と同じレベルのものを導入し、年々、買い替えていきました。2000年には医院の隣にレーザー屈折矯正センターを新設し、最新のレーザーを導入しています。


◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 環境設計研究所の曽根幸一さんにお願いしました。曽根さんは私どもの設計でフランスの賞をお獲りになったんですよ。こだわりとしては医師がいる場所を真ん中に配置し、動きに無駄が出ないようにしたことです。内装の色味も吟味しましたね。診察室は曇りガラスの総ガラス張りにして、中から外が見えるようにしました。斬新なデザインでしたよ。ところが、患者さんが増えてきたため、診察室を2診から3診に増設せざるを得なくなり、普通の感じになってしまいました(笑)。また、併設の眼鏡店を閉め、待合室も増築しました。


◆ 来年には新しい医院が建つのですね。
 息子も帰ってきますし、現在の医院も老朽化してきましたので、近隣に土地を得て、新しい建物を建築中です。前回の反省なども踏まえ、より使いやすく、患者さんに親しんでいただける医院にしていきたいと考えています。


クリニックについて

◆ 診療内容をお聞かせください。
 眼科専門の医院です。主な症例は白内障、緑内障、糖尿病網膜症ですね。また、眼瞼下垂、翼状片、鼻涙管スコープを使ったシリコンチューブ瘤置術による鼻涙管閉塞、そのほかの小手術などです。2014年の手術症例数は900例でした。医師が5人いた年には1,300例を行ったこともあります。
 白内障ではカールツァイスやライカの顕微鏡を使用し、2台並列での手術を施行しています。継承当初は1台でしたが、患者さんが増えたので、手術室を拡張し、2台体制にしたのです。効率が向上し、患者さんの待ち時間の軽減が可能になりました。しかしながら、現在も半年先のご予約まで入っており、予約から手術施行までの期間をいかに短縮するかが課題でしたが、新医院では3台になりますので、課題の解決に繋げたいです。  レーシックも行っています。1990年から開始しましたので、当時の厚生省の認可とほぼ同時でした。私は新しい治療に常に興味を持っているんです。レーシックに関しては宣伝をしていないこともあり、患者さんの数は多くはありません。  2001年には医院の横にレーザー屈折矯正センターを新設しました。レーザー手術はこちらで行っていますが、あくまでもメインは本院ですね。


◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
 大学病院に負けないレベルの診療をしたいということです。学会や医学雑誌などで最新の知識を得ることを心がけ、早い段階での治療を行うようにしています。


◆ 13床の有床医院なのですね。
 最近は日帰り手術がメインになってきましたので、入院率は低いです。遠方からの方、手術後の経過を診る必要のある方、ご家庭での加療が難しい方が入院されますね。


◆ 日帰り手術は白内障が中心ですか。
 白内障がほとんどです。緑内障はいい薬が開発され、薬でコントロールできるようになってきましたので、手術はどこの医療機関でも減っています。以前は私どもでも網膜剥離手術や硝子体手術を行っていましたが、私の休日がなくなってしまいましたので、今は他院へご紹介しています(笑)。


◆ 患者さんの層はいかがですか。
 50代から70代の方がほとんどです。世間の高齢化のスピードと並行していますね。お若い世代は糖尿病の方や「見えにくい」といった訴えが中心ですし、子どもさんは結膜炎や視力関係での来院が多いですね。


◆ 病診連携については、いかがですか。
 東海大学医学部付属病院、日本大学病院にご紹介することが多いです。そのほか、横浜市立大学附属病院、北里大学病院、小児でしたら横浜医療センターと連携しています。また、私どもは神奈川県中郡二宮町に二ノ宮眼科クリニックという分院を持っていますので、分院から検査や手術の患者さんがいらっしゃることもありますね。


◆ 経営理念をお教えください。
 私は一生懸命に働いているだけで、経営にはあまりタッチしていません。数字に関しては妻や税理士さんが見ています。妻に「あの機械を買いたい」と言っても却下されることがありますね(笑)。


◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 医師教育では医局のデータを取れますので、症例検討などを行っています。一緒に学会に行くこともありますね。看護師や検査士には外部研修を積極的に勧めています。スタッフだけでもよく勉強の場を持っていますよ。
 院内ミーティングはしていません。私が好きではないんです(笑)。「自分たちで反省して、自分たちで気づけ」と言っています。朝礼も以前はしていましたが、今はしていませんね。


◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 私どもの来院動機はほとんどが口コミです。ホームページを作っているほかは近所の電柱に4、5本に出稿している程度ですね。バス停やバス通りからの道案内を兼ねています。私どもの最寄りのバス停は神奈川中央交通バスの追分なのですが、追分がアナウンスされるときに院名を入れていただいています。


開業に向けてのアドバイス

 知識や技術を持った医師に習ったのちに開業することをお勧めします。大学病院は症例に偏りがありますので、大学病院を辞めてすぐ開業するとなると診たことがない症例に出会ってしまいます。私も大学病院では眼底や硝子体に特化していたのですが、開業後はそういった疾患の患者さんはほぼ来られないんですね。大学病院では子どもさんも診たことがありませんでした。叔母に習おうにも時代が違いすぎていましたから、ひたすら本や患者さんをご紹介したあとの病院からの返事などで勉強しました。したがって、開業前には大きな規模で開業している医師のもとでプライマリケアを十分に学んでおけば、開業後も困らないと思います。

プライベートの過ごし方(開業後)

 趣味は乗馬です。50歳を過ぎてから始めました。千葉県成田市に愛馬がいますので、週末は成田に出かけ、ジャンピングなどの競技の練習をしています。馬は賢いですよ。「しっかりしろ」と言うと、きちんと反応しますし、こちらの気が緩んでいるとそれに気づきます。乗馬はストレス解消に繋がっています。

タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図

クリニック概要

山本眼科医院
  院長 山本 隆憲
  住所 〒254-0046
神奈川県平塚市立野町32-22
  医療設備 オーソケラトロジー、OCT、レーザー、ヤグレーザー、GDX、SLT、スペキュラー、ERG、IOLマスター、トポグラフィー、Bモードエコー、フレアーセルメター、蛍光眼底撮影装置、スーパーライザー、電子カルテなど。
  スタッフ 28人(院長、常勤医師1人、非常勤医師5人、常勤看護師4人、常勤検査士8人、常勤事務7人、非常勤清掃スタッフ2人)
  物件形態 戸建て
  延べ面積 約230坪
  敷地面積 600坪
  開業資金 約3億5,000万円(土地は継承)
  外来患者/日の変遷 開業当初120人→3カ月後150人→6カ月後200人→現在160人
  URL http://www.yamamoto-ganka.or.jp/index.html

2015.11.01 掲載 (C)LinkStaff

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