津田沼IVFクリニック
吉川 守 院長プロフィール
千葉県船橋市で生まれる。1991年に山梨医科大学(現 山梨大学)を卒業。1997年に亀田総合病院(鴨川市)に勤務する。その後、船橋二和病院(船橋市)、セントマーガレット病院(八千代市)、千葉徳洲会病院(船橋市)、あびこクリニック(我孫子市)、いたはし産婦人科(市原市)、山王病院(千葉市)に勤務する。2010年11月に千葉県船橋市に津田沼IVFクリニックを開設する。2015年3月に医療法人社団伸守会を設立する。
日本産科婦人科学会専門医、日本母体保護法指定医師など。日本産科婦人科学会、日本生殖医学会、日本受精着床学会、日本産科婦人科内視鏡学会、日本内視鏡外科学会、日本臨床エンブリオロジスト学会などにも所属する。
JR総武線津田沼駅は千葉県船橋市と習志野市にまたがる駅で、ホームの一部が船橋市前原西に属する。津田沼駅は総武快速線、中央・総武線各駅停車が停まり、1日平均10万人以上の乗降客数がある。津田沼駅南口はモリシア津田沼などの商業施設が集まり、千葉工業大学のキャンパスも広がっているほか、さらなる再開発が進んでいる。
津田沼IVFクリニックは津田沼駅南口から徒歩4分、千葉県船橋市前原西に2010年11月に開業したクリニックである。津田沼IVFクリニックでは不妊症治療全般を扱い、特に体外受精、顕微授精、人工授精を専門に診療している。開業にあたってはクリニックだと分からないような外観や建物の配置など、不妊症に悩む方の心情に配慮したこだわりを追求したという。
今月は津田沼IVFクリニックの吉川守院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
小学生の頃に読んだ本がきっかけです。お母さんと子どもがいる家に往診の医師が来るシーンがあり、その医師が病に苦しむお母さんの枕元に座っただけで病状が和らいだというところを読んで、感動しました。それからは迷わず、医師になりたいと憧れていたのですが、一方では医師になるのは難しいんだろうなあと思い込んでいたんですね。塾にも行っていなかったので、受験のこともよく知らなかったんです。ところが、高校2年生のときの模擬試験の結果を見て、何とか医学部に行けそうだと分かりました。医師になれるとは思っていなかっただけに、嬉しかったですね。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
学業のほか、ハンドボール部でのクラブ活動も頑張るという、普通の大学生でしたね。ドライブや遊び、アルバイトなども一生懸命にしていました。私は山梨医科大学の6期生で、私たちの入学と同時に6学年が揃ったんです。コンビニエンスストアすらないような場所に、ぴかぴかの大学と大学病院があったんですよ。ハンドボール部も作ったばかりでしたから、最初の対戦相手は地元の中学生でした。中学生用のボールは小さいんですね。攻守の度に大小のボールを交換して、面白かったです(笑)。上級生になったら、東医体でも優勝候補に挙がるようになりました。結局、優勝はできませんでしたが、かなり真剣に打ち込んでいました。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
私は小さな頃から動物が好きで、実家でも何かしらのペットを飼っていたんです。大学生になり、隣の席の友達と一緒にペットショップに行ってアパートの狭い部屋でミニウサギを飼うようになりました。また、アロワナなどの多数種の熱帯魚も飼っていました。アロワナは生きているものを食べるのですが、山梨県は温泉が豊富ですから、温水が流れている川があるんです。そこに網を持っていって、グッピーやメダカなどを獲っていましたね。アロワナを育てるには餌の確保や温度管理が大変でしたが、かなり大きくなったので、ペットショップの店員さんに誉められましたよ(笑)。
◆ 専攻を産婦人科に決められたのはいつですか。
卒後5年目のときです。当時はストレート研修の時代ですが、私はパーツを診たくないという思いが強く、今のようなスーパーローテート研修を行っていた病院で研修することにしました。4年間、内科、外科のみならず、眼科や耳鼻咽喉科、リハビリテーション科など、ほぼ全ての診療科をローテートしたんです。産婦人科は学生のときから興味がありました。医学教育の中でほとんどの疾患が原因不明だと教わったのに、産婦人科はメカニズムがダイナミックであること、メインであるホルモンにしても理路整然とした分かりやすさがあることに惹かれました。ですから、学生時代から産婦人科に行きたいと公言していたのですが、一通りのことを学びたかったので、スーパーローテート研修をしたんです。総合的に学べたお蔭で、麻酔科の知識などは今でも役に立っていますね。
◆ それから亀田総合病院に勤務されたのですね。
実家が千葉県にありますし、千葉県に戻ってこようかと思ったのです。当時はインターネットもなかったですし、雑誌で求人を探しました。房総半島の海に憧れたところもあって、亀田総合病院にお世話になることにしました。
◆ 不妊治療に興味を持たれた理由をお聞かせください。
学生時代から産婦人科に興味を持ち、産婦人科医になりましたが、産婦人科医の仕事は朝から晩までの分娩のほかはがん治療です。そのため、不妊症の患者さんの診察機会はなかったですね。当時は不妊に悩む方もあまりいないとされていましたが、私は不妊症の方は多くいらっしゃると確信していました。そんな方々を救いたい、役に立ちたいと思っていたんです。
◆ 個人経営のクリニックにも勤務されていますね。
開業を意識したからではありません。病院勤務が長くなりましたし、そろそろ病院でないところに勤務して、新たな経験を積みたいと考えたからです。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
病院には手術室など、高度な医療設備が揃っていますし、麻酔科の医師、検査技師、薬剤師といったチームの仲間もいます。そういった「土俵」が用意された場なんですね。高度医療にしろ、地域医療にしろ、多くの信頼できる医師やスタッフに囲まれて、「かかりやすい外来と快適な入院生活」という信念を具現化していました。
夜や週末など、いつでも、誰でも、どのような状態でも診ようという気持ちを持っていました。病院は来たくて来る人は皆無という、世の中で唯一の場所です。その中で快適さを感じていただきたかったんですね。私たちは毎日のように分娩に接していますが、妊産婦さんにとっては一生に一度かもしれないことだから、人生最大のイベントにしてさしあげたかったです。スタッフにはよく「分娩はセレモニーだ。結婚式以上のものにするぞ」と言っていました。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
不妊症に悩む患者さんの多さと、産婦人科医師や病院数の少なさとのアンバランスを感じたことがきっかけの一つかもしれません。妊婦さんと並んで診察を待っている患者さん夫婦を見ることも辛かったです。不妊症治療専門クリニックが必要と感じたので、開業を決意しました。
◆ 開業地はどのように探されたのですか。
出身地の千葉県船橋市で社会貢献をしたいと考え、JR津田沼駅とJR船橋駅の周辺を集中的に探し始めました。不妊治療専門のクリニックには診療圏という概念はなく、患者さんは遠いところからでも来られます。そのため、快速停車駅でないといけないと思いました。結果として、津田沼駅から徒歩4分の場所が見つかりました。東京で仕事を5時に終えても津田沼には30分で着きますから、通勤している方にも利便性がありますね。
◆ 開業地の第一印象はいかがでしたか。
駅から近いうえに、JR線や京成電鉄、新京成電鉄などの私鉄線、バスやタクシーなどの公共交通機関にとても恵まれていますので、多くの方、そして遠くの方にも利用していただきやすいと感じました。
◆ 開業にあたって、マーケティングはなさいましたか。
開業支援のコンサルタントに、人口、年齢層、同業診療所や病院の状況などを調べていただきました。また、その時点で新規参入のなさそうなことも調査しました。ただ、診療圏などは気になりませんでしたから、銀行への事業計画書を作成するためのデータが欲しかったんです。
◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
開業支援の業者は多くありますが、信頼できる担当者と二人三脚で進んでいきました。手帳が真っ黒になるほどのアポイントがあり、携帯電話の充電を日に何回もするほど、電話が鳴り続けましたね。苦労したことは目指す医療の可視化、無から有の創造ということでしょうか。更地の上に快適で安全な生活空間を作ることは大変ですが、そういったハードよりもソフトを作り上げることの方がはるかに難しかったですね。人材教育や患者さんへの資料作りなど、医療をなし、継続するうえでの方法を考えていくことに時間を費やしました。
◆ 医師会には入りましたか。
地域医療の発展、地域住民の健康などのために、船橋市医師会に加入しています。千葉の県民性はおっとりしていると言われていますが、加入にあたってはウェルカムな雰囲気で有り難かったです。実際に産婦人科のある医療機関は不足していますしね。現在、私どもは子宮がん検診の協力医療機関となっています。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
院長の私のほかは常勤看護師3人、常勤事務3人、常勤胚培養士1人でした。開業当初は勤務医時代の伝手がありますので、スタッフ集めに苦労することはありませんでした。逆に、開業してしばらく経つと「知り合いの知り合い」といった人脈も尽きてきますので、苦労していますね。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
千葉県内最大の不妊症治療専門クリニックになるよう、建物の大きさや医療設備の充実を意識しました。地域でナンバーワンの座は動かしたいものですし、経営も安定してきます。どんな事業でも借金を恐れて小規模に開業するよりも、大きくやっていった方がうまくいくのではないでしょうか。私は患者さんはいると信じていましたし、恥ずかしくない設備にしたかったんです。途中で新しい設備を入れるとなるとスタッフが混乱しますし、スタッフの働きやすさや遣り甲斐のためにも、最初から良い設備を入れました。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
無数にあります。全てにこだわっていると言っても過言ではありません。勤務医時代に見てきたことを活かし、実現させました。一般のハウスメーカーに依頼しましたが、設計士はいません。私とスタッフで考えていったんです。事務スタッフにも、胚培養士にも、空間だけを提示し、「働きやすいように設計して」と頼みました。私は責任とお金の担当でしたね(笑)。
不妊症治療のクリニックと無関係者に悟られないこともこだわりです。診療所名を津田沼IVFクリニックとしたのも、クリニックということ以外は診療科目も何も分からなくしたかったからです。クリニックとは思えない外観のうえ、目立たないように敷地の奥に建築することにしました。今は通りすがりの方に「レストランですか」と尋ねられたり、宅配業者に「場所が分からない」と言われますね(笑)。
そして、通院することが苦痛にならない、また通院したくなるような環境作りです。庭を作ること、建物の外装や内装をクリニックとは思えない非日常的なものとすること、待ち時間が不快でなく、眠くなるような環境にすることにこだわりました。また、患者さん同士の目線が合わない椅子や壁の配置にしたうえ、ゆったりとした居場所を確保する大型の肘付き椅子を導入したり、説明やカウンセリングを行うための個室の充実を図りました。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
不妊症治療全般、特に体外受精、顕微授精、人工授精を専門に診療しています。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
患者さんが自身の身体の状況を正しく知り、多くの治療方法の中から自身で治療法を選択するという方針で診療をしています。理解と納得ということですね。医療に素人の患者さんには難しいと聞こえるかもしれませんが、身体の状況や妊娠のメカニズムを知ることで妊娠しやすくなることも多いうえに、妊娠してもできなくても満足感や達成感を感じて、その後の人生を豊かに送るためには必要なことと考えています。そして、患者さんを名前で呼ばず、診察券番号を表示するなど、不妊症に悩む方の心情を汲むことを心がけています。
完全予約制で、患者さんは色々なことをうちに秘めていますから、初診では1人の患者さんに2時間から3時間はかけています。患者さんにじっくり説明を行う医療機関は増えてきましたが、「患者さんの話をしっかり聞く」ところはまだ少ないです。私どもでは「話を聞いてくれた」と感謝していただいています。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
20代から40代半ばまでのいわゆる生殖年齢の方々です。
◆ どのような内容の検査を行っていらっしゃいますか。
ホルモン検査、超音波検査、子宮内視鏡検査、子宮卵管造影検査、尿検査、精液検査などを行っています。
◆ 病診連携については、いかがですか。
妊娠された方をご希望の産科病院、診療所へ紹介しています。MRIやCTなどの検査、私どもで対応できない入院、手術、疾患は近隣の病院へご紹介します。船橋市立医療センター、千葉市立海浜病院、千葉県済生会習志野病院、千葉大学医学部附属病院などが多いですね。
◆ 経営理念をお教えください。
地域医療に最も必要で重要なことは医療機関が存在している安心感と考えています。長く継続することです。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
主に院内で教育をしていますが、学会参加や資格取得のための講習会参加を積極的に勧めています。学会費用を出していますので、参加後は発表と報告を義務づけています。留守番していたスタッフにも知識を共有しないといけませんしね。朝礼は部門ごとに行い、全体ミーティングが月に2回、あります。全体ミーティングではアクシデントやインシデント、患者さんからのクレームの共有と改善を話し合ったり、事務連絡をしています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
一切、行っていません。ホームページを作ったのも最近です。駅や電柱の看板はもちろん、敷地内にも看板はありません。職員募集の折り込み広告もしないですね。口コミだけです。しかし、口コミは口コミする方も責任がありますから、一番強いんです。患者さん同士がどこかで繋がっていますし、私どもを信頼してくださっています。医療機関に必要なことは誠実と精進だと思います。地域の要望にまだ十分に応え切れていませんので、医師の増員により、少しずつ実現していきたいですね。
開業に向けてのアドバイス
人にアドバイスできることなどありません。私自身が毎日、悩みもがいています。強いて言うならば、人として強くなることでしょうか。開業後は誰も救ってくれないし、緊急時に呼べる人もいません。一人で全て解決しないといけないんですね。勤務医時代は同業者か製薬会社の人ぐらいしか接していなかったのに、開業後は行政機関や銀行などの異業種の人たちと繋がりを持たなくてはいけません。経営者でもありますから、資金繰り、スタッフ確保、患者さんからのクレームにも対応する必要があります。若いときには広く、深く、貪欲に勉強するべきでしょうね。そこで得た知識や経験は患者さんの安心感に繋がるものだと思います。
プライベートの過ごし方(開業後)
太陽の陽を浴び、空気を吸う時間を取れるようになりました。ガーデニングや犬の散歩などもしています。ただし、医師だけでなく、経営者としての仕事がありますので、何もすることがない休日を取ることは難しいです。役所や銀行巡りなどという、ちょっと格好いいことばかりでなく、電球一個でも院長が用意し、取り換えなければなりません(笑)。建具のガタツキ直し、草刈り、雪かきもしていますよ。
タイムスケジュール
クリニック概要
津田沼IVFクリニック | ||
院長 | 吉川 守 | |
住所 | 〒274-0825 千葉県船橋市前原西2-17-8 |
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医療設備 | 体外受精関連設備、手術室、麻酔器、子宮鏡下手術装置、レントゲン室、院内薬局、超音波(経膣、経腹)、子宮鏡、サンビーマー、電子カルテ、AEDなど。 | |
スタッフ | 30人(院長、副院長1人、常勤看護師3人、非常勤看護師6人、常勤胚培養士4人、非常勤胚培養士3人、常勤事務7人、非常勤事務1人、常勤看護助手2人、非常勤看護助手2人) | |
物件形態 | 戸建て | |
延べ面積 | 150坪 | |
敷地面積 | 170坪 | |
開業資金 | 8,000万円 | |
外来患者/日の変遷 | 開業当初2人→3カ月後80人→6カ月後120人→現在140人 | |
URL | http://www.tsudanuma-ivf-clinic.jp/ |