港北ニュータウン診療所
神山 一行 院長プロフィール
1971年に東京都北区で生まれる。1999年に東海大学を卒業後、昭和大学リハビリテーション科に入局し、昭和大学病院で研修を行う。2001年に東京共済病院整形外科に勤務を経て、2002年に三宿病院神経内科に勤務する。2003年に昭和大学横浜市北部病院リハビリテーション科に勤務する。2005年にあすかクリニック院長に就任する。2007年に神奈川県横浜市都筑区に港北ニュータウン診療所を開業する。
日本リハビリテーション医学会専門医・臨床認定医、日本在宅医学会在宅医療専門医・指導医、身体障害者福祉法第15条指定医、厚生労働省義肢装具等適合判定医、日本医師会認定産業医。
港北ニュータウンは神奈川県横浜市都筑区を中心にしたニュータウンで、横浜市の都心部から12キロ、東京都心部から25キロの距離にある。
1996年にニュータウン計画自体は完了したが、新規の戸建てやマンションが数多くあるため、高い人口増加率を保っている。
交通に関しては横浜市営地下鉄のほか、各社のバス路線も充実している。2008年には横浜市営地下鉄グリーンラインが日吉駅まで延伸し、東急東横線へのアクセスが可能になった。
港北ニュータウン診療所は横浜市営地下鉄ブルーライン、グリーンラインのセンター南駅から徒歩7分の場所に位置する。今月は、2007年に開業した、在宅医療を中心としたクリニックである港北ニュータウン診療所の神山一行院長にお話を伺った。神山一行先生はリハビリテーション科医で、「生活が見える在宅環境こそ、最高の診察室」との思いから開業を決意したという。開業以来、脳梗塞や骨折、パーキンソン病などの神経難病、認知症やがんの終末期医療まで、様々な疾患を抱える患者さんに対して在宅診療を行い地域の信頼を集めている。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
母が薬局に勤めていたので、私も高校時代はその薬局にアルバイトに行っていました。その頃は薬剤師に興味があったのですが、薬局の社長から「医師はいい仕事だ。これからさらに必要とされる職業になるはずだから、目指してみたら」と勧められたのがきっかけです。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
医学部のオーケストラ部に入り、トランペットを吹いていました。私はもともと体育会系で、高校ではラグビー部に入っていました。大学でもラグビーを続けようと思っていたのですが、都内から通っていましたので、ラグビーをしていたのでは終電に間に合わないんですね。それで、友達に誘われたこともあり、オーケストラならいいかなと入部しました。人生の中で楽器の演奏をすることになるとは想定外でしたし、音を出せるようになるまでが大変でしたが、慣れてくると楽しかったですね。
◆ 大学時代はどんな趣味をお持ちでしたか。
熱帯魚の飼育で、今も続けています。小さい頃から好きだったんです。大学時代は途中から一人暮らしし、水槽は常に10個以上、最大で15個ありました(笑)。水草が中心で特にコケに興味があります。
◆ 専門をリハビリテーション科に決めたのはどんな理由からですか。
私は開業志向が強く、手術にも興味があったので、最初は眼科医になろうと考えていたんです。眼科と言えば昭和大学が有名でしたので、友達と見学に行きました。その際、友達がリハビリテーション科も見学するということで、私もついていったら、何とも言えない居心地のよい医局だったんです。その雰囲気に誘われリハビリテーション科に進んでしまいました。
◆ 昭和大学のリハビリテーション科に入局されたのですね。
はい、本当に良い選択をしたと思っています。学生時代に研修もしていない予定外のリハビリテーション科でしたから、研修当初はリハビリテーション科医が何をするかも知らなかったんです。「私は○○科医になるんだ!!」と長く心に決めていた人は研修中に「こんなはずではなかった」と理想と現実のギャップに悩まされることもあるようですが、私の場合は研修しながら「こんなこともリハビリテーション医の仕事なんだ」と感動の連続でしたね。とりあえず入局してみたら楽しかったという感じでした。
◆ リハビリテーション科の面白さはどんなところにあるのでしょう。
疾患だけでなく障害に対してもアプローチするところでしょうか。内服薬による治療だけでなくブロック注射なども行ったり、必要であれば装具の作成も行います。理学療法士や作業療法士とのチーム医療を行うことや、退院後の生活を考えてアプローチしてゆくことも面白かったですね。また、昭和大学のリハビリテーション科は日本で数少ない手術を行うリハビリテーション科だったのです。切断や腱延長術などの手術を学べたことも勉強になりました。
◆ 整形外科や神経内科のご経験もありますね。
昭和大学リハビリテーション科では「医師としての幅を広げる為にほかの診療科も経験しなさい」という方針で、2年間他科を学ぶシステムがありました。私はもっと骨関節疾患を勉強したかったし、神経難病の患者さんへの治療を学びたかったので整形外科と神経内科を選びました。整形外科では、大腿骨頚部骨折や圧迫骨折など高齢者に多い骨折へのアプローチを学びました。神経内科では、神経難病の診断に至る過程や治療など学ぶことができました。
整形外科も神経内科も、あの時学んだことがそれ以降の大学勤務時代、そして在宅医になってからも非常に役立っています。
◆ 在宅医療に興味を持たれたきっかけはどんなことだったのでしょう。
リハビリテーション科医師ですから、外来入院中の患者さんの生活動作などを診るのは当然なのですが、私は患者さんの自宅での生活にも興味があったんですね。それで医師2年目のときから在宅医療に力を入れているクリニックで非常勤医師として勤務したんです。そこで生活の場での医療の面白さに気づきました。
◆ あすかクリニックの院長に就任された経緯をお聞かせください。
あすかクリニックは非常勤医師をしていたクリニックの理事長が私のために作ってくれたクリニックで、葛飾区にありました。ここではオンコールを含めた在宅医療を経験しました。雇われている立場でしたから経営などを考える必要はく、在宅医療に打ち込むことができました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
全て開業に向けて動いていました。開業後のために経験しておきたいこと、開業時に必要なスキルなどを勤務医時代に次々に学んでいきましたね。医学部に入った頃はそこまで開業志向はなかったのですが、私は自分で色々とやっていきたい性格なので、勤務医だとうまく収まらないんですね。責任を取ることも背負いながら、自分でチャレンジしていきたいと思っていました。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
自主の方向性を決めるのは35歳がいいという考えから35歳での開業を考えていました。同級生では一番早かったですね。開業にあたっては在宅医療をメインにすることも早くから決めていました。
◆ 開業地はどのように決められたのですか。
昭和大学横浜市北部病院に勤務していたので、開業後も昭和大学横浜市北部病院と関わって仕事をしたいと思っていました。それで、病院の近くで場所を探したんです。ただ、昭和大学を退職後の2年間、あすかクリニックで働いていましたので、患者さんの引き継ぎはなかったですね。
◆ 開業地をご覧になっての第一印象はいかがでしたか。
何ヶ所か見て回りましたが、コンサルタントの方に「ここが一番クリニックに適している」と言われました。スケルトン状態ではなく、OAフロアになっていたのも良かったですし、エアコンの配置も理想的でしたね。在宅医療を行うクリニックは駐車場が必須ですが、ビルの下に確保できました。また在宅医療では駅からの距離は関係ないとも言われますが、スタッフの利便性を考えると近い方がいいので、センター南駅から徒歩7分という立地は悪くなかったです。
◆ マーケティングはなさいましたか。
全くしていません。開業して駄目だったら、ほかのエリアで再チャレンジでもいいかなと考えていました。在宅医療は初期投資が少ないので、その点は気楽でしたね。
◆ どのように広報なさったんですか。
地域の介護関係者の方々に勉強会のご案内を行い、都筑公会堂で、嚥下の勉強会を行いました。介護関係者の方々からは「9年前の勉強会で教わったことを今も覚えていますよ」と言われますので、有り難いですね。
◆ 開業にあたって、ご苦労された点はどんなことですか。
時間がなかったことです。9月一杯まで勤務して、10月10日に開業し、11月1日から保険診療を開始しました。私はゆっくり開業準備を行いたかったのですが、周りから「仕事をしていない期間が長くなるのは勿体ない」と急かされたんです。内装の業者さんからは「1日かけて壁紙のデザインを決めてください」と言われましたが、そんな時間はなく、カタログをめくりながら「これとこれ」という感じで15分ぐらいで決めざるをえませんでしたね(笑)。
◆ 医師会には入りましたか。
横浜市都筑区医師会に入りました。昭和大学横浜市北部病院出身の先生がいらっしゃり、私が在宅医療メインで開業することをほかの先生方にアナウンスしてくださったので、心強かったです。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
私のほかは看護師が1人、医療事務が1人でした。事務スタッフには40人の応募がありましたので、スタッフ集めには苦労がなかったですね。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
用意したのはポータブル心電図ぐらいです。カルテは今も紙カルテにしています。当院は非常勤医師が多く、オンコールのみの非常勤医師もいますので、そのためだけに電子カルテの入力を覚えていただくのは負担になりますから、これからも紙カルテを使っていきます。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
時間がなかったので、何もこだわっていません(笑)。このほど、隣の部屋も借りて、2倍の広さになりました。外来スペースも充実させる予定です。患者さんやスタッフを癒やしてくれる熱帯魚の水槽は開業当初から設置していますが、診療所の拡大に伴い、水槽も大型化しました(笑)。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
リハビリテーション科、内科、整形外科を標榜していますが、在宅医療の対象患者さんは疾患が多岐にわたりますので、それ以外の診療科でも対応しています。訪問エリアは横浜市都筑区の全域と青葉区、緑区、港北区の一部、川崎市宮前区の一部です。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
依頼を断らず、なるべく早く訪問してあげたいという思いから、依頼があった翌日には伺える体制を整えるよう努力しています。患者さんからは喜ばれますよ。在宅医療は患者さん本人だけではなく、御家族との関係性も重要です。初診時にはお互いをよく知るために1時間以上かけることも多いです。初診後に同行のスタッフから「患者さんの心をまた掴みましたね」と声を掛けられると嬉しいです(笑)。
ケアマネージャーさんとのお付き合いも大事にしています。ケアマネージャーさんからの前情報は貴重ですね。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
高齢者の方がほとんどです。疾患としては認知症が一番多いです。脳梗塞や骨折などによりADLが低下した方も多いですね。末期がんの中には比較的、若い方もいらっしゃいますが割合としては少ないです。痛みのコントロールを中心としたターミナルケアを行い、在宅での療養生活をサポートしています。年間の看取りは30件ぐらいです。
◆ 勉強会を盛んに開催されていますね。
開業以来、ほぼ毎月行っていますので、80回を超えました。地域の医療介護関係者が40人ぐらい集まっていただいています。医師対象の勉強会は多く開催されていますが、コメディカルスタッフや介護の関係者対象の勉強会は少ないので始めた取り組みです。勉強会が我々の負荷軽減に繋がっています。嚥下のポジショニングや、食形態変更などの試みを介護の方が先にしてくれたり、褥瘡予防へのアプローチをすすめてくれたりすることで、それまで我々が担っていた部分を介護スタッフが行ってくれるようになりました。褥瘡の勉強会もしていますので、実際に褥瘡でのご依頼は減っていますね。
◆ 病診連携については、いかがですか。
疾患によりますね。内科的な疾患に関してはその都度決めています。脳神経外科は横浜新都市脳神経外科病院、整形外科は昭和大学横浜市北部病院へ依頼することが多いです。
◆ 経営理念をお教えください。
国の方針にある程度、乗っていきながら、自分の好きなスタイルの中で何とかやっていけたらと思っています。国民皆保険制度の下で診療を行いますので、国の方針に従うのは仕方ないですね。2016年の診療報酬の改定後はさらに厳しくなるでしょうが、国の方針にうまく乗りつつ自分のスタイルを維持できたらと思います。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
毎朝の申し送りで、前日、当日、新規の患者さんについての情報共有や連絡を行っています。
月に1回は院内勉強会を開催し、それぞれのスタッフがそのスタッフしか行っていない仕事を皆にアピールする場にしています。
お互いが忙しいのに、なぜ忙しいのか分からない、その仕事にどれだけの時間がかかるのか分からないといった状況がありましたので、スタッフが自分の仕事を明らかにすることで、お互いが理解し、助けてあげようという雰囲気になればと思っています。
さらには、その仕事をほかのスタッフもできるようになるのが理想ですね。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
開業当初は施設からのご依頼が続き、半年で100人の患者さんを抱えることになりましたが、最近は一般在宅に力を注いでいます。増患対策はしていません。ホームページはありますが、そのほかは『頼れるドクター 田園都市』と横浜市、川崎市の地域情報誌である
『ビタミンママ』に出稿している程度です。
開業に向けてのアドバイス
在宅医療を中心とした診療所の開業は止めた方がいいです(笑)。診療報酬は2014年4月の改定に続き、今年の4月にも改定になります。前回の改定も非常に厳しいものがありました。
プライベートの過ごし方(開業後)
熱帯魚の飼育が趣味です。クリニック内の水槽をリニューアルしたので、さらに楽しみになりました。日本で3番目に大きな水草水槽のようです。また、30年ほど前からスキューバダイビングも続けています。バンコクに家を借り、週末だけ出かけることもありますね。子供服の制作販売などを行っています。日本では医療、タイでは衣料の仕事をしています(笑)。
タイムスケジュール
クリニック平面図
クリニック概要
開業資金詳細 | ||
開業資金 | 総額:2,000万円 自己資金:1,000円 継承譲渡金額:0円 金融機関借入:1,000万円 運転資金として1000万円を用意しましたが、ほとんど手付かずだったと思います。 医療機器や往診車などをリース契約にしました。1,000万円あれば充分なのかなと思います。 |
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広告宣伝費 | 「頼れるドクター」「ビタミンママ」という地域雑誌に出稿している程度です。 | |
内装工事 | 開業資金総額に含まれます。 | |
医療設備 | 開業時はポータブル心電図くらいだったと思います。必要な医療機器はリースで調達しました。 | |
医師会 | 4つの医師会(日本医師会・神奈川県医師会・横浜市医師会・都築区医師会)に加入しました。入会が認定されるまで入会金はわかりませんでした。 |
港北ニュータウン診療所 | ||
院長 | 神山 一行 | |
住所 | 〒224-0032 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎中央17-26 ビクトリアセンター南301 |
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医療設備 | ポータブル心電図など。 | |
スタッフ | 18人(院長、常勤医師1人、非常勤医師8人、常勤看護師1人、常勤事務2人、常勤診療助手兼ドライバー5人) | |
物件形態 | ビル診 | |
延べ面積 | 60坪 | |
敷地面積 | 60坪 | |
開業資金 | 1,000万円 | |
URL | http://kouhoku-newtown.com/index.html |