南平山の上クリニック
八幡 憲喜 院長プロフィール
1951年に東京都日野市で生まれる。1984年に東京医科歯科大学を卒業後、1992年まで東京健生病院外科に勤務する。1991年は半年間、麻酔科を研修する。1992年に木古内町国民健康保険病院に勤務する。木古内町国民健康保険病院副院長に就任する。2006年に東京都日野市に南平山の上クリニックを開業する。
日本外科学会会員、日本消化器外科学会会員、日本消化器内視鏡学会会員、日本ペインクリニック学会会員など。
東京都日野市は宿場町として栄えた歴史があり、新選組の土方歳三の出身地としても知られている。現在はJR中央本線、京王電鉄京王線、多摩都市モノレール、中央自動車道が通るなど、交通の要衝となっているほか、恩賜上野動物園と並んで、都内有数の規模を持つ多摩動物公園も所在する。
南平山の上クリニックは日野市南平に位置する。京王電鉄京王線の南平駅から徒歩8分、ウグイスの鳴く声がする小高い丘の中腹に、2006年に開業したクリニックである。八幡憲喜院長は北海道の病院勤務が長く、地域医療のプロフェッショナルである。南平山の上クリニックではがんのターミナルケアの在宅医療を中心に、外来ではペインクリニックにも力を入れている。
今月は南平山の上クリニックの八幡憲喜院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
はじめは大学で化学を専攻していたのですが、70年安保等、大学紛争があり、自分の中で進路が変わってまったんです。当初は何でもできる医師になりたかったので、外科からスタートしましたが、そのうちに治らない患者さんのあり方が医療の中で大切なのだと気づき、そういう医師を目指すようになりました。
◆ 大学時代はどんな趣味をお持ちでしたか。
読書でした。色々なジャンルの本を読んでいましたよ。今は俳句が趣味に加わりましたので、今の趣味と言えば、俳句と読書ですね。
◆ 専攻を外科に決められたのはいつですか。
大学時代です。はじめは精神科を勉強しようと考えていたのですが、まずは切れるところまで診たうえで、心を診られたらいいなと思い、外科にしました。卒後20年間は外科を中心に仕事をしていました。
◆ 精神科や麻酔科の研修も受けられたのですね。
手術後のフォローや手術では治らないがんの患者さんへのターミナルケアを外科だけで行うことはできません。徐々にジェネラリストへの希望が出てきて、ターミナルケアに向き合うために精神科や麻酔科でペインクリニックの研修を受けました。
◆ 木古内町国民健康保険病院に長く勤務されたのですね。
木古内町は妻の出身地なんですが、福祉医療ソースが少ないところで、様々な医療的ニーズに応える必要があり、地域医療に貢献したいと考えていましたね。14年間、勤務し、副院長も務め、病院新築のプロジェクトも立ち上げました。
◆ 在宅医療に興味を持たれた理由をお聞かせください。
「医療の出前」ができないものかと模索していたのです。当時から往診はあったのですが、外来にいらっしゃる患者さんと往診で診る患者さんとでは生活者として得られる情報が違うんですね。やはり治療にあたっては患者の生活に寄り添って、家族や地域性を考慮することが必要ですから、そこから在宅医療への様々なアイディアが浮かんできました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
私の場合は大きな病院での勤務経験は少ないのですが、勤務医時代は外科、ペインクリニック、心療内科、内科と、色々な経験を積むことができました。地方ではあらゆる疾患に対応しないといけないからです。しかし、こういった経験は開業した今でも役に立っています。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
開業への気持ちは全くなかったんです。しかし、勤務医時代に病院経営に関して、町長と意見が対立してしまったんですね。加えて、木古内町で町村合併の動きがあり、新病院の計画が延期になったという事情もありました。開業に至った理由は、自分の年齢も考えたうえで、地域医療に従事してきた経験を活かし、自分の目指す医療を行いたかったからです。地域の人の心の痛みから身体の痛みまでを癒すお手伝いをしていこうと思いましたね。その頃、仲の良い友達が亡くなったこともあり、その弔いの意味もありました。
◆ 開業地はどのように探されたのですか。
私は日野市の出身で、ここは祖父母の所有する土地でした。私の弟も医師ですので、両親が「ここで兄弟で開業できれば」と考え、買い取っていた場所だったんです。
◆ お馴染みの場所が開業地になったのですね。
祖父母の所有地でしたから、小学生のときからよく知っていましたよ。裏に多摩動物公園があるのですが、当時は柵がなかったので、自由に出入りできていました(笑)。
◆ 開業にあたって、マーケティングはなさいましたか。
一応、行いましたが、結果は良くなかったです。山の中腹にあるためか、「景色はいいけれど、診療には適さない」と言われましたね(笑)。在宅医療中心のクリニックを開業するつもりでしたから、立地はさほど問題にしませんでしたが、実際に開業してみると、外来の患者さんも多いんですね。外来の患者さんには分かりにくい場所になってしまい、申し訳ないと思っています。
◆ 開業後、ご苦労された点はどんなことですか。
カンファレンスルームを設けることです。私はカンファレンスルームで、「日野カンファレンス」を開催したいと思っていたのです。地域の医療や介護、社会復帰などの機能を持つ人たちが集まり、在宅の患者さんごとに必要なサービスの組み合わせを検討する場ですね。そこで、2014年に別棟を建設し、医師の当直室のほか、カンファレンスルームを設けることができました。日野カンファレンスも始まり、少しずつ様々なイベントが行われています。
◆ 医師会には入りましたか。
日野市医師会に入りました。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
私のほかは看護師2人と受付事務スタッフ2人でした。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
レントゲン、エコー、上部内視鏡、心電図、血圧計、レセコンなど、建物より費用がかかりました。 GEのポータブルエコーは1号機なのですが、コンパクトですし、今でも重宝しています。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
最初は弟が紹介してくれた建築業者に見積もりを依頼したら、あまりにも大規模で、費用も億単位だったのです。そこで、設計士である義理の叔父と棟梁をしている親戚に頼み、棟梁からは木で作ることを勧められました。構想は自分で行いましたが、私が棟梁にお願いしたのは待合室のスペースを広く取ることと、動線を短くすることです。患者さんは坂を登ってこられるわけですから、待合室で本を読んだり、絵を見たり、お茶を飲んだりなど、ゆっくり過ごせる、癒しの空間にしたかったんですね。結果として、どの部屋からも山の緑が目に入る、開放的な木造建築になりました。珍しいクリニックに仕上がりましたので、満足しています。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
宅医療では外科出身であることを活かしています。硬膜外ブロック療法、中心静脈栄養の穿刺、管理、人工呼吸器の管理、点滴を含めた対応、輸血を行っています。在宅医療では250人近くの方々をケアしていますが、そのうち1割の方が終末期の患者さんです。急変される患者さんもいますから、毎晩9時頃まで、看護師と一緒に患者さんのご自宅に伺っています。
外来は内科・心療内科が中心で、ペインクリニックも多くなり、星状神経節ブロックよる痛みと自律神経の諸症状の改善、硬膜外ブロックを中心とした疼痛治療、がんの疼痛緩和、帯状疱疹の治療に力を入れています。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
トータルで診るということを心がけています。患者さんにお聞きするのは「食べられていますか」、「眠れていますか」、「痛いところはありませんか」、「苦しいところはありませんか」ということです。これが意識下の原則ですね。心身一如、意識上と意識下のバランスを保つことが大切なのではないでしょうか。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
開業前は高齢の患者さんが多くなることを予測していましたが、実際は30代、40代、50代の患者さんが中心です。心療内科を標榜していますので、半数以上が心療内科の患者さんとなり、患者さんの平均年齢は50代になるでしょう。
◆ どのような内容の健診を行っていらっしゃいますか。
日野市の高齢者無料健診を行っています。そのほか、糖質制限、ストレッチ、深呼吸、リラクゼーション、瞑想の効果などもご案内しています。
◆ 病診連携については、いかがですか。
日野市立病院、多摩南部地域病院、東海大学八王子病院を中心に連携しています。病院との連携は特定の紹介先がありますので、逆紹介もあるのですが、診診連携に難しさを感じています。木古内町で勤務医をしていたときは限られた病院、診療所、施設しかありませんでしたので、地域の一体化が図れていましたが、日野市はやはり規模が大きいですから、まとめるのは大変ですね。そのための「日野カンファレンス」でもあります。日野カンファレンスは地域ぐるみで、一人の患者さんをフォローするものですし、患者さんが望むことを何よりも尊重するシステムです。
◆ 経営理念をお教えください。
全人的に患者さん生活・生き方に視点を置いて、ターミナルケア、ペインクリニック、心療内科など、患者さんにとって必要なものをよろず医者のように提供していきたいです。また、病院や医院との連携のほか、訪問看護ステーション、ケースワーカー、高齢者や身体障害者の介護施設、介護支援所との連携も進めています。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
日野カンファレンスにも参加してもらっていますし、それぞれのジャンルに応じた教育を行っています。また、事務のスタッフにも訪問時に同行してもらい、現場でどのような医療が行われているかを見学させています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
最初は電柱広告をしていましたが、今は本数を減らしています。また、ホームページに関しても、現状ではこれ以上の患者さんを対応するのは困難ですので、控えているところです。今後は二診体制にすることを検討中です。
開業に向けてのアドバイス
患者さんを集めることを考えるよりも、患者さんを思う気持ちを強く持つことです。そのためには自分のスタンスをしっかり確立しておかなくてはいけません。そして、開業後は患者さんの具合が悪くなったときに、きちんと相談に乗れる体制を作ってほしいですね。
プライベートの過ごし方(開業後)
自由な時間は俳句を考えているが、ジャンルを限らず、発想を全く変えてくれそうな本を雑読しています。
タイムスケジュール
クリニック平面図
南平山の上クリニック | ||
院長 | 八幡 憲喜 | |
住所 | 〒191-0041 東京都日野市南平8-4-26 |
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医療設備 | レントゲン、超音波、内視鏡、レセコンなど。 | |
スタッフ | 14人(院長、常勤医師人、非常勤医師1人、常勤看護師6人、常勤事務4人、社会福祉士1人) | |
物件形態 | 戸建て | |
延べ面積 | 46坪(外来病棟) | |
敷地面積 | 46坪(外来病棟) | |
開業資金 | 約5,000万円 | |
外来患者/日の変遷 | 開業当初20人→3ヵ月後 30人→1年で50人、現在60人 | |
URL | http://メディモ.com/presses/109997/ |