やまと診療所
安井 佑 院長プロフィール
1980年に東京都新宿区で生まれ、神奈川県横浜市、イギリス、東京都板橋区、アメリカなどで育つ。2005年に東京大学を卒業後、国保旭中央病院で初期研修を行う。2007年にNPO法人ジャパンハートの活動で、ミャンマーで国際医療支援に従事する。2009年に杏林大学病院に勤務する。2011年に東京西徳洲会病院に勤務する。2013年4月に東京都板橋区高島平にやまと診療所を開業する。2015年に法人化を行う。2016年8月に東京都板橋区東新町に移転を行う。
日本形成外科学会に所属する。
東京都板橋区東新町は板橋区南部に位置する住宅街である。町内にある安養院は真言宗豊山派の寺院であるが、豊島八十八カ所霊場の一つであり、板橋七福神の弁財天としても知られている。
やまと診療所は在宅医療専門のクリニックとして、高島平に2013年4月に開業した。最寄り駅は東武東上線の上板橋駅とときわ台駅で、どちらからも徒歩12分の距離である。また、近くを路線バスが走っており、池袋駅や都営地下鉄大江戸線の光が丘駅へのアクセスが容易となっている。やまと診療所では「全ての板橋区民が安心して家で暮らし続けられるような体制を作りたい」をコンセプトに、専門医師による診療体制と在宅医療PAの育成を特徴にした医療を行っている。
今月はやまと診療所の安井佑院長にお話を伺った。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
高校2年生のときに父をがんで亡くしたんです。中学3年生のときからアメリカに住んでいたのですが、父にがんが見つかり、日本に帰ってきました。父は日本で治療を受けましたが、3カ月後に亡くなりました。当時も既に医師の説明は丁寧でしたが、「来週にCTを撮って、再来週に結果をお話しします」と言われても、「どうして明日、撮らないんだろう」と疑問に思ったりしたんです。私なりにがんについて調べても、医師が知っていることには及びません。次に自分の大事な人が病気になったときに、このような無力感を味わいたくないと考えたのが医師を目指したきっかけです。医師ではないものになりたくなかったとも言えますね。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
医学部のサッカー部と並行して、全学の少林寺拳法部にも入っていました。アルバイトは塾の講師もしましたし、スタジオを設営する仕事をしたり、マクドナルドでも働いていました。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
イベントサークルなどのサークルを2、3個、作ったんです。スノーボードのサークルにも入っていましたので、スノーボードも趣味の一つでしたね。アクティブに過ごした大学生活でした。
◆ 初期研修の病院を国保旭中央病院に決めたのはなぜですか。
臨床研修制度が必修化されて2年目でしたので、あまり情報がありませんでしたが、市中病院で研修して、鍛えてもらいたいと考えていました。そこで、以前からスーパーローテートで研修を行っている市中病院をピックアップしたんです。沖縄県立中部病院なども良かったですが、わざわざ遠いところに行くこともないと思い、国保旭中央病院を選びました。国保旭中央病院には地域を守るといった理念があり、全ての救急を引き受けています。私も全科ローテートを行い、救急も数多く診ました。期待通りの初期研修でしたね。
◆ 初期研修後にミャンマーにいらしたのですね。
初期研修の2年間を終えたときに、医師を目指したときの目的を達成できた気がしたんです。大事な人が病気になったとしても、専門を究めている友人たちに繋げることもできると考えました。私は日本、イギリス、アメリカで暮らしたことはありましたが、いわゆる途上国で暮らしたことがなかったので、途上国でのリアルな暮らしも経験したかったんです。もともと生死に関心があったのですが、それをなかなか実感できていないという思いもあった頃にジャパンハートを紹介されました。そして、初期研修2年目の夏に1週間ほどミャンマーで過ごしてみて、ここだと確信しました。
◆ ミャンマーではいかがでしたか。
ジャパンハートは吉岡秀人先生の魂で動いている組織です。24時間体制で手術したり、電気もなく、ハエが飛び回るところで診療したりなど、医療者としての原点を体験しました。当時ミャンマー人の平均寿命は50~60歳ぐらいなんです。軍事政権下で生きる人々、上座部仏教を背景にした輪廻転生の死生観を持つ人々を診て、生死への関心をさらに深めました。輪廻転生の死生観があると、死を自然なものとして受け入れるんですね。日本人もミャンマー人のような形で死と向き合えたらと考えるようになりました。
◆ 形成外科がご専門なのですか。
卒後4年間は何でも屋として診療にあたってきましたが、専門領域として形成外科を選びました。ミャンマーでの手術は形成外科領域が多いんです。一つにはがんを見つけるための医療体制が乏しいこともあります。そこで、ミャンマーに行く前から形成外科を勉強していました。ミャンマーでは「日本人が病院をやっている」という話が広まると、トラックを借りて、村の人たちが皆、やって来るんです。口唇裂や熱傷後瘢痕、甲状腺腫といった、外から見える疾患の治療を主にしていました。そして、帰国後に症例数の多さに惹かれて、杏林大学の形成外科に入局したんです。
◆ 杏林大学病院、東京西徳洲会病院にも勤務されていますね。
形成外科医として、勤務しました。杏林大学病院は大学病院ですから、形成外科医だけで30人ぐらいいましたが、東京西徳洲会病院は3人という体制だったんです。でも、部長の先生と仲良く仕事をしていました。そこでは市中病院でのマネジメントを学びました。
◆ 在宅医療に興味を持たれたきっかけはどんなことだったのでしょう。
ミャンマーは2008年にサイクロンのナルギスに襲われ、7万人が亡くなりました。外国人立ち入り禁止の場所でも緊急支援活動を行っていました。そして、日本でも東日本大震災が起きました。動かないという選択肢はなかったですね。私は医療チームの一員として、被災地での診療に携わりました。私は医師なので現地に入りやすいのですが、20代、30代の若者はそういうわけにはいきません。現場に入るとかえって迷惑なのだという雰囲気がありましたので、そういう人たちが現場に行けるスキームを構築したんです。避難所の方たちは明るいものを欲しているし、温かい食べ物が食べたいとも言っていましたから、お祭りを開催したりしました。東京の若者をのべ500人は連れていきましたね。震災から半年ほど経つと、引き上げる医療チームも増えたので、私達は登米市立登米市民病院で週末の当直を東京の医師が代行する制度を始めたんです。登米市は医療チームのベースがある土地でしたし、もともと医師不足で悩んでいる病院です。そういった経験から、地域づくりするための在宅医療を行いたいと考えるようになりました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
日本の形成外科では、少しでも傷を目立たせなくする為に、こだわり続けるという専門性の高い技術を学びました。また、アルバイトで高齢の患者さんがほとんどの慢性期病院に行ったり、徳洲会では経営的なことも勉強させていたりし、勤務医時代に日本の様々な病院がどのように機能しているのかを学べたのは良い経験でした。
開業の契機・理由
◆ 開業の動機をお聞かせください。
東日本大震災が起きる前から大学の同級生である田上祐輔医師と社会のインフラとしての医療を変えようと話していました。地域をどう作っていくのか、箱型ではない在宅医療をどう行うのかといった、新しい医療を模索していたんです。そこで、登米市で田上医師が、東京で私がそれぞれ開業し、地方型と都市型のモデルを登米市と東京で作っていくことにしました。
◆ 開業地はどのように探されたのですか。
地域事業として考えていたので、板橋区の高島平を選びました。板橋区は私が育ったところでもあります。高島平には団地があり、多摩ニュータウンと並んで、高齢化率が高い地域です。そこで終末期の患者さんを中心に在宅医療を行おうと思いました。しかし、手狭になってきたので、2016年8月に現在地に移転してきました。
◆ 移転先をご覧になっての第一印象はいかがでしたか。
開業して2年目ぐらいのときから移転の検討を始めましたが、物件探しには1年ほどかかりました。板橋区の中心に近いところで探したんです。ここは駅が遠いという第一印象でしたが建物が良かったのが決め手になりました。
◆ 開業時にはマーケティングはなさいましたか。
行政の地域包括ケアの部署に話を聞きに行った程度です。在宅医療を行う診療所、看取りまで行える診療所が全国的に不足していることを改めて知りました。
◆ どのように広報なさったんですか。
地域で働く、ケアマネージャーや病院の退院支援を行う相談員の方などご挨拶をする程度でした。いわゆる直接的な広報というよりは、そういった方々から頂いた患者相談を受け、どんな方でも断らず診てきたことが、図らずも一番の広報になりました。
◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
私と田上医師が週に半分ずつ勤務していたほか、看護師1人、事務スタッフ1人という体制でした。
◆ 開業にあたって、ご苦労された点はどんなことですか。
正直、苦労はなかったですね。幸いにも、一緒に被災地支援をした仲間に、医師がいて、看護師も、事務スタッフもいました。最小単位で、診療が始められたので、スタッフ集め、資金繰りも上手くいきました。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
機器は、ポータブルエコー。それ以外は、在宅で治療を行うにあたって必要な、医薬品から、医療物品などを揃えました。
◆ 今の建物の設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
3階建ての戸建てです。1階は外来スペースのほか、2床の入院スペースを作りました。これは一人暮らしの方の最期を看取るためのものです。2階は事務スペースで、オープンアドレスなことが特徴です。それぞれのスタッフがフラットに繋がって、情報交換ができるようになっています。3階には図書室、会議室、休憩室、ロッカールームがあります。休憩室は和室なんですよ。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
在宅診療を主としています。しかしながら、勤務をする医師の専門分野は、内科、緩和ケア科、循環器内科、心療内科、形成外科など様々です。在宅医療の診療エリアは板橋区が9割で、残りが練馬区、埼玉県和光市です。緩和ケア科、循環器科、心療内科は専門医が在籍しています。心不全で入退院を繰り返す方や閉じこもりがちな方がいらっしゃいますので、循環器科や心療内科は在宅医療でもニーズがありますね。また、私の専門は形成外科ですので、褥瘡や大きな傷を診ています。しかし、それぞれの専門がありながら、患者さんが最期までご自宅で過ごせるように、「何でも診る」ことを心がけています。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
「全ての板橋区民が安心して家で暮らし続けられるような体制を作りたい」ということです。地域包括ケアの究極の目的は年齢を重ねても、病気になっても、住み慣れた家で暮らし続けられることにあります。そのために医療の面から「その人らしい生き方を最期まで支える」ことを使命としています。特徴としては、まず「専門医師による充実した診療体制」が挙げられます。ご自宅で最期を迎えたい方への在宅緩和ケアをはじめとして、心不全などの循環器疾患、褥瘡などの大きな傷、精神疾患に至るまで、経験豊富な医師が診療を行っています。
◆ アメリカのPA(Physician Assistant)制度を取り入れていらっしゃることも特徴ですね。
ご自宅でしっかり診る在宅医療を定義したら、医療は2割に過ぎず、ほかの8割は調整なんです。この調整の部分も全て医師が行えば「赤ひげ先生」なのでしょうが、現代では難しいです。アメリカに住んでいた頃、医師が医師の仕事だけを行っているのを見ていましたから、日本の大学病院で若い医師が雑用などの労働力になっていることに違和感がありました。アメリカでのPAは医師の監督のもとで医療行為をすることができる資格です。これを参考に、私どもではPA制度を導入し、また教育プログラムを作成したうえで、PAの育成も行っています。PAは患者さんのご自宅での生活を支えるために、患者さんやご家族の気持ちに寄り添い、生活環境や様々なサービスの調整にあたるスペシャリストです。2030年には47万人の看取り難民が発生すると予測されています。医師の数には限りがありますので、医師の診療業務を効率化が必要です。私どもでは医師とPAで業務や役割の選択と集中を行い、在宅医療の質と効率を向上させています。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
70歳から90歳までの方が8割です。残りは50代から60代までのがんの患者さん、先天性の障害のある子どもさんとなっています。主病分類ではがん46%、脳卒中10%、老人性疾患9%、認知症8%、呼吸器疾患6%、神経難病5%などですね。看取りのニーズは高く、2015年度は160件と、2013年度のほぼ2倍となっています。
◆ 病診連携については、いかがですか。
板橋中央総合病院、順天堂練馬病院、日本大学医学部附属板橋病院、東京都健康長寿医療センター、高島平中央総合病院、板橋区医師会病院、豊島病院、帝京大学医学部附属病院などと連携しています。板橋区は23区内で最も急性期病院が多いところですから、病診連携の環境は恵まれています。
◆ 経営理念をお教えください。
私どもだけが良ければいいというのではなく、世の中を変えていきたいです。看取りができる在宅医療診療所の作り方を分析し、ほかの地域でお手伝いができるものなのかを模索しているところです。板橋区の地域包括ケアのモデルを作れれば、ほかの22区に広げていけます。東京23区で解決できれば、日本全体で解決できるのではないでしょうか。したがって、板橋区でモデルをしっかり作っていきたいですね。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
私どもは人材育成企業ですから、教育は当然のように行っています。PAの採用時には訪問診療に関しての知識や経験を問いませんから、人材を一から育てています。PA教育は実習メインのOJTと座学を中心としたOff-JTがあります。OJTでは診療同行、接遇、連携ですね。在宅医療を理解して、適切に補助をすること、患者さんのご家族とのコミュニケーション、多職種の連携の方法を学んでもらいます。
Off-JTは学科と実技があります。学科は自己分析、コミュニケーション、目標設定、生理学、社会人マナー講習、理念、医療補助です。私が重視しているのは自己紹介をきちんと行えること、聞くこと、伝えることですね。また、命についても考えてほしいと思っています。
毎日、朝と夕方にミーティングや申し送りを行います。朝は全体の連絡事項、前日夜の緊急対応状況、重症者の共有が中心で、夕方は診療内容を全員で共有しています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
ホームページはありますが、特に増患対策はしていません。私どもで行っていることがベースであり、それにご信頼をいただければ、ご紹介に繋がると思っています。
開業に向けてのアドバイス
在宅医療にご興味がおありなら、私たちと一緒に働きましょう。診療科は問いません。
いくらでも修行できますよ。PA制度含め、使えるところは是非参考にして下さい。
プライベートの過ごし方(開業後)
サッカーが趣味です。高校時代のサッカー部のOBでチームを作り、月に2、3回のゲームを楽しんでいます。練習はせず、試合だけの集まりです(笑)。また、夜間のフットサルに参加することもあります。
タイムスケジュール
クリニック平面図
やまと診療所 | ||
院長 | 安井 佑 | |
住所 | 〒174-0074 東京都板橋区東新町1-26-14 |
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医療設備 | ポータブルエコーなど。 | |
スタッフ | 30人(院長、常勤医師4人、非常勤医師5人、常勤PA12人、常勤総合事務3人、常勤医療事務1人、マネジメントスタッフ2人、地域連携部にケアマネージャー1人、PA1人) | |
物件形態 | 戸建て | |
延べ面積 | 281.3m² | |
敷地面積 | 220.34m² | |
開業資金 | 4,000万円 | |
在宅患者数の変遷 | 当初0人→3カ月後20人→6カ月後50人→現在270人 | |
URL | http://yamato-clinic.org/ |