クリニックの窓教えて、開業医のホント

バックナンバーはコチラ

成城ささもと小児科・アレルギー科

東京都世田谷区成城は小田急小田原線の成城学園前駅を中心にした地区で、日本有数の高級住宅街として知られている。学園都市でもあり、幼稚園から大学院までの一貫教育を行う成城学園のほか、公立、私立の中学校、高校が点在する。2006年には駅ビルの成城コルティが開業し、利便性がさらに向上した。また、バス路線も充実し、渋谷駅のほか、京王線の調布駅や仙川駅、千歳烏山駅、東急田園都市線の三軒茶屋駅、用賀駅、二子玉川駅などへのアクセスも容易になっている。


成城ささもと小児科・アレルギー科は成城学園前駅の北口から徒歩1分の場所に1993年に開業したクリニックである。笹本明義院長は小児科のみならず、アレルギーの専門医でもあり、食物負荷試験や免疫治療などに積極的に取り組んでいる。
今月は成城ささもと小児科・アレルギー科の笹本明義院長にお話を伺った。

笹本明義 院長

笹本 明義 院長プロフィール

1957年に石川県金沢市で生まれ、1歳のときから東京都大田区で育つ。1982年に東邦大学を卒業後、東邦大学医療センター大橋病院小児科に入局する。東邦大学医療センター大森病院新生児科を経て、1984年に国立小児病院(現 国立成育医療研究センター病院)アレルギー科に勤務する。再び1986年に東邦大学医療センター大橋病院に戻った後、医局長を経て、1993年に東京都世田谷区に成城ささもと小児科・アレルギー科を開設する。


日本小児科学会専門医、日本アレルギー学会専門医、東京医科大学地域担当教授、東邦大学医学部客員講師、明治Seika株式会社アドバイザリー・ドクターなど。

開業に至るまで

◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 私は医師になろうと考えたことは一度もありませんでした。小さい頃から読書が大好きで、小説家になることを夢見ていました。中学時代は1日1冊は小説を読んでいましたし、中学3年生のときには処女作も完成させたんです。しかし、高校2年生の11月、母が入院した病院の屋上で、父から母が子宮体がんを発病したと聞かされたとき、私は医師を目指すことを決心します。母を奪ったがんと戦うためだけのために医師を目指したのですから、夢というよりも宿命です。母が亡くなるまでは不安感の中で、母が亡くなってからは焦燥感や虚無感の中で医療と対峙してきました。だからこそ「こころ」と「おもい」を大切にしてきたんです。そうしたら、次第に宿命だった医療への道が自分の夢へと変わりました。「こころ」と「おもい」がある人は幸せになれるし、自然と夢を掴むことができます。笑顔で人に優しくできることこそが夢を実現させる第一歩なんですね。今後、医師を辞めるときが来たら、小説を書きたいと思っています。 


◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 アルバイトばかりの日々でした。私が小学校高学年のときに通っていた塾で、ほぼ毎晩、教えていたんです。100人ほどの受講生を担当していましたから、当時の月収は研修医のときより多かったですね(笑)。教えることが得意なのかなと自信を持っていました。医学部に入っていなかったら、塾講師の仕事をしていたのではないでしょうか。


◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 麻雀ですね。今の大学生はあまりやらないようですが、私たちの頃は友達と集まるとすぐに麻雀という感じでした。私はお金を賭けないんです。大声で笑ったり、悲しんだりして、楽しい時間を過ごせれば、ストレス発散になります。義父は今、88歳なのですが、麻雀が好きなんです。認知症予防のためにも、友達を連れていって一緒にやっています。義父は負けても、喜んでいますよ(笑)。


◆ 専攻を小児科に決められたのはいつですか。
 医師を目指した動機は母が子宮体がんになったことですから当然婦人科医になるつもりでした。ところが、婦人科の実習に行ったとき、患者さんの治りが悪かったり亡くなっていく様子を見て、私には合っていないと感じたんです。それで目標を失ってしまいました。仕方なく内科に決めて、ある病院の試験を受けたのですが、内科は10倍ほどの倍率があり、不合格になったんです。小児科には受かったので、病院に行ってみたところ、外来に1日5人ぐらいしかいらっしゃらないんですよ。これでは勉強できません。塾で100人の子どもを教えていたのに、1日5人の患者さんとどう過ごすのかと思うと不安になりました。


◆ それで東邦大学医療センター大橋病院の小児科に入局されたのですね。
 卒業式後の謝恩会の席で、大橋病院の小児科の准教授でいらした小屋二六先生が「この中に小児科志望の人はいないか」と言われたので、「はい」と手を上げたらそのまま銀座に連れていかれたんです(笑)。銀座のお店で「よく来たね」と声をかけられたのですが、それが当時の浅田敏雄学長でした。帰宅して、父に相談したら、「お前のようなものに声をかけてくださったのだから行きなさい」と言ってくれたので、その日のうちに小屋先生に電話して、「お世話になります」と挨拶しました。大橋病院では小屋先生のほか、青木継稔先生にも師事しました。


◆ アレルギーを学ばれたのはどうしてですか。
 小屋先生からのご推薦があり、当時の国立小児病院アレルギー科に行くことになったのです。こちらでは昭和大学の教授になられた飯倉洋治先生のご指導を仰ぎました。飯田先生との朝の挨拶は「馬鹿野郎!」から始まります。全く気の抜けない緊張の連続でしたね。「お前が医師を志した理由に恥じない診療をしているのか」と怒られ続け、朝8時の勉強会から真夜中の回診まで、アレルギー以外のことを考える余裕がなかったです。飯倉先生の口癖は「教科書は患者さん。お前たちはここで患者さんだけを真剣に診ていればいい。そうすれば自然に『自信と責任』を持てるようになる」でした。それは電子カルテと話していても、絶対に出てこない言葉でしょう。この教えを受けて、私は「一人一人の患者さんを全力投球で診よう」と思ったものです。飯倉先生はハートの人であり、教えてくださったのは「心の医療」でした。私どもでは開業時に「今、心の医療をめざして」と掲げましたが、このベースになっているのは飯倉先生からの教えです。


◆ そして、大橋病院に戻られたのですね。
 大橋病院ではアレルギー外来を開設したり、目黒区のアレルギー検診を始めたり、喘息キャンプに取り組むなど精力的に働きました。そこへスタンフォード大学への留学の話が来たんです。しかし、私は臨床の面白さを知ってしまっていましたし、臨床医として生きていきたい気持ちが強かったのでお断りしました。それがきっかけで、開業しようという気持ちになっていきました。


◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 どの病院での勤務も楽しかったです。アルバイト先でも半日で50人以上の患者さんを診ていましたよ。多くの人数を診ることが勉強になると思い、アルバイト先でも「来週、来てね」と言っていました。


開業の契機・理由

◆ 開業の動機をお聞かせください。
 留学をお断りしたことが動機になりましたね。小児の出生数が減少するのと反比例して、アレルギー疾患は増え続けています。しかし、アレルギー疾患を本当に診られるアレルギー専門医が少ないんですね。11年間の小児科専門医としての経験を地域医療の場で活かし、「アレルギーは始め良ければ終わり良し」と言われるように、早い時期の対応を行っていきたいと考えました。


◆ 開業地はどのように探されたのですか。
 ここは妻の実家が所有しているビルなんです。開業しようと思って銀行に行ったのですが、融資を断わられてしまったので、ここで開業するしか方策はありませんでした。


◆ 開業地の第一印象はいかがでしたか。
 以前から知っている場所でしたし、特に第一印象はないですね。


◆ 開業にあたって、マーケティングはなさいましたか。
 していないです。融資を断ってきた銀行は開業後の予測を立てたようで、銀行の書類にバツ印が書いてありました。「成城には子どもはいない。1日に8.3人だ」と言われました(笑)。


◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
 お金はなかったけれど、苦労などありません。駄目なら旭川などに行って、僻地手当をいただきながら頑張ろうと思っていました。スタッフの給料を運転資金として用意しましたが、そのほかはあまりお金をかけずに準備しました。小児科の開業は比較的コストがかからないのが良い点です。


◆ 医師会には入りましたか。
 世田谷区医師会に入りました。


◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
 看護師2人、事務スタッフが妻と、現在の事務長ともう1人の3人でした。事務長は大学病院時代に診ていた患者さんのお母さんなんです(笑)。スタッフを集めるにしろ、雇用していくにしろ、困ったことはないですね。「困る」と考えるようでは開業に向いていないと思います。


◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 レントゲン、呼吸機能検査、滅菌器ぐらいでしょうか。レントゲンぐらいはないと恥ずかしいかなと思って揃えたものの、やはり必要なかったので5年後に従兄弟が開業するときに譲りました(笑)。


◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 私はもともと設計が好きで、知り合いの医院も設計しているほどなんです。ここは35坪ぐらいですが、スタッフが働きやすくなるように設計しました。そのため、処置室や点滴室を広く取っています。


クリニックについて

◆ 診療内容をお聞かせください。
 小児科とアレルギー科を標榜していますが、ほとんどの患者さんがアレルギーです。私どもでは年間300人から400人の食物負荷試験を実施しています。食物アレルギーはいつの時代も除去が大原則です。しかし全てを除去していた昔と違って、現在では今、食べられるものについては積極的に食べ続けることによって免疫をつけていく、いわゆる経口免疫療法が可能になってきました。私どもの食物負荷試験は「1歳を過ぎてからのスタート」、「アレルゲンの低いものから順にスタート」、「負荷試験に合格したら最低6カ月以上少量継続で食べていく」、「免疫がついてくれば一気に質量ともにレベルアップ」を原則としています。ご希望の患者さんには過去に実施された検査データがあれば、それをお持ちいただいて、院長外来を受診していただいています。「安全に食べられるようになること」が私の目標です。
 また、免疫療法では減感作療法(舌下免疫療法を含みます)を行っています。患者さんに悪さをするアレルゲンを続けて身体の中に入れることによって、鈍感にさせる作業です。臨床心理士による心理カウンセリング外来も行っています。完全予約制で、不登校、自閉傾向、チック、爪噛みのほか、育児や子育ての悩みを伺っています。
 講演やセミナーも積極的にやらせていただいております。今年の小児難治性喘息学会ではランチョンセミナーをまかされました。そのため、かなり遠方からも患者さんがいらっしゃいますし、舌下療法に関しては日本でもかなりの上位にいると自負しています。大学病院ではなく、1開業医である私を頼ってくださることに日々感謝しています。


◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
 安心というお土産を渡して、帰っていただくことです。私どもから帰られるときに、まだ症状が残っていたとしても、「今日、ここに来て、良かったね」と親子で口にできることです。開業時に掲げた「今、心の医療をめざして」との理念を守りながら、患者さんのご両親の声にならない声に耳を傾けていくことが私のすべきことだと考えています。だから、初診は長いですよ。初診の患者さんが多い日はスタッフはビクビクしています(笑)。


◆ 患者さんの層はいかがですか。
 小児科ではありますが、喘息やアトピー性疾患などは何歳の方でも診ています。ですから、かなり幅広いと思います。


◆ 治験にも積極的に参加されているんですよね。
 今から12年前、水痘治療薬であるバルトレックスが初めての経験でした。治験薬を担当できると、その薬の特性がより分かります。特に喘息の吸入薬はほとんど行っています。舌下療法や次世代の薬も同様です。キョーリン製薬の喘息治療配合剤であるフルティフォームについては16歳以上への治験数が全国1位でした。大人の患者さんが多いからこそ、できることですね。


◆ どのような内容の健診を行っていらっしゃいますか。
 3歳児健診などの一般的な健診、予防接種を行っています。また、世田谷区の小学校の校医をしていますので、学校の健診もありますね。


◆ 病診連携については、いかがですか。
 全ての疾患に対し、「この疾患なら、この先生」と決めていますので、疾患ごとにご紹介しています。


◆ 経営理念をお教えください。
 考えないことです。考えたところで正解が出るものではありません。いい医療をすれば、それなりのものがあります。私どもではこの本院以外に3つのクリニックを持っていますが、私の医療の繋がりの中でご縁があった医師に仕事をしてもらっています。皆が仕事を十分にできる場を作っていくことに努めています。私は本当に運がよいので3つのクリニックともすごい先生です。


◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 ミーティングも朝礼も20年していません(笑)。ミーティングなどをすると、不平が表面に出ますし、それが反響しがちです。事務長は25年いますし、看護師も20年いますが、私の医療に賛同してくれているので、本当に助けられています。辞めたいというスタッフがいたら、「3カ月、待ってね」と言っています。3カ月の間に残ることに決めたスタッフが多いですが、中には辞める人もいました。そこで後追いしないことが大切です。それがご縁というもの。スタッフ同士のトラブルに際しても、私は大岡裁きはしません。私が患者さんを診ることに徹することができ、スタッフがここで働いていて良かったと思えればいいですね。幸福とはそこにご縁がある人との関係の中で生じるものですから、ご縁に感謝したいです。


◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 最近になってようやくホームページを開設しましたが、SEO対策などはしていません。それをしないと患者さんが来ないというのはおかしいです。お蔭様で、私どもは12時に受付が終わっても、18時まで外来をしています。強いて言えば、サンクスカードはお送りしていますね。たったひとつ「この先生にまた診てもらいたい」これだけ目指しています。


開業に向けてのアドバイス

私たちは患者さんを選べませんが、患者さんは医師を選べます。私は「先生以外の人に、この子の肌を触らせない」と言われたことすらあります。患者さんとの信頼関係を結ぶには2つの目が必要です。1つは病気の先を見通すことができる医師としての目です。医師としての技量は必要ですね。もう1つは「この患者さんは何故、来院されたのだろう」と考えてあげられる目です。この目は人としての患者さんを受け入れてさしあげる目なのです。実は開業医に最も大切なのはこの2つ目の目だと感じています。
 スタッフについては雇用している責任を持ち、ご縁を大事にしましょう。

プライベートの過ごし方(開業後)

ゴルフが趣味です。大学時代の友人たちのほか、小児科医になった2人の息子や妻とも行っています。夏休みは海外旅行に出かけますね。今年はスペインに行ってきました。

タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図
成城ささもと小児科・アレルギー科
  院長 笹本 明義
  住所 〒157-0066
東京都世田谷区成城6-5-27 あんや2階
  医療設備 呼吸機能検査など。
  スタッフ 23人(院長、非常勤医師6人、常勤看護師2人、非常勤看護師4人、非常勤臨床心理士2人、常勤事務4人、非常勤事務4人)
  物件形態 ビル診
  延べ面積 33坪
  敷地面積 33坪
  開業資金 約2,000万円
  外来患者/日の変遷 開業当日35人→3カ月後60人→6カ月後100人→現在120人
  URL http://seijo-sasamoto-shounika.or.jp/

2017.06.01 掲載 (C)LinkStaff

バックナンバーはコチラ

リンク医療総合研究所

おすすめ求人

  • 矯正医官
  • A CLINIC GINZA
  • フォーシーズンズ美容皮膚科クリニック
  • 長野県医師紹介センター