スマイル眼科クリニック
神奈川県横浜市青葉区青葉台は東京急行電鉄による多摩田園都市の開発によって、生まれた街である。東急田園都市線の青葉台駅は1日の平均乗降者数が11万人を超える。駅周辺が街の中心であり、駅に直結した青葉台東急スクエアなど、青葉区を代表する商業エリアとなっている。青葉台駅には多くのバス路線が乗り入れているほか、国道246号線も街の南部を横断するなど、アクセスにも恵まれている。
スマイル眼科クリニックは東急田園都市線の青葉台駅から徒歩1分という、恵まれた立地に2001年に開業した。現在は岡野敬(たかし)院長が継承し、最新医療機器を駆使した診療を行っている。
今月はスマイル眼科クリニックの岡野敬院長にお話を伺った。
岡野 敬 院長プロフィール
1970年に東京都で生まれる。1997年に杏林大学を卒業後、杏林大学眼科に入局し、杏林大学病院アイセンターで研修を行う。1999年に公立阿伎留病院に勤務する。2000年に志和眼科医院、みたけ眼科医院、都南眼科に勤務し、外来診療と手術を行う。2002年9月に横浜市青葉区のスマイル眼科クリニックに勤務する。2003年1月にスマイル眼科クリニックの院長に就任する。
日本眼科学会、日本眼科医学会、ドライアイ研究会、日本東洋医学会に所属する。
開業に至るまで
◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
私は小さい頃からコンピューターが好きで、工業高校に進学したんです。私の父はシステムエンジニアで、世界初のパーソナルコンピューターであるPET2001を日本に輸入する仕事をしていました。ルービックキューブはもともとPET2001のおまけだったんですよ(笑)。そのあとで大ブームになったんです。PET2001は初めてモニターが付いたコンピューターですが、私はパンチアウトされた紙の頃からコンピューターを触っていました。高校時代もコンピューターの勉強に励んでいたのですが、父には先見の明があり、「今はコンピューターを触れる人は特別かもしれないけれど、そのうち普通の人でも仕事で使うようになる」と言っていました。私は美味しい食事を作る仕事にも興味を持ち、高校卒業後は調理の仕事に就いたんです。ただ、調理の世界は人間関係がハードで、長く続けられないと思いました。そこで一生できる仕事として、医師を目指すことにしました。美味しいものは今も好きですし、料理は趣味の一つです。
◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
大学には奨学金を借りて進学しましたので、常にアルバイトをしていました。アルバイト先は飲食店がほとんどです。池袋のレストランバーで調理をしたりしていました。
◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
ウィンドサーフィンです。ウィンドサーフィン部の部長を務め、江の島の東浜でやっていました。動力を使わずに、自分の身体だけであれだけのスピードが出るスポーツはほかにありません。世界最速は時速230キロと言われていますが、私は30km/h位でも重微分楽しんでいました。ウィンドサーフィン部の友人や後輩とは卒業後も交流を続けています。
◆ 専攻を眼科に決められたのはいつですか。
学生時代から眼科の教授のお手伝いをすることがあり、勧められたのがきっかけです。しかし、子どもが好きなので、小児外科と迷ってもいました。ただ、私は奨学金の返済をしなくてはいけなかったので、外勤により早く出られる眼科にした面もありましたね。
◆ 母校の眼科に入局し、大学病院で研修なさったんですね。
大学病院のアイセンターで研修しましたが、そのうちの10カ月は救急の研修にあてられていました。三次救急の病院ですから、非常に忙しかったですね。でも、雑用が多くなりがちな眼科研修とは違い、救急では医師らしい仕事ができたと思います。患者さんも大島新島などの小笠原諸島からいらっしゃっていました。赤ちゃんを取り上げたこともあるんですよ。救急で患者さんの全身を診る経験を積めたことは眼科医になってからも役に立っています。
◆ 眼科の中で前眼部疾患、緑内障、アレルギーなどの一般眼科を専門にされたのはなぜですか。
私は大学病院で専門的な診療をする気があまりありませんでした。そこへ医局人事により、岩手県の志和眼科医院、みたけ眼科医院、都南眼科に勤務することになったんです。そういった地方のクリニックでは何でも診ないといけませんから、一般眼科をしっかり勉強することにしました。
◆ コンピューター支援医療もご専門なのですね。。
手県にいましたので、遠隔診療の必要性がありました。遠隔診断や遠隔診療は今でこそ、よく聞きますが、当時は最先端だったと思います。ビデオ回線を東京都内の大学病院と結び、画像などをやり取りしていました。小さい頃からのコンピューター好きが高じて、仕事に繋がっていったように思います。
◆ スマイル眼科クリニックに勤務されたきっかけはどういったことだったのですか。
スマイル眼科クリニックを開業した楊浩勇理事長とは学生時代からの知り合いなんです。私は眼科の研究室で皆のコンピューターの不具合を直したりするお手伝いをしていて、そこで楊理事長とも知り合いになりました。また、私の父は定年退職後に東京歯科大学市川総合病院に再就職したのですが、父もそこで楊理事長と繋がりができ、そうしたご縁でスマイル眼科クリニックに勤務することになりました。楊理事長はハーバード大学へ留学する予定になっており、私が勤務するにあたっては院長を継承することも決まっていました。
◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
忙しさ自体は勤務医時代も開業医になってからも変わらないです。仕事の内容にも大きな変化はありません。しかしながら、責任感は大きく違いますね。私の場合は理事長や事務長がいる中での院長ですが、それでも勤務医時代にはなかった責任の重みを痛感しています。
継承の契機・理由
◆ 継承の動機をお聞かせください。
楊理事長に留学の予定があったからです。最初は当院で「お試し」のような形で勤務医をして、楊理事長の留学と同時に院長に就任しました。
◆ 楊先生はどうしてこちらを開業地に選ばれたのでしょう。
若い世代が多く住んでいるからだそうです。東急田園都市線沿線は長く東急不動産が開発を行ってきましたが、東急不動産の分譲戦略は「少しずつ」なんです。そのため、以前からある程度の人口がいますが、今でも少しずつ増えているんですよ。
◆ この場所の第一印象はいかがでしたか。
銀行が入っているビルなので、治安がいいのかなと思いました(笑)。青葉台駅からすぐの場所でしたし、ビルが綺麗だったことも良かったです。最初は3階に入居したのですが、途中で4階に移りました。しばらくして、ビルに東進ハイスクールが入居し、高校生などの若い人たちの出入りが増えたので、活発な印象になってきました。
◆ 継承にあたって、マーケティングはなさいましたか。
何もしていないです。だからか、最初は患者さんが少なく、1日30人ぐらいでした。
◆ 継承までに、ご苦労された点はどんなことですか。
継承までに苦労したことはほとんどありません。しかし、継承後に保険制度が変わったこととキャパシティの問題もあり、コンタクトレンズの患者さんをお断りせざるをえなくなったことに苦労しました。そのときは「コンタクトレンズを扱うクリニックではありません」といった掲示物を出したりして、院内の雰囲気を変えていったんです。今はコンタクトレンズを全く扱っていないわけではありません。もともと私どもに通ってこられている患者さんからご依頼があれば、お受けしています。
◆ 医師会には入りましたか。
横浜市青葉区医師会に入会しました。医師会の先生方とは良好な関係を築けており、患者さんのご紹介もありますし、先生方も受診くださっています。私どもがきちんと診療していることが伝わっているようで、有り難いです。学校健診も4校ほど、担当しています。
◆ 継承当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
看護師が1人、臨床検査技師が1人のほか、視能訓練士が常勤で1人、非常勤で1人、眼科コメディカルが非常勤で5人、常勤の事務スタッフが3人でした。
◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
最初は視野計と眼底カメラぐらいしかなかったんです。それで、理事長や事務長にわがままを言って買ってもらったり、自分でHESSチャートやワース4灯を作ったりしました(笑)。
◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
10年前に3階から4階に移ったのですが、それでスペースが広くなりました。広くなった分は事務室とORT室に充てました。移転時のレイアウトのこだわりは診察室と処置室を分けたことですね。また空調にもこだわりました。PM2.5などの被害が及ばないよう、静電気型空気清浄機や、加湿機能のある空調を取り入れました。また、院内照明や外部看板のLED化は自分で行いました。工業高校出身なので、電気工事士やガス溶接の免許を持っているんです(笑)。
クリニックについて
◆ 診療内容をお聞かせください。
一般眼科です。子どもの患者さんは視力の低下などで来院されますね。私は小児外科と迷ったぐらいですから、子ども好きなんです。子ども受けが良いので、泣く子どもさんがいないんですよ。大人の患者さんは緑内障の方が少なくありません。白内障の場合は私どもから電車一本で行ける日本橋白内障クリニックの赤星隆幸先生をご紹介しています。セカンドオピニオンもお受けしています。
◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
患者さん本位の医療サービスを提供することです。そのうえで、親切で丁寧な対応、清潔で安全な診察と検査、最新の医学知識と医療機器、分かりやすく納得のいく説明、お待たせしないような工夫と努力という5つのお約束を掲げています。大学の同級生の菅原道仁医師が『成功する人は心配性』という本を出版しましたが、私も心配性なんです(笑)。心配性のうえで、真面目に取り組むことを心がけています。
◆ 患者さんの層はいかがですか。
子どもさんが4割を占めています。高齢の患者さんはさほど多くはありません。東京の都心部のほか、世田谷区、立川市、青梅市、横浜市の南区や小田原市など、遠方からの患者さんがご家族でいらっしゃることもあります。
◆ どのような内容の健診を行っていらっしゃいますか。
学校健診のほか、インフルエンザなどの予防接種も行っています。企業からの依頼もあります。学校健診で引っかかった子どもさんが来院されることもありますね。
◆ 経営理念をお教えください。
経営に関しては理事長と事務長にお任せしています。お蔭様で私が院長を継承してから、患者さんの数が増えています。診療報酬が減っている中で、ご家族で来院してくださる患者さんが少なくないのは嬉しいですね。
◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
看護師のリーダーが優秀なので、新人教育などを担当してもらっています。私が診療に集中できるのも彼女のお蔭です。彼女が辞めると言ったら、私は泣きますね(笑)。臨床検査技師も優秀で、資料やマニュアル作りが得意なので、助かっています。
◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
ホームページがメインですが、青葉台駅に看板を1枚、出しています。来院動機はホームページと口コミがほとんどです。
開業に向けてのアドバイス
しっかり勉強しましょう。私は心配性なので、学会に行かないと気持ちが悪くなるんです。専門医を更新するための学会の出席日数が足りないなどはありえません。暇があったら、学会に行くようにしてください。何でも知ろうとする姿勢を持って、勉強が好きであることが大切です。今の患者さんは医療に詳しいので、知識が古いと、患者さんに見透かされてしまいますよ。
プライベートの過ごし方(開業後)
10年以上前から合唱をしています。美食繋がりでお知り合いになった辰巳琢郎さんからご紹介された六本木男声合唱団に入っているんです。パートはテノールで、毎週水曜日に赤坂の教会で練習しています。団員は多く、200人ぐらいいますね。サントリーホールなどを借りて、リサイタルもしています。
タイムスケジュール
クリニック平面図
スマイル眼科クリニック | ||
院長 | 岡野 敬 | |
住所 | 〒227-0062 神奈川県横浜市青葉区青葉台1-6-12 カンゼームビル4階 |
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医療設備 | 自動視野計、角膜内皮細胞測定装置、眼科3次元眼底像撮影装置、走査式前房深度計、近見反応測定装置、両眼開放レフケラトメーター、両眼視簡易検査機、オートレフケラトトポメーター、ノンコンタクトトノメーター、3m視力表、オートレンズメーター、ゴールドマン視野計、大型弱視鏡、グリーンレーザー、セレクタデュエット、院長自作のHESSチャート、院長自作のワース4灯、電子カルテなど。 | |
スタッフ | 17人(院長、常勤医師1人、非常勤医師2人、常勤看護師1人、常勤臨床検査技師1人、常勤視能訓練士1人、非常勤視能訓練士1人、非常勤眼科コメディカル5人、事務長、常勤事務3人) | |
物件形態 | ビル診 | |
延べ面積 | 55坪 | |
敷地面積 | 55坪 | |
開業資金 | 継承のため、なし | |
外来患者/日の変遷 | 継承当初30人→3カ月後80人→6カ月後100人→現在80人 | |
URL | http://www.smile-eye.com/ |