クリニックの窓教えて、開業医のホント

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仙川整形外科

 東京都調布市は世田谷区に接しており、静かで落ち着いた住宅街となっている。古刹である深大寺で知られ、隣接する神代植物公園は唯一の都立の植物公園である。神代植物公園は梅や桜の名所であるが、バラ園もあり、年に2回のバラフェスタには多くの人が訪れている。
 仙川整形外科は調布市仙川に2018年10月に開業したクリニックである。京王線の仙川駅から徒歩3分ほど、ハーモニータウンせんがわの商店街通り沿いで、三鷹や吉祥寺に向かうバスのターミナルの正面に位置する。仙川整形外科では一般的な整形外科だけでなく、Ponseti法などを用いた小児整形外科も特徴の一つであり、幅広い患者層となっている。
 今月は仙川整形外科の日下部浩院長にお話を伺った。

日下部 浩 院長

日下部 浩 院長プロフィール

 1966年に東京都台東区で生まれ、練馬区などで育つ。1991年に慶應義塾大学を卒業後、慶応義塾大学病院で研修医となる。慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター(現 伊豆慶友病院)、国立栃木病院(現 栃木医療センター)、静岡赤十字病院、浜松リハビリテーションセンター(現 常葉リハビリテーションセンター)に勤務を経て、1996年に国立小児病院(2002年から国立研究開発法人国立成育医療研究センター)整形外科に勤務する。2004年に慶應義塾大学で医学博士号を取得する。2012年にふれあい町田ホスピタルに勤務する。2013年に藤田保健衛生大学坂文種報徳會病院整形外科(現 藤田医科大学医学部整形外科機能再建学講座)講師に就任する。2016年にUniversity of Iowa Hospitals and Clinicsに留学する。帰国後は引き続き、藤田保健衛生大学(現 藤田医科大学)医学部整形外科機能再建学講座講師に就任する。2017年10月に東京都稲城市のいなぎ整形外科内科に院長として着任する。2018年10月に東京都調布市に仙川整形外科を開業する。
日本整形外科学会専門医、日本小児整形外科学会評議員、日本小児股関節研究会幹事など。日本股関節学会、日本創外固定骨延長学会、米国Ponseti International Associationにも所属する。

開業に至るまで

◆ 医師を目指された経緯をお聞かせください。
 両親は医師ではありませんし、医療関係者がいない家庭で育ちました。高校は慶應義塾大学の附属で、私は水泳部に入っていました。そこに医学部に進んだ先輩方が勧誘にいらしたんです。「来年の東医体で優勝したいから、医学部に来て、水泳部に入ってくれ」と言われたのがきっかけで、医学部に進学することにしました。


◆ 大学時代はどのような学生でしたか。
 先輩に言われた通り、医学部の水泳部に入部しました。私はあまり貢献していないですが、本当にその年の東医体で優勝したんです(笑)。水泳部のほか、美術部にも入っていました。高校時代は写真部にも入っていたので、その延長として美術部で写真を撮っていたんです。また、全塾のテニスサークルにも入っていました。音楽が好きで、友達とバンドをやっていたのですが、これが全塾の部活動に公認していただけたので、軽音楽部として立ち上げました。4つの部活動を掛け持ちしていたので忙しかったですが、そのうち2つが全塾のものでしたので、他学部にも多くの友人を作ることができました。


◆ 大学時代はどんなご趣味をお持ちでしたか。
 写真撮影が好きでしたので、部活動の仲間の写真をよく撮っていました。軽音楽部ではヘビメタやパンク、レゲエなども演奏していましたね。


◆ 専攻を整形外科に決められたのはいつですか。
 国家試験のあと、希望を提出する直前まで迷っていました。外科系がいいなとは思っていて、整形外科のほかは外科、脳神経外科、産婦人科を候補に挙げていたのですが、なかなか決まらなかったんです。国家試験の頃も、私と同じように行き先を決めていない友達と飲みに行っては「どうする」と暗い話をしていました(笑)。整形外科にしたのは手術のジャンルの多さに惹かれたからです。選択肢が豊富であることが良かったですね。


◆ 研修後に国立小児病院に行かれたのですね。
 慶應義塾大学の整形外科ではいわゆる医局人事で、毎年1月に異動する制度があり、1年ごとに色々な病院に勤務します。国立小児病院に行ったのは医師になって6年目のときでしたが、行ってすぐに「これだ」と思いました。大人の整形外科外来には手術が必要な患者さんももちろん来られますが、不定愁訴も少なくなく、医療が必要でない方もいらっしゃいます。しかし、小児は違います。黙っていても悪くなっていくんですね。困っている患者さんに何かできるのではと考えることができるのは小児整形外科の魅力です。それまでにいくつかの病院で大人を診ていたからこそ、分かったことでもあります。また、国立小児病院は研究や学会活動も非常に盛んでした。先輩の先生方のアカデミックな姿勢に好印象を受け、私もこのように仕事をしていきたいと思っていました。


◆ ふれあい町田ホスピタルにも勤務されています。
 藤田保健衛生大学に行くことが決まっていたのですが、USMLEを受験したかったので、もう少し東京にいる必要があったんです。それで、ふれあい町田ホスピタルにお世話になりました。国立成育医療研究センター病院に長くいましたので、大人を診るのは久しぶりでしたね。療養型の病院ですが、手術も少なくなく、高齢者の外傷や人工関節などの手術を行っていました。ただ、私が成育から来たということが知られてくると、子どもの患者さんが押し寄せてきました(笑)。


◆ それから藤田保健衛生大学に行かれたのですね。
 以前からお声をかけていただいていたのですが、お断りしていたんです。しかし、小児整形外科を立ち上げていいということになったので、立ち上げを目指して移りました。


◆ アメリカに留学された動機はどういったものだったのですか。
 成育で内反足の治療に取り組んでいたのですが、この治療法であるPonseti法を学びたかったからです。藤田保健衛生大学には3年勤務すると留学できるというシステムがあります。アイオワ大学のPonseti先生がこの方法を開発し、引き継いでいるMorcuende先生にも指導を受けていたので、留学するならアイオワ大学だと以前から決めていました。


◆ Ponseti法とはどのようなものですか。
 Ponseti法は1950年代に確立された治療法ですが、1980年代から90年代にかけては日本をはじめ、諸外国でも注目されていませんでした。ところが、2000年代になって、患者さんの保護者の方がサイトで紹介した途端、その有用性がインターネットを通じて全米に広まり、ワールドスタンダードになっていったんです。徳島大学の教授でいらした安井夏生先生により、日本にもほぼディレイなく入ってきました。私は2005年の日本整形外科学会で初めてPonseti法の実技講習を受けました。成育での手術は靭帯を切るような広範囲なもので、侵襲も大きかったのですが、Ponseti法は全く手術しないで治すのに、長期成績が良いことに惹かれました。手術で治らなかった患者さんもPonseti法で治っていくのです。手技にスキルが必要ではありますが、自分の手で治療できることも魅力ですね。


◆ 帰国後は藤田保健衛生大学に戻られたのですね。
 藤田保健衛生大学(現 藤田医科大学)の第二病院である坂文種報徳會病院(現 ばんたね病院)に勤務しました。ところが、藤田保健衛生大学では私の全滞在期間4年半でも小児の患者さんが減少していて、Ponseti法の症例は3例にとどまっていました。一方で、高齢の患者さんが多く、外傷などの症例を幅広く診ていました。坂文種報徳會病院は名古屋市内のダウンタウンにあり、地域に密着している病院です。ここで、高齢の方々への対応を学べたのは良かったですね。


◆ 勤務医時代を振り返って、いかがですか。
 成育に10年以上いましたので、小児整形外科を極めていくことができました。しかし、私が成育にいる間、日本は高齢化が進み、整形外科は高齢の患者さんが非常に増加していました。成育を離れてからは高齢の患者さんを多く診てきましたので、小児と成人をバランス良く経験できたと思っています。どちらも診ることができる技能を身につけられたのは有り難かったですね。


開業の契機・理由

◆ 開業の動機をお聞かせください。
 小児と成人を診てきた経験は自信になっていましたし、坂文種報徳會病院では地域に貢献することも学んだので、地域に貢献しながら、スキルを活かしたいと思ったことが動機です。開業医として、より自由に生きたいとも考えました。そこで、まずはいなぎ整形外科内科に院長として入職し、経験を積みました。その後、自分で開業することにしました。


◆ 開業地をどのように探されたのですか。
 特に場所にはこだわらず、色々なところを見に行ったのですが、案件もそれほど多くはなかったのです。長く続けるためには自宅から30分以内ぐらいの近さであること、遠方からの患者さんのためにも駅から近いことが大事だと思っていました。


◆ 開業地をご覧になったときの印象はいかがでしたか。
 仙川駅から徒歩3分ですし、目の前はバスターミナルなので、交通の便は申し分なかったです。以前は企業が1階、2階に入っていたのですが、既にスケルトン状態になっており、1階に私どもが、2階に仙川の森クリニックが入居することになりました。仙川の森クリニックは私どもと同時期に開業した内科のクリニックで、患者さんのやり取りもありますし、いいお付き合いをさせていただいています。


◆ 開業にあたり、マーケティングをなさいましたか。
 私はどこの物件を見に行くにしても、診療圏調査をしており、その結果でお断りした物件もあります。この場所も当然、行いました。ここの結果は良かったです。仙川駅の南側には競合が2軒あるのですが、北側には私どもしかないこと、正面のバスターミナルからは三鷹や吉祥寺まで出られ、杏林大学医学部付属病院も通るバス路線もあるので、医療圏が広いことも魅力に感じました。


◆ 開業までに、ご苦労された点はどんなことですか。
 すべきことが多かったことでしょうか。でも、ものを集めたりするのは大変でしたが、楽しかったです。ただ、開業後は人事や労務管理に苦労しています。


◆ 医師会には入りましたか。
 開業後すぐに調布市医師会に入りました。私は行政とともに、乳児の股関節の健診の再構築を行いたいと考えており、それには医師会を通す必要があったからです。


◆ 開業当初はどのようなスタッフ構成でしたか。
 看護師が常勤1人、非常勤が2人、理学療法士が常勤で2人、放射線技師が常勤で1人、非常勤で1人、事務スタッフが常勤で3人、非常勤で1人という体制でした。理学療法士についてはその後に増員を行い、今は常勤が4人、非常勤が2人となっています。


◆ 医療設備については、いかがでしょうか。
 エコー、レントゲン、骨密度測定機、電子カルテなど、導入したかったものは全て導入しました。


◆ 設計や内装のこだわりについて、お聞かせください。
 レントゲン室を広くしています。天井走行型で、長さ、角度計測の際、国際的に信頼されている焦点距離3メートルを確保しています。また、骨密度も全身を撮れるタイプを採用しました。また、診察室は二つあって、私は二つの診察室を行ったり来たりしていますが、患者さんにとっては待ち時間が短くなるというメリットがあります。


クリニックについて

◆ 診療内容をお聞かせください。
 整形外科と小児整形外科、スポーツ整形外科、リハビリテーション科を標榜しています。整形外科は膝、首、腰などの痛み、肩こり、腱鞘炎などの日常的な不調を診ているほか、骨折、脱臼、捻挫、肉離れ、打撲などの外傷やスポーツ障害も診ています。また、にんにく注射やプラセンタ注射なども行っています。
 小児整形外科では小児の骨折、脱臼、捻挫、打撲、靭帯損傷、切り傷などの外傷に関する治療、股関節疾患、足部疾患、下肢疾患も診ます。
 このあたりは中学生、高校生も多いので、部活動での怪我など、スポーツ整形外科も少なくありません。近隣の桐朋学園大学や桐朋学園芸術短期大学は楽器演奏やミュージカルなどの舞台芸術を専攻している学生さんが多く、演奏や舞台での外傷などで来院されることもあります。
 リハビリテーション科は運動療法中心で、物理療法は私が最低限と考えることしか行っていません。


◆ 再生医療のPRP治療もなさっていますね。
 PRPとはPlatelet Rich Plasmaの略で、多血小板血漿療法のことです。血液中の血小板には組織修復を促進する成長因子やサイトカインなどの分子が多く含まれていますので、患者さんの血液を約50ml採取し、血小板を濃縮した血漿を作り、これを患部に注射します。これらの分子が組織再生や創傷治癒を促進させるので、痛みが軽くなるんですね。最近ではニューヨーク・ヤンキースの田中将大選手が右肘の靭帯損傷に対して、この治療を行ったことで、一般にも知られるようになってきました。テニス肘やゴルフ肘にも有用だとされています。


◆ どういった方針のもとで、診療なさっているのですか。
 常に真面目にやっていきたいと思っています。エビデンスに基づいた医療を確実に実行し、一方でできないことには無理に手を出さないことも心がけています。そして、技術が必要な診療に対してはきちんと研鑽を積みたいです。また、私は電子カルテばかり見ないことを心がけています。私どもでは紙の問診票を使わず、もう一つの診察室でメディカルクラークが入力した情報を使っています。私のいる診察室でも私が口頭で言ったことをメディカルクラークが入力しています。これは私がしたかった診療スタイルであり、開業後に実現できて良かったと思っています。


◆ 患者さんの層はいかがですか。
 やはり小児の比率は高く、2割を占めています。スポーツ、芸能、音楽に携わっている若い方々も目立ちます。高齢の方も骨粗鬆症や変性疾患などでいらっしゃいますが、2割程度でしょうか。坂文種報徳會病院では90代はもちろん、100歳以上の患者さんもいらしたりしましたが、今の方が高齢の方の年齢層は低いです。


◆ どのような内容の検診を行っていらっしゃいますか。
 検診での推奨項目を作ろうという働きかけを行っているところで、二次検診の受け入れ可能な施設として医師会を通じて調布市と契約しています。


◆ 病診連携については、いかがですか。
 紹介先として多いのは至誠会第二病院、東京慈恵会医科大学附属第三病院、東京都立多摩総合医療センター、東京都立小児総合医療センター、杏林大学医学部付属病院ですね。そのほかは慶應義塾大学病院、東京逓信病院、東京都済生会中央病院、野村病院、武蔵野赤十字病院、日本心臓血圧研究振興会榊原記念病院、東京都立神経病院、国立成育医療研究センター、関東中央病院、PICTORUみたかクリニックなどです。MRIの撮影では仙川脳神経外科クリニックに大変お世話になっています。


◆ 経営理念をお教えください。
 必要なものをきちんと揃えつつ、リーズナブルに済むものはリーズナブルになど、設備投資を適切にと考えています。何にでも飛びついてしまって、結局は置きっぱなしということがないよう、ニーズや時代に合わせたリニューアルを行っていきたいです。


◆ スタッフ教育はどのようにされていますか。
 小児整形外科は特殊ですので、クリニック立ち上げ以前からトレーニングを始めました。スタッフへの勉強会は必須ですね。私が大学で行っていたような講義を行っており、スタッフに小児整形外科への親近感を持ってほしいと思っています。また、院内では知識と問題点の共有に努めています。朝礼の時間を使って、院内で起きている問題について話し、その進捗状況の「見える化」を行うようにしています。


◆ 増患対策について、どのようなことをなさっていますか。
 ホームページぐらいです。今後は再生医療の患者さんに訴求できればと思っています。


開業に向けてのアドバイス

 継承開業はリスクが大きいので、避けましょう。自分で開業することをお勧めします。最終的には物件との出会いが大切です。基本的な条件を押さえ、末永くできるところを選んでください。私は調剤薬局の方からの紹介で、この物件を見つけました。そうしたご縁は大事ですし、皆さんに支えられて開業が実現したのだと喜ばしく思っています。

タイムスケジュール

タイムスケジュール

クリニック平面図

平面図
仙川整形外科
  院長 日下部 浩
  住所 〒182-0002
東京都調布市仙川町3-2-4
ウィステリア仙川1階A
  医療設備 超音波、レントゲン、リハビリベッド、姿勢矯正鏡、平行棒、昇降練習用階段、立ち上がり練習台、骨折超音波治療機、干渉波、牽引機、ホットパック、電子カルテなど。
  スタッフ 16人(院長、常勤看護師1人、非常勤看護師2人、常勤理学療法士4人、非常勤理学療法士2人、常勤放射線技師1人、非常勤放射線技師1人、常勤事務3人、非常勤事務1人)
  物件形態 ビル診
  延べ面積 約80坪
  敷地面積 約80坪
  開業資金 約1億1千万円
  外来患者/日の変遷 開業当初36人→3カ月後58人→現在65人
  URL https://sengawa-ortho.jp/

2019.05.01 掲載 ©LinkStaff

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