クリニックの窓教えて、開業医のホント

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-野崎クリニック-
東京都武蔵野市
 

「クリニックの窓」
は今まで14のクリニックをご紹介してきた。取材した院長の経歴は、それぞれ千差万別だ。だが共通項としては医局員・勤務医から開業するケースに集約される。医師としてキャリアを積み資金を貯め、開業医へ、という道だ。
今回ご紹介するのは、JR武蔵境駅前に平成12年3月開業した野崎クリニック。開業して1年半あまりとなる。今回の取材は、インターネットで偶然見つけた同クリニックのホームページ上で公開されていた院長の経歴に目を留めたからだった。すぐに取材依頼をし、快諾を得て訪れるまで10日ほど。早くお話を伺ってみたかった。そのユニークな経歴や経営理念を中心に記事としてみたい。


野崎クリニックは駅前ビルの8階にあるビル診で、立地としては申し分ない。訪問するとまだ診療中だった。待たせていただいている間、感じたのは"従来のクリニックらしくない"だった。院内は癒し系の環境音楽が流れており、どこかサロン的な雰囲気だ。リトグラフが壁を飾り、草花が配置され、ファッション雑誌や海外の雑誌などが揃っている。テーブルや椅子など調度品も洒落た感じで、いつのまにか、ゆったりした気分になっていた。
やがて「雰囲気が他と違うでしょ? 気持ちとしては、自分はビジネスマンだと思っている。ビジネスマンがたまたま医者をやっているだけ」と、診療を終えた野崎稔院長が迎えてくれた。
 

野崎院長は徳島県出身。父は産婦人科医院を開いていたが、少子化が進み「継いでくれ」といった話もなかったという。昭和58年3月、杏林大学医学部を卒業し、同大第一内科学教室へ入局したが、薬を知ることが好きで、研修医の頃から製薬メーカーのMRとは話が合った。「何も知らなかったが、薬はMRから聞くのが最も正確で早い」と知識を吸収していった。通常だとその後、時期をみて開業した、で話は終わる。しかし野崎院長は違っていた。
「よく医療に携わる人が『患者の気持ちになれ』『社会的配慮を考えろ』と言うが、到底わかるわけがない。偉そうに人を指導しているが、その実、世の中のことを何も知らない。社会のことを知らないといけないと考えた」。自分の社会人としての限界が見えたからだという。人の行為は9割方ビジネスという言葉でくくられるという。病院もその例外ではなく、そのくくりの中で発生している。であれば、自分もその世界に入っても不自然ではない。医局を出る決心に時間はかからなかった。
医局から引き止めは? と聞いてみた。「『やめろ』と言った人はいたろうが、私は聞いていないし、行きたいと思ったから行っただけ。特に大きな問題はなかった」

ビジネスでは、ニーズがあるか、ないか、が問われる。必要とする場があって、その能力に対価を支払う意思があればそこに行くというのが必然。引き止めることができないのは、自分の能力に対して対価を支払う意思がないということ。やがて自分のポテンシャルの行き場を求めることになる。
野崎院長の転身に複数の外資系製薬メーカーからオファーがあった。その内の一社、日本チバガイキーからの誘いが最も熱心だった。当時メディカルドクターは開発部門へ配属されるものだったが、同社は会社組織やビジネスのことを学びたかった野崎院長の思いを汲んでくれた。
そして平成4年に日本チバガイキーの医薬事業部マーケティング統括部にメディカルアドバイザーとして入社した。マーケティング目的で入社した医師は日本でも初めてだという。2年後には研究開発統括部の製品企画であるポートフォリオマネージメントマネージャーとして、開発企画を手がけるまでになった。その勤務は、正に「エキサイティング」の一言だったという。人生観を大きく転換させた多くの要素を学んだ時だった。
日本チバガイキーは宝塚市に本社があった。平成7年1月17日、兵庫県を中心に起こった阪神大震災。医薬事業部も研究棟が被災し全壊したという。神戸に住んでいた野崎院長だったが、この大変な時期に、会社にいて良かったと思ったという。被災後の社員に対してのケアの手厚さ、社員を守るシステムがあることを感じた。リスクマネジメントが問われる時に会社がどのような対応をとるかで社員の会社への信頼度が決まる。そのエネルギーを持って会社復興の力とする考え方に深く感じるものがあったという。医療の世界にいては、そのような考え方を持つこともできなかった。「人生に関しての物事の考え方を試された思いがした」

現在、診療科目として心療内科を掲げているが、患者指導にそうした経験が生かされている。患者さんのがんばりを認めながらも、頭の中で何割かは「どうでもいい」と思うことも必要だという指導だ。心のセーフティーネットを持つことが必要だと・・。
「震災が良い例です。自分の未来が予定調和どおりに進むわけではないことを教えてくれました」。時として起こる理不尽な出来事を甘受できる心構えも必要。それがわかれば次は落ち込まない。震災を通じて実体験したからこそ、熱心に伝えられる。
「『避難計画』という考え方があります。本計画の他に常にバックアップを備えておくということです。ダメになることを想定して別計画を立てる」。ビジネスの基本だ。

震災後、会社の計らいでヨーロッパの開発事情を視察して回っている間に、日本チバガイキーは合併によってノバルティス・ファーマとなった。
「合併は第二の震災と思えるぐらい、衝撃を受けた。近未来を見据えて、全て捨てて社名まで変える」。資本主義のダイナミズムを感じるとともに、ポストの重複により生じる周囲のリストラは野崎院長に「開業の道を考えさせた」。野崎院長の『避難計画』が始まった瞬間だ。
だが経歴を見ると一度、大学へと戻っている。製薬会社の内情を良く知る長澤俊彦学長が会社での野崎院長の立場を理解し、厚生省の臨床治験ガイドライン研究のためにポストを用意してくれたという。「しばらくワンクッションおいたほうが良い」と誘ってくれた。大学では開業計画を考える時間をとることもできた。

開業プランを練る時に、まず医療界の市場分析を行った。結論は日本の医療はいずれ"自由診療"へ行かざるを得ない。「マルメになろうが、健康保険制度が破綻しようが、あらゆる環境の変化に対応できて、この規模のクリニックでの最優秀の競争力をつける」。同じ規模のクリニックがある中で「患者」、院長の言葉を借りれば「カスタマー」がどこを選ぶかを考えることが経営哲学の基本となる。その時に応じて望むものを提供できるようにする。
「野崎クリニックは患者を選びます。ホームページを見てくれればわかるが、独特な雰囲気です。その雰囲気に馴染まない人は来られないし、居心地が悪い。患者とは人間として付き合うが、どうしても好き嫌いがある。偉そうに全ての患者を受け止めるということはできない」。自由診療になれば医療に初めて競争原理が生まれる。「この競争に勝ちたい」
しかし満を持して現在の地に開業したというわけではない。むしろ偶然によるところが大きかった。野崎クリニックの入るビルの6階には東京法務局武蔵野出張所が入居している。院長の奥さんが訪れた時に8階のテナント募集の看板を見た。「神様が与えてくれたもの。セキュリティーやバリアフリーの駐車場完備など正に完璧だった」と笑って答える。
しかし武蔵野市内での開業は考えていた。武蔵境周辺には今の医療の中に自分たちが求めるセンスがないと感じる層が多いとの見込みだ。従来の医療は「その琴線に触れていなかった」。それは診療圏という言葉で表現できるニーズではない。従来は半径500メートル~1キロ以内に同じ科目を標榜する医院がいくつあるのか、などが判断材料とされてきた。居ることで心地良い、気持ちが良い、といったニーズは通常のマーケティング・リサーチでは含まれない要素だった。

現在、一日の外来患者数は平均45~50人。開業当初の20人から始まり徐々に増えた、口コミによるものが大きい。患者(住民)のネットワークは元々あった。新しくオープンした飲食店やヘアサロンなどの情報は婦人雑誌などを読めばわかる。経済誌しかり健康雑誌しかり。それらに共通のキーワードが「ハイセンス」志向だ。「特殊な診療を行うから集まるわけでない。診療はごく平凡で『今日の治療指針』に載っているものの以上でも以下でもない」。野崎クリニックに来院してくれて、椅子に座り雑誌を読み、草花に囲まれ音楽に耳を傾け、いつのまにか診療に移行し、終えていく。リラックスを求める。キーワードは「ターゲッティング」としている層に満足感を提供できるか。逆に言えばそれ以外の層は来ていただかなくとも良い、という判断だ。

大学でオーダリングシステム開発をしていたため、ごく自然に電子カルテを採用している。会計まで一貫して処理できるので、受付はその結果を患者に伝え、レジを出し入れしているだけ。診療が終わった時点で点数計算も出ており、会計での待ち時間はゼロだ。受付は空いた時間を、診療を待つ患者のためのサービスの時間にあてる。診療待ちの時間が長いと感じれば、お茶を出し、ときに話かけたり、室内にコロンを撒く。「接遇のできる人に受付をしてもらっている」。また来院したいと思わせることに、重きをおいている。「そのために医療事務を免除して、8対2の割合で接遇に力を入れている」
また診療内容を電子カルテのディスプレーで見せながらの説明はインフォームド・コンセントとなり、請求金額を見せ内訳を説明できる。「会計で『えっ! そんなにかかるの?』とはならない」

今後2~3年間の目標について野崎院長は「現実的なステップとしては医療法人化をする。また興味を持っているのは小児科です」。経営しにくいと見られている小児科だからこそ、ビジネスチャンスがあるとの考えだ。しかも近隣に小児科救急を受け入れてもらえる病院も多く、病診連携も十分に取れる。
「小児科とは実は『お母さん科』です。かつてのハナコ族が子どもを持つ世代となり、医療においても従来型では満足しなくなっている」。そうした人たちをターゲットとするため小児科が必要なのだ。

父親はネットワークを持っていないので、あまりターゲットとしては見ていませんか? との問いに、「第二のターゲットですよ。同じサラリーマンだった私には会社帰りでも診療を受け付けられるように、帰宅時間を想定して午後7時までの診療時間としている。僕もサラリーマンだったから「遅くまでの診療する」ということの意味がよくわかりますからね」と答えた。ビジネスマンの顔になった。
野崎クリニック
住所 〒180-0022
東京都武蔵野市境2-14-1 スイング・ビル8階
標榜科目 内科、心療内科、神経内科、アレルギー科、在宅医療
医療設備 レントゲン診断装置、心電計、呼吸機能測定器、聴力計、エコー、低周波治療機、ホットパック、ネブライザー
敷地面積 150坪
延べ床面積 36坪
物件形態 ビル診
スタッフ数 常勤医師:1名、看護師1名、受付1名
開業資金 2,000万円

2001.10.1掲載 (C)LinkStaff



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