クリニックの窓教えて、開業医のホント

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-医療法人社団 めぐみ会 田村クリニック-
東京都多摩市

田村豊先生新宿から特急で30分。京王・小田急線の多摩センター駅で降り、5分ほど歩くと目指す田村クリニックに着く。クリスマス前とあってイルミネーションも美しく、サンリオピューロランドも間近なことから人の流れが絶えない。

クリニックには6つの診察室があり、現在2診体制で毎日外来患者300-400人を診療する。その95%が予約診療であり、1ヶ月先まで埋まっているという田村 豊院長に今回お話を伺った。年中無休、午前9時から午後8時まで診療を受ける。患者の立場になって考えられたその医療に対する姿勢は開業当初から変わりない。

「開業とは何か? ビジネスであるということを基本的な視点とし、その認識が曖昧であれば成功はしない。医療をビジネスと捉えることは、決して、はしたないことではありません。良質な医療サービスを提供して、消費者である患者さんから高い支持を得れば発展していくし、支持が得られなければ落ちぶれていく」と、その哲学は明快だ。

過大投資を避け、マーケティングをする。競合する医療機関がどういった診療をしているかを知ることが重要であると語り、患者さんへの情報公開を積極的に行うことで信頼感も得ている。
 

京都大学法学部から石油会社へ就職。その後、医師の道へ。田村院長はこうしたキャリアを持つ。物理が苦手だったので、文系の進学コースに進んだが、高校生の段階では将来のビジョンが明確でなく「人と違うことができなかったので、なんとなく流された感じだった」という。

就職先として弁護士や公務員などが多く、皆が司法試験の勉強をする中、自分だけ先が見えないまま、卒業年度を迎えた。当時は、今と違い就職状況もそれほど悪くなく、生命保険会社の内定も受けた。ところがそれを断った。「1年間、浪人して公務員試験を受けようかなどと、今考えればメチャクチャでした」と、当時を振り返る。

就職シーズンも終わりを告げた頃、大手石油会社から誘いがあった。「熱心に引っ張っていただいたこともあり、就職した」が、就職してみて「当たり前だが、皆、一所懸命働いて金を稼ぎ、家族を養い、結果的に社会を支えている。そうした構造がやっと見えてきた」と感じた。初めて自分の向き不向きなどが見えてきた。

幹部候補として法務課に席を置き、勤務する中、組織の仕事よりも人の世話を焼く仕事にやりがいを感じた。人のために仕事をしたい。人の世話を焼く「医師」になりたい。田村院長の目標が定まった。

時間が惜しかった、人生の中で20代半ばから40歳くらいが最も大きな仕事ができる時期と考え、一日でも無駄にしたくなかった。辞表をポケットに忍ばせながらも、なかなか出せない。そんな頃、転勤が決まった。仕事の引継ぎをしながら「辞める時期は今をおいてない」と決断した。今と違い、終身雇用が当然視される中での一からの出直し。しかし、さほどの不安はなかったという。

40歳までに開業医としての基盤を作るためには、30歳半ばまでに開業しなければならない。医学部卒業後は、臨床医としての力を蓄えるために全力を傾ける。退社前に、これだけの設計図を描いた。「高校時代と比べ、目標がはっきりしていたからできた」

だがサラリーマン時代の2年間は、田村院長にとって非常に大きなものとなった。「人生観を確立することができた時期でした」

退職して、1年間の受験勉強を経て岐阜大学医学部に合格。医局には入らず、千葉徳洲会病院でスーパーローテートを経験し、国立がんセンター、三井記念病院等を経て内科医としての力をつけていった。
 

院内下町で、ドブ板を踏んで往診する町医者。それが田村院長の理想とする医師のイメージ。「そのイメージで診療できる場所が見つかったが、他の人に先に契約されてしまった」

そんな時、多摩センターにある福武書店(現・ベネッセコーポレーション)東京本部で内科クリニックを誘致しているとの話が舞い込んだ。物件を見に行ったが、最初の印象は「狭い」。しかし団地群があり、オフィスも多いことから都市部のビル診のような診療や検診が見込めるという素地があった。下町での開業医と都市部の駅前ビル診を合わせた診療ができる可能性を持つ立地だと考えた。

平成6年9月に念願だった開業を果たした。開業初日は3人の患者、2日目は2人。幸いゼロの日はなかった。新規開業、特に医療機関となれば「『どんな診療をされるのか』と考え、すぐには入りづらいものです。遠巻きに様子を見るというのは自然なことです」と、不安は感じなかった。

院内当初は不定愁訴の患者さんが大半を占めた。「開業したての医者にとっての最大の武器は一人の患者さんに多くの時間を使い診療できることです」。30分間ずっと話を聴く。1時間かけての診療に対し「今までこんなに時間をかけて自分の訴えを受け止めてくれたのは初めて」と、ファンになってくれる。こうした患者さんは、そうしたことを他の人に伝えてくれることが多い。有力な口コミ媒体となるわけだ。月ごとに10人ずつ患者数が増えていった。

現在、田村院長を含め12名の常勤医師と非常勤として8名の各々大学病院で専門外来を持つ新進気鋭の医師が日々の診療を担う。「多摩ニュータウンに住む人は重い疾患の場合、電車に乗って都心の大病院に一日がかりで診察を受けに行く。しかし同じ診療をここで受けることができる。専門医による診療を受けることができるわけです。しかも年中無休で受けることが可能。そうしたクリニックを作りたいと考え、実践してきました」

田村院長のイメージする「往診カバンを持って汗をふきふき、患者さんのお宅を回っている姿」の実践が積極的な在宅診療だ。

院内在宅の患者さんもしっかりと診る。そうした"お医者さん"のイメージを、医師であれば持っているもの。「僕もですが、先生方にも非常に嬉々として診療していただいています」。医師の往診だけではカバーできない分、訪問看護婦との連携は不可欠と日々チーム医療で臨んでいる。

退社前に描いた設計図は一つの形となった。今後の目標としては「日本にはレベルの高い医療サービスを提供できる体制を持つ開業医が少ない。この多摩センターで実現したい」と、新たな夢も膨らむ。「時代も変わるでしょうし、読み通りにいかないと思う。医療経営も厳しさも増すだろうし、患者さんの目も厳しくなり、質が高くて医療費の安いところで受診するようになる」と、今後の経営の厳しさも語る。

今年10月、多摩センター北口に分院を開設した。今後も積極的にクリニック経営を展開する方針だ。そのためには、優秀な医師、スタッフの確保が鍵となる。「このクリニックで勤務していただいている先生方は開業志向が強い。そのための支援もしますし、ノウハウも提供します。僕の夢に賛同していただける方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡をいただきたい」と、まなざしも熱い。田村院長のビジョンは確実に形となって現れる。取材を通じ、そう実感した。
 
 
以前のクリニック
 
 
 現在のクリニック
 
 
医療法人社団 めぐみ会 田村クリニック
住所 〒206-0033
東京都多摩市落合1-34
標榜科目 内科、消化器科、循環器科、呼吸器科
医療設備 エコー、レントゲン、血圧計、内視鏡、他
延べ床面積 80坪
物件形態 ビル診
スタッフ数 常勤医師:12名
非常勤医師:8名
看護師:19名(含・訪問看護)
医療事務:19名
開業資金 4,000万円

2002.1.4掲載 (C)LinkStaff


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