世界一の長寿国であるわが国。 特に女性の平均寿命は84歳を超え、更年期後の30年間をどれだけ健康で充実した生活をおくることができるかが問われる時代を迎えた。
田所千加枝院長は言う。
「これからは産婦人科医が、女性のライフサイクルをプロデュースしていかなくてはいけない。女性の一生は非常にドラマティックです。小児期、思春期、成熟期、更年期とすべての時期で疾患が違うが、すべて子宮や卵巣が関わってくる。つぶさに見ていく必要があるのです」と。 |
ちかえレディースクリニックは地下鉄千日前線の鶴橋駅から徒歩1分。JR・近鉄の鶴橋駅からも徒歩3分の立地である。 案内板がなければ、カフェかビューティーサロンと思い、入ってしまうような洒落た外観である。伺ってみると、ブティックやジュエリーショップなどを数多く手がけたデザイナーによる設計とのこと。なるほど内装を含め、洗練されたデザインだ。また入り口を大きく取りながらも、プライバシー保護の観点から、待合室が外から見えないように配置されるなど、随所に気配りが感じられる。図面ができるまでディスカッションに多くの時間を割いたという。広さは26坪と、けして広くはないが、そう感じさせないのは平面図を見ての通り、受付を斜めに配していることもある。 |
この造りに、他の医師から、「らしからぬ」との批判もあったというが、まったく気に留めていないという。 近年、産婦人科が減る一方で、婦人科の開業は増加の傾向にある。
差別化を図るために、今後もこうしたデザイナーズクリニックが増えると思われ、診療以外のプラスアルファとしてのデザイン性、インテリアも重視されるのではないか。
「院内も定期的にオブジェを替えることで、待合中でも飽きさせないように工夫をしています。新しい雑誌を読むのと同じ感覚で、患者さんに楽しんでいただいています」。自分でも楽しんでいる、とも付け加えた。 |
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子どもの頃から、直接人と触れあることができる仕事に就きたいと考えていた。中でも、自分の話を聞いてくれて、なお且つ人から感謝される仕事。"医師"という職業が思い浮かんだという。一つ違いの兄が医学部を目指していたことにも刺激を受けた。
大阪医科大学を卒業後、研修医が多い中で競い合いたいとの希望から、大阪大学医学部附属病院へ入局。済生会中津病院を経て、大阪労災病院へ。一日60人以上の外来と、その合間を縫っての手術やお産。産婦人科医として診療を続け、やがて医長を務めるまでになった。 |
そんな中、女性としての限界も感じ始めた。何十年務めてもトップは変わるが、常に二番手に過ぎない現実。まして将来的に教育を担当する立場となっても、後進を指導するまでの技量はないと思った。以前から漠然と考えていた「開業」が現実味を帯びてきた。しかし、当時は心身ともに疲れ、すぐには踏み切れなかった。また労災病院産婦人科医長という看板で診療してきた自分が、一開業医になった時に果たして相手をしてもらえるのか?という不安感もあった。
そこでとった行動は、大胆なものだった。「退職してプータローになった」と笑って話す田所院長。看板を取った自分にどんな変化が起こるのか試してみたのだ。ハローワークにも通った。「医者でここにきたのは、あなたが初めてだ。医者の募集はここにはありませんよ」と担当者。確かに聞いたことがない。 |
この状況下で初めて、自分が金銭感覚などに対し、いかに無頓着だったか気づかされたという。資金繰りや開業予定地選定、労務管理などもまったく考えていなかった。そんな時、大学から市立芦屋病院を紹介された。非常勤を半年の期限付きで受け、土日の休みをフルに使い、開業に向けて行動を開始した。目標が決まれば行動は早い。
盛業し、良いと思ったクリニックには面識もないところでも飛び込み、話を聞き、実際に勤務もした。普通の商売であれば「何でノウハウを見ず知らずの者に教えなくてはならない」と断られるだろうが、皆優しく教えてくれたという。人事面や経営面はもとより、関心のあった漢方も学んだ。人事が最も大切であることも教えられた。開業して1年。その教えは身を持って感じているところだ。 |
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初めて名刺も持った。『医学博士 産婦人科医 田所千加枝』。不動産会社、メーカー、金融機関など、必ず職種を聞いてくる。自分が何者かを伝えるにはこれが唯一の看板だった。
休日に物件探しをして歩き回っている時、現在のテナントを見つけ、すべて自分で交渉した。独力で行ったことで、今までが人に助けてもらって診療が成り立っていたことを実感した。
「開業資金も全部借金です。『うちも中小企業だから貸して』と言って、商工会議所からも借りました」。膨大な書類の提出や年2回の企業診断などが義務付けられたが、無担保無利子であれば否やはなかった。
また以前、働く女性の総合的な健康管理のための勤労女性メディカルセンターの立ち上げに関わり、そのホームページ開設も手がけた経験を活かし、自らネット上にバーチャル診察室を作った。オープンまでの過程に関心も高く、「今日はデザイン決定」「契約でこれだけ入金した」など書き綴った開業日記も掲載した。「自分でもおもしろかったし、応援してくれる人も多かった」。
現在、インターネットを閲覧して来院してくる患者が5割近いという。 |
インターネットで院名も公募し、院外処方と院内処方のどちらを希望するかもアンケートした。予想外に、「院外でも恥ずかしくない」との声が多かった。婦人科は他科と比べ、院外処方率が低い傾向にあるが、アンケートの結果や漢方薬を処方するため院外処方とした。 「婦人科用の薬の在庫を持つ薬局は多くありません。漢方もそれほど種類はないでしょう。近くにそうした薬局を確保できるかが重要です。『処方を出すから』と、リストをこちらから出して在庫を持ってもらいました」。
開院は平成13年4月と決まり、ネットでも発表した。 「しんどかったけど、充実感があった」。 |
産婦人科は地域によって規制が異なる科目だという。それを熟知していないと開業はできない。土壇場でそれが起こった。婦人科で手術を伴う場合、大阪市の母体保護法では、1階での開業しか認めていなかったのだ。3階を予定していたが、急遽、1階にあったサウナに移動してもらい、設計図も書き直した。「いまだにデザイナーから、『2回書いたけど、2回分貰っていない』と言われます」と、当時を振り返る。
開業当初は一日3~12人ほどの外来だったが、今は40~60人で推移している。「60人が限界です。それ以上診るには2診体制を敷かなければできません。『ちかえレディースクリニック』と掲げている限りは、一人でできる範囲で診療していこうと考えています」。 |
ターゲットとしては婦人科へ行きたくとも行けなかった、どの診療科へ行ったら良いのかわからない、そんな女性を想定した。場所柄、近鉄沿線からの患者が多いが、三重や奈良からの来院もある。地元の病医院には間に合わないので、仕事帰りに来院する。その患者が会社で口コミ媒体となってくれる。「気軽に相談に乗ってくれる先生」と伝えてくれる。
「患者離れのよい医者になりたいと思っています。治療が必要な患者で来なければ、電話をしてでも通わせますが、治ればもう来なくてもいい」。
産婦人科医は、「女性のホームドクター」であると語る。開業1年ながら、その評判を聞き、開業のアドバイスを求められることも多くなった。 |
すでに二人の医師が田所院長の指南を受け開業したという。融資の受け方や物品購入など、知る限りのすべてを教えた。「多くの人に学んだことを、また人に返す。自分だけが盛業していても仕方がないじゃないですか。たとえ一日100人来ていただいても、一人にかける時間が短くなります。それでは本末転倒です。毎日忙しいけどいろいろな人と触れ合うことができる。皆が楽しくやっていけて、生活できるぐらいの収入があればいい」。
貰ったものを返していく立場になったが、日々の患者さんとの触れ合いで、さらに多くものを貰っているようだ。 |
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ちかえレディースクリニック |
住所 |
〒543-0023
大阪府大阪市天王寺区味原町14-4 レザックセントラルビル1F |
標榜科目 |
婦人科、婦人内科、更年期、東洋医学、不妊相談 |
医療設備 |
エコー、内診台、心電図、他 |
延べ床面積 |
26坪 |
物件形態 |
ビル診 |
スタッフ数 |
常勤医師: |
1名 |
看護師: |
1名(非常勤) |
受付事務: |
2名(非常勤) |
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※のべ13名 |
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開業資金 |
4,200万円 |
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2002.4.5掲載 (C)LinkStaff
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