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医療に海のようなやさしさを

海谷眼科
 



海谷 忠良 院長


「海仁」…静岡県浜松市・海谷眼科が掲げる理念だ。
同院の海谷忠良院長は、こう語る。
「患者様と私どもが信頼の絆で結びついていて、初めて良い医療が成り立つのです。医療者の思いやり・慈しみの心(仁)は、海のように広く深くなくてはなりません。『海仁』の心を決して忘れることなく、私たちは日々取り組んでいます」

海谷忠良院長は1946年山形県生まれ。71年新潟大学医学部を卒業後、同大医学部付属病院眼科学教室を経て、秋田赤十字病院眼科で勤務する。76年から聖隷浜松病院眼科に赴任、眼科部長、副院長を歴任した。
98年海谷眼科を開設、同院長。2000年医療法人社団海仁を設立、同理事長。01年医療法人社団海仁 海谷眼科設立、同院長。
緑内障・白内障治療の第一人者として知られる一方、温かくユーモア溢れる語りも市民に好評で、浜松の名士としての存在感も格別なものがある。

 
 ■ 開業までの歩み

◆過疎地から医学部へ―――苦学の道のり

海谷院長は山形県山間部の農家に生まれた。緑豊かな美しい自然で育ち、少年はいつしか医学の道を志す。僻地医療に汗を流す医師の姿に、強く心打たれたのである。
都会のように塾があるわけでもない。家庭教師もいない。少年は己の意志だけを頼りに、鉛筆一本で学問の王道を歩み続けた。全校生徒50人の分校で学んだ海谷院長。周りに医学部へ進んだ人など誰もいない。それでも志を捨てることはなかった。
念願叶って1965年、新潟大学医学部に現役で合格。分校出身者としては前代未聞の快挙だった。

◆財産は「信用」

大学卒業後は眼科医として研鑽を積んだ海谷院長。76年、聖隷浜松病院に赴任したのが浜松との縁の始まりである。当初は数ヶ月だけの予定だったが、新たに着任予定の眼科医がキャンセル、「ずっといて欲しい」と懇願されたのである。以来同院の名物眼科医となり、眼科部長、副院長を歴任。勤務は22年間に及んだ。
「聖隷で働いて何よりプラスだったのは、医師としての技量を高められたこと。そして多くの患者様と信頼関係を築けたことです。日々腕を磨き、患者様に真心で向き合ってきた蓄積が、今につながっているのだと思います」
赴任当初、聖隷浜松病院の眼科は、医師・看護師が各1人ずつという手薄な陣容だった。それが退任時には外来スタッフが50人に増え、ベッドも50床備えていたのである。同院での奮闘振りがよく現れている。

だが海谷院長の理想はさらに遠大なものだった。
「アメリカで眼科専門の研究施設(マイアミ大学 パスコム・パーマー研究所)を見たんですが、設備の質・量ともに素晴らしかった。最新の機器が豊富に揃っていて、日本にもこんな施設を作らなくてはいけないと思いました。でも勤務医では実現できない。やはり自分は独立して、この理想に賭けるしかないと決意したのです」
目に関わる「すべて」を受け止められる、眼科の総合センター建設が、この時始まった。



クリニック外観


患者との絆が何よりの財産

 開業に当って、まず何よりも資金面が問題となる。だがここでも聖隷時代の「財産」がモノを言った。
「担保がなくても、私という人物そのものを見てくれる金融機関がありました。私の聖隷での実績・患者さんとの絆を評価してもらい、『あなたがやるなら成功するだろう』と融資して下さったんです」
場所に関しては、あらゆる眼科設備を揃えた大型施設を考えていたため、スペースの広さが最優先であった。その上で駐車場が十分に確保できる場所を探した(広い物件は駅から距離が出るため、患者の通院はマイカーが主体となる)。幸いにして、かつてスーパーマーケットだった物件が見つかる。建物裏には2階建ての駐車場もあり、最大で約130台の駐車が可能となった。
こうして98年6月、徳川家康が雄飛の基を築いた浜松城のそばに、海谷眼科が産声を上げたのだった。

 ■ クリニックの運営

◆2つのコスト

海谷院長が聖隷浜松病院時代に築いた信用は大きく、開院直後から海谷眼科は盛況となった。
「経営的には、開院当初よりも今の方が大変です。医療費が切り下げになる一方なので、何とかしてコストを切り詰めていかなくてはならない」
運営コストは、大きく分けて人件費(ソフト面)、設備費(ハード面)に二分される。 海谷院長は人件費(ソフト面)をしっかり抑制することが大切と話す。
「余剰人員を雇う余裕はウチにはありません。人を厳選する必要があります。普通の人を2人採用して(1+1=2)の仕事をしてもらうなら、優秀な人を1人とって、(1.5)の仕事をしてもらった方がいいんです」
医師の雇用は年俸制の1年契約とし、プロ野球チームなみの査定項目を設けている。もちろん力量のある医師にはそれに見合った報酬が約束される。
一方、設備費(ハード面)についてはこう話す。
「眼科で新しい機器が出ても、中には保健の点数にならず、収益性が良くない物もあります。しかし患者様のためになるなら迷わず購入しています。たとえ個々の費用対効果は悪くても、トータルの医療が向上すれば患者様の満足度が上がり、定着するようになります」医療内容を向上させるため、必要なものは高額でも導入する、それが基本方針である。

◆クレームをあえて公表

先述のように、開院前から浜松で築いてきた信用のお陰で、多くの患者が海谷院長を頼ってくる。院長に増患対策の秘訣を聞いた。
「レストランを経営していると思えばいいんです。美味しいと評判の店があったとする。でも実際食べに行ってマズかったら、次は行かないですよね。医療機関も同じです。新規の患者様がいらっしゃった時こそ勝負で、『来て良かった』と思っていただくことが大切なんです」
口コミが呼び込んだ新患を確実に満足させ、評価を定着させてきたのだという。
事実、海谷眼科は患者本位の医療を目指し、他院にはない取り組みを見せている。その一つが「叱咤激励・質問箱」である。もっとも患者用の投書箱を設けている医院は他にもあるだろう。だが海谷眼科の徹底したところは、患者からの手痛い指摘もあえて公表し、改善への取り組みを示している点である。
例えば同院の機関紙「海仁」の第7号では、「スリッパが汚れている」という苦情を掲載した(写真右)
。その上で、「院内のすべてのスリッパを交換」「スリッパ用の滅菌機を購入」という徹底した対応を報告しているのである。
クレームをあえて紹介するのは決して都合の良い事ではなく、それを改善する手間と費用は大変なものだ。患者本位の医療を追求する強固な意志があって、はじめてできることだろう。同院では組織的にも「サービス担当係」という部署を設置しており、患者の満足度を細かくチェックして、運営に生かしているのである。



苦情にも真摯に向き合い、改善を実行する
 ■ クリニックの内容

◆「レーシック」の先駆者として

視力矯正手術に関心のある人は、一度は海谷院長の名を聞いたことがあるかもしれない。院長は視力矯正手術に関して国内有数の医師であり、海谷眼科には日本最高水準の設備が揃っている。同院は設立の98年からエキシマレーザー(熱を発生しない最新鋭のレーザー)を導入し、「レーシック」という近視矯正手術を導入した。これはコンピューター制御によるレーザーで角膜の形状を修正する手術であり、近視矯正手術の中では最も安全とされている。同院では事前に患者一人一人への個別説明会を行うなど、術前術後の配慮も欠かさず行っている。
「うちはレーシックだけを勧めている訳ではありません。どの視力矯正法がいいか、患者様と十分相談して治療を進めています。またレーシックは美容形成のクリニックさんも行っています。しかし安全面からいえば、眼科をしっかり理解した人だけに行って欲しいですね」と院長は話す。



コメディカルも充実(写真は視能訓練の様子)

◆糖尿病の合併症対策―――内科との連携

同院の医療は医師による手術・診療に限らない。視能訓練室(弱視・斜視の訓練治療など)、ロービジョンセンター(メガネ・拡大鏡選びのサポートなど)ほか、コメディカルを中心とした患者へのサポートも充実している。知識・メンタル面での支援体制として、医療相談室、インフォームドコンセント室なども備えている。
また海谷院長は、糖尿病合併症への対策を重視する。糖尿病網膜症などは成人の失明原因の第一位(年間約3000人が失明)となっており、眼科が積極的に関わっていく必要があるからだ。
「糖尿病になっても眼科で迅速に対応すれば、失明は避けられます。逆に内科で糖尿病をしっかり治療しないと、根本的な治療にはなりません。内科と眼科の連携治療が必要なのです」
こう話す海谷院長は同院の1Fに内科を招いており(井上医院:内科・循環器科)、科目横断的な治療を実現している。また海谷眼科内にも「眼糖尿病センター」を設け、個別の栄養指導などを行っている。

◆「海仁」―――海のような慈しみで、いつも患者のそばに

海谷眼科では年一回「学会」を開催している。クリニック単体での学会と聞くと驚く人もいるだろう。だが通常の学会は「医者同士の研究発表」なのに対し、海谷眼科の学会は「患者様への研究ご報告」なのである。
同院ならびに分院の各部署が毎年テーマを決めて研究し、懇切丁寧に説明する。発表の合間には音楽療法の専門家によるライヴも行われるなど、一般の来場者も楽しめるよう工夫されており、2005年は約200人の聴衆が集まった。「学会=医者のもの」という既成概念を打破しているのが何とも面白い。
医療は医者のものではなく、患者のもの―――この姿勢の徹底こそ、海谷眼科の理念「海仁」の実践である。
「医療者の仁(慈しみ・思いやりの心)は、海のように広く深いものでなくてはならない。私どもを頼って下さった患者様に、海のようなやさしさでお答えしたいのです」 そう語る院長の眼差しには、患者と真正面から向き合う情熱が溢れていた。

 ■ 開業へのアドバイス

「まず自分の理念をしっかり持つことですね。理念が無いと、いざ厳しい状況になった時、足元がふらつきます。その次に戦略・事業計画が必要です。開業候補地のニーズを正確に把握し、自分の目指す医療とどこがマッチするかを良く考えるべきです。
そしてクリニックを運営する以上、医療以外の面でも様々な配慮が必要です。うちでは待ち時間の苦痛軽減を特に重視していて、喫茶店を併設したり、肌荒れをチェックできるマシンを置いたりしています。また入院患者様には定期的に音楽療法を提供しています。ソファを置いて雑誌を並べておけばいいという感覚は、もう古いですね」

 ■ 院長パーソナリティー―――趣味は学会?


「趣味は釣りですね。アラスカまでサーモン釣りに行くくらい好きです。あとは学会に出ることかなぁ。良い息抜きになるんですよ(笑)。色んな人との交流もできますし。
もちろんスタッフとの交流も欠かさないようにしています。また同時に、自分がお手本になれるように頑張ろうとも思います。仕事上厳しいことも言いますが、私自身が己に厳しくしないと人はついて来ません。自らを鍛える意味も込めて、私は開院以来13キロ減量しました。
子供は娘が三人です。長女は眼科医、次女が視能訓練士になって頑張っています。三女も視能訓練士をやっていたのですが、現在は違う分野の勉強をしています。今一番の楽しみは、孫に会うことだなぁ(笑)」


お孫さんの写真を手に、満面の笑み
先生タイムスケジュール
クリニック平面図




海谷眼科
院長 海谷忠良氏
住所 〒430-0903
浜松市助信町20-40
医療設備 電子カルテシステム、眼底カメラ、マルチカラーレーザー光凝固装置、スキャニングレーザー、エキシマレーザー他、最新機器多数
延べ床面積 2004.36 ㎡
物件形態 ビル、3階建て
スタッフ数 医師9人、看護師15人、そのほか約50人
HP http://www.kaiya-eyes.com/




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(終わり)
2006.03.01掲載 (C)LinkStaff

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