|
|
小坂田 誠 院長 |
「日本のへそ」で知られる兵庫県西脇市に2003年に開業したおさかだ耳鼻咽喉科医院をご紹介する。
小坂田誠院長は1961年に現在の岡山市で生まれた。ご両親ともに岡山出身であったが、勤務医のお父様の転勤に伴い、小さい頃は明石市や京都市で過ごす。小坂田院長が中学生のときにお父様が開業を決意され、西脇市に転居する。その後、順天堂大学医学部に学んだ。1987年に卒業後、順天堂大学耳鼻咽喉科に入局し、関連病院に勤務する。1992年には神戸大学耳鼻咽喉科に入局し、六甲アイランド病院、兵庫県立加古川病院、西脇市立西脇病院を経て、2003年に西脇市野村町におさかだ耳鼻咽喉科医院を開業した。
|
|
|
■ 開業前後 |
小坂田院長は順天堂大学医学部の5年生のとき、ポリクリで耳鼻咽喉科を経験する。そのときの印象を「とてもラクそうで、楽しそうだったんですよ。それで入局を決めました。」と語る。ところが「入局してみて実習のときの先輩方の態度は芝居だったのだと分かりました(笑)。実際は咽頭がんの手術など大変にハードな毎日だったのです。」と考えを改めるに至った。その後、関連病院で研鑽を積む。
ところが1990年、西脇市で有床の外科診療所を開業していたお父様が急逝するという事態が訪れた。
「父は入院する前日まで普通に仕事をしていまして、入院後2週間で亡くなりましたが、生命保険に入っていなかったので相続税の支払いなど大変な苦労をしました。」
小坂田院長はお兄様との二人兄弟で、お兄様は神奈川県内で歯科医院を開業していたため、お母様がお一人になってしまった。それで帰郷を決意し、1992年に神戸大学の医局に移った。六甲アイランド病院に5年、西脇市立西脇病院に1年半、兵庫県立加古川病院に1年9ヶ月の勤務を経て、再び、西脇市立西脇病院に勤務した。
「うちは父だけでなく、父方の叔父や叔母、母方の伯父など皆が開業医なんです。開業してはじめて認められる雰囲気もありましたが、そういった親戚が『困ったことがあったら何でも相談してくれ』と言ってくれて、徐々に開業へと気持ちが傾いていきました。」
お父様はご友人の勧めなどから西脇市を開業の地に選んだ、いわゆる「パラシュート開業」であったが、小坂田院長は2代目として、お父様の医院を継承していくことになり、開業準備を開始した。
|
クリニック入口
|
クリニック外観
|
お父様の医院は外科診療所であったため、病室、手術室、調理室なども完備し、居住部分も2階にあった。まずお母様の居住スペースを改築し、医院の設計、内装に取り掛かることになった。
「父が亡くなって10年以上経過していましたから、1階部分は大分汚れていました。まずは綺麗で明るい医院になるように大改装し、色の組み合わせなども配慮しました。」
もともとが有床診療所であったためスペースはかなり広く、耳鼻咽喉科としては非常に恵まれた空間である。設計にあたっての小坂田院長のこだわりは「診療中でも、診察室内部に完全に目が届くこと。カルテを書きながらでも、目を動かせば患者さんの様子が分かること」であった。診察のための患者さんのチェアは2台あり、このほか吸入器のスペースも設けてあるが、いずれもゆったりと寛げる雰囲気である。
また待合室も広く、ソファには20人ほどが腰掛けられるゆとりがあり幼児用スペースも設けられている。駐車場も10台以上駐車可能である。
開業にあたり、悩みの一つに挙げられることが多いスタッフ募集であるが、小坂田院長は全く苦労しなかったという。西脇市立西脇病院時代に同僚であった看護師2名、検査技師1名、受付2名の陣容が即座に決まった。
開業日は2003年6月3日である。一般に耳鼻咽喉科は3、4月の花粉症シーズンが多忙で、7月から9月にかけての時期が閑散期であるとされている。小坂田院長は多忙の時期を避け、スタッフともども診療に慣れていくために6月を開業の時期に定め、逆算して準備を行った。この設定は功を奏し、満を持して2004年の花粉症シーズンを迎えることができたという。
開業にあたっては新聞の折り込みチラシを2回ほど行い、中国自動車道滝野社インターチェンジから西脇市街へと向かう国道175号線沿いに看板を2枚ほど出しただけのシンプルな広告展開であったが、開業日には患者さんは列をなし、初日は80人の外来患者を数えた。診察が終わったのは夜の10時だったそうである。おさかだ耳鼻咽喉科医院は順調なスタートを切った。 |
|
■ クリニックの内容 |
① スタッフとの絆
おさかだ耳鼻咽喉科医院では開業以来、5人のスタッフの顔ぶれが変わっていない。スタッフ教育に関して小坂田院長は独自の考えを持っている。
「スタッフ教育が必要でないベテランばかりを採用しました。ベテランだと接遇にしろ、業務にしろ教えることはほとんどありませんから。こうした医院では医者がいくら頑張っても、スタッフ一人で評判を落とすことがあります。患者さんの比率もサラリーマンよりは子どもや高齢者が多いので、若いスタッフを採用してもあまりメリットにならないと思ったのです。プロ意識の高さからか掃除もきちんとしてくれますし、ミーティングも自分たちで済ませています。私の方が教育されていますよ(笑)。」
スタッフの皆さんにも話を伺った。看護師の松本さん、藤原さんは西脇市立西脇病院から転職し、医院に勤務するのは初めてであるという。しかし「患者さんの情報の共有など大病院よりもスムーズですし、働きやすい環境ですね」と言う。「医療事故の防止はもちろんのことですが、子どもの患者さんが多いですから、転んだり、椅子から落ちたりなどといった院内での事故防止にも注意しています」と配慮を忘れない。
検査技師の依藤さんも西脇市立西脇病院からの転職メンバーだが「西脇病院からの患者さんにお会いすることも多いですね」と語る。
受付の篠田さんは自分の子どもさんが読んだ本や絵本を医院に持ってきて、待合室に置いている。「待ち時間が長くなった場合、そのストレスを軽くできたらと思っています。」
また橋本さんは「院長が優しく、おおらかなことが有難いです。『皆さんがミスをしても、責任は僕だから』といつも言われています」と話すなど、小坂田院長との信頼関係は強い。
小坂田院長はスタッフの努力に感謝を込めて、このほどスタッフルームにマッサージチェアをプレゼントした。このほか月に一度の食事会などを催し、コミュニケーションを保っている。
|
院長とスタッフ |
診察室内 治療ユニット
|
② 診療内容
年間を通じては風邪から起こる鼻水や喉の痛みの治療がメインであるが、春先は花粉症の治療がメインになる。昨年度は全国的に猛威をふるった花粉だが、今年は花粉量自体は減少している。それでも昨年に重篤な症状だった患者さんは今年も辛い状況が続いているという。
昨今、社会的にも問題となっている睡眠時無呼吸症候群の治療にも積極的だ。このほど自宅で簡単に検査できる装置を導入し、そこで疾患が発覚した患者さんには精密検査を勧めて、完治を目指す。
病診連携にも取り組み、連携先としては西脇市立西脇病院などが挙げられる。
小坂田院長は「親の七光りもあるのでしょうか、患者さんにはたくさん来て頂いているように思います。診療時に患者さんが父への感謝の気持ちをおっしゃると、こちらも身が引き締まりますね。そこで、患者さんの見方に立ったスタンスが確立されていったのではないでしょうか。」
例えば、薬を飲んでこない患者さんの気持ちを「仕事が忙しかったのかな」「薬の味がよくないのかな」など、勤務医時代には考えつかなかったことまで思いを馳せるようになったという。
大病院では「3時間待ちの3分診療」が言われて久しいが、小坂田院長は勤務医時代から患者さんへの説明を丁寧にしていたと自負がある。しかし開業後も患者さんの足が途絶えず、100人以上の患者を迎える日もめずらしくない。
「患者さんの気持ちとしては医院で待つのは想定外でしょうから、説明の段取りを改善して、待たせない工夫をしています。私としては何でも自分でやりたいところを我慢して、看護師に任せられるところは任せていますね。」 |
③ 今後の展開
小坂田院長に今後の方針を伺った。
「望みとしては医院を閉める日まで、同じスタッフで働くことですね。今、最高にうまくいっていますから。あとは上手に時間を作って、休みの日にはゴルフに行けるようになりたいです(笑)。」
|
|
|
■ 開業に向けてのアドバイス |
診療報酬も改定され、開業医にとっては厳しい時代になることが予測されます。開業を考えているのであれば、今がチャンスだと思います。自分の好きなように、我慢せず、理想の開業をして頂けたらと願っています。
|
|
先生タイムスケジュール |
|
クリニック平面図 |
|
|
おさかだ耳鼻咽喉科医院 |
院長 |
小坂田誠氏 |
住所 |
〒677-0054
兵庫県西脇市野村町1795-341 |
医療設備 |
レントゲン、電子カルテ、ユニット、炭酸ガスレーザー |
延べ床面積 |
約200坪 |
物件形態 |
戸建て |
スタッフ数 |
院長、看護師2人、検査技師1人、受付2人 |
開業資金 |
約1億2000万円 |
HP |
準備中 |
|
|
|
|
(終わり) |
2006.04.01掲載 (C)LinkStaff |