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北川眼科
 



北川 雄士 院長

北川眼科は佐賀県武雄市の中心部に位置する。武雄市は佐賀市と長崎県佐世保市の中間に位置する人口約5万3千人の街である。
  近くには1300年前に開湯したといわれる武雄温泉があり、美しい桜でも知られている。豊かな川の流れや蒼々とした山並みに囲まれたロケーションは安らぎをもたらしている。

北川 雄士(きたがわ ゆうじ)院長 プロフィール

北川雄士院長は1955年に佐賀市で生まれた。1982年に福岡大学医学部を卒業後、福岡大学医学部眼科学教室に入局する。
唐津赤十字病院眼科に勤務した後、1985年に長崎県島原市にある医療法人中村眼科医院の副院長に就任する。
1991年に佐賀県武雄市で北川眼科を開業し、現在に至る。


●北川眼科 概要はこちら

 ■ 開業前後

北川眼科

 北川院長が医師を目指したきっかけは、幼少の頃にあまり体が丈夫ではなく、頻繁に病院に通っていた経験からだそうだ。 学校の朝礼のときに倒れることもあるなど、数えたらきりがないほどの思い出を持つほどの病弱であったという。当時、通っていた病院の院長から「うちの柱の一本は北川くんが立ててくれたようなもんだよ」と言われたエピソードもある。 このような幼少の経験から、人の体を治す医療に興味を持ち、医師を目指すようになった。

  福岡大学を卒業し、勤務医生活を送っていたが、最初から開業志向であったという。その理由は、あまり昔から人に使われることが好きではなかったこと、また自分が思い描く医療をしてみたかったからだ。それは利益追求でなく、患者さん本位の医療にある。専攻する科に関しては産婦人科に興味を持っていたが、6年生のポリクリのときに産婦人科を回り、異常分娩を連続して目の当たりにしたことから「これは自分にはできない」と感じたそうだ。北川院長は「それで専攻科の選定に迷ってしまいました。そのときにちょうどクラブの先輩から眼科へのお誘いがあり、それがきっかけとなって眼科の道に進むことにしました」と話す。

 勤務医生活を9年ほど経験したが、勤務した病医院の中では中村眼科医院が一番印象深いし、またいい経験もしたという。当初、大学の教授から、唐津赤十字病院での勤務終了後は、一旦、大学に戻る予定だといわれていたが、北川院長が知らない間に中村眼科医院の中村院長と教授の話し合いが行われており、それで中村眼科医院に勤務することになった。
当時中村眼科医院のある、長崎県の島原地区には眼科医院が2医院しかなかった。そのため外来の患者さんが1日400人程と非常に多く、また夏休みになると600人程に増え、医院に入りきらず、前の道路に待って頂くこともしばしばあった。長い時間待っていた患者さんに対しても短い診察しかできなかったが、そこで短時間に患者さんが望んでいることが何かを捉える訓練ができたという。ただこれは、カルテの書き方や診察室に特別な工夫があるわけではなく自然と身についたものだそうだ。

  「中村院長からはたとえ3時間待って30秒の診察でも来てよかったと患者さんに思ってもらわないといけないよ、と常日頃言われていました。またそこで、以前勤めていた大学病院や赤十字病院と比較にならないほど多くの患者さん、また多くの目の疾患を診察できたことでやりがいを感じ、眼科医になってよかったと思いました。」


診察室
 ■ そして開業の準備を進めることになった。
 開業地としてはご両親の住まいがある佐賀市内を中心に探し始めていたが、中村眼科医院の中村院長から「県庁所在地は、開業医が集中するから競争が激しくなるので避けた方がいい」とアドバイスを受けた。そこで、佐賀県の第二の都市である唐津市、第3の都市である鳥栖市のなかで、色々物件を探した。しかし中村院長の「大通りに面していない、交通量の少ないところを選ぶと、眼が悪い患者さんや子どもさんが、通院しやすいよ」という具体的なアドバイスがあった。そこで北川院長が見つけた武雄市の土地は、周辺が田んぼであったが中村院長のアドバイス通りの条件を備えていた。「遠くには山々が見え、近くには川が流れ、桜の木が多く、ここしかないと思いました。」

 北川眼科の開業準備は徐々に進んでいった。開業時のスタッフについては、ハローワークで募集をかけただけだがスムーズに集まった。そして1991年(平成3年)3月3日に開業した。
「建物の前に桜の木がたくさんあり、丁度桜の花が芽吹く頃をと思っていました。それは今から新しく出発する自分の心境にあっていたんですね。また数字の語呂も良かったので、この日を選びました。」

 建物にあたって、建物は3階一戸建てにした。それは1階を診察室、2階を病室そして3階を住居と決めていたからだ。「当初、地域一番の眼科医院になると張り切っていました。そのためには3階を住居にすることにより、常に緊張感を持続し、またすぐに患者さんに対応できるようにと思っていたわけです。」

 現在は、別に住まいを構えているが、理由はお子さんが6人おられ、手狭になったからだそうだ。ただ気持ちは開業当時と変わらず、スタッフと連携をとり、何かあったらすぐ対応が取れるようにしている。またこれだけ多くの患者さんが来院しているので、責任感、使命感は開業当時より強く、緊張感をいつも持っているとのことだ。
開業時の告知活動は、国道34号線のバイパス沿いと市道に小さい看板を2箇所立てただけで、あとは一切しなかった。「患者さんが、患者さんを必ず呼んでくれると思ったし、これが何よりもの告知活動と考えていました」と北川院長は当時を振り返る。
敷地については660㎡を取得した。
  都市部では実現しがたい広さであるが、北川院長は駐車スペースの確保を第一に考えた。土地柄ゆえに交通手段が自動車であり、また山間部から来る患者さんも多いので、駐車スペースを約60台とり、患者さんが来院しやすい環境を作った。   
開業資金は2億5千万円程かかった。担保にするものは何もなく、また自己資金もほとんどなかったが、幸い長崎のある銀行から開業後の建物を担保にという話があり、さらに運転資金となる2千万円も借りることもきた。「当時はまだ融資に対して現在ほど厳しくはなかったので、銀行も貸してくれたのかもしれません。」

 ■ クリニックの内容

アイホール
(研修室及びキッズルーム)

 開業した土地には北川院長の友達や知り合いがいなかったため、地盤ができているわけではなかった。
また近くの病院に勤務していたわけでもないので、自分の患者さんを一人も持っていなかった。

そのため最初は「あの人だれ?」といった雰囲気もあったようだ。ところが北川院長には不思議なことに、不安がなかったという。

 「中村眼科では1日に何百人の患者さんを診ていました。そのときに中村院長のご友人の歯科医の方が『北川君は患者さんを集める何かを持っているから、開業しても大丈夫だよ』と言って下さったことがあって、開業直後にはその言葉をよく思い出して、自信を回復させていました。」

 北川眼科では、開業当時1日平均の外来患者数は50人だった。1994年3月に100人を超え、2001年4月に200人を超えた。順調に外来患者数は増加していったが、300人は遠い目標のように感じられた。だがついに2006年7月300人を超え、その2週間後には338人の来院患者があったそうだ。今は平均210人の来院である。開院して6ヶ月の間は暇な日が多かったが、その後患者数は増えていった。その後3年間は横ばいだったが、この2年間は右肩上がりになっている。この増患の理由を北川院長はこのように語った。

 「技術はどんな医者でもほとんど変わりません。重要なのは患者さんとの会話によって状況を理解し、不安を取り除いてあげることに尽きます。例えば、結膜炎で来院した患者さんに対して、いきなり視力を測る、眼圧を測るなど、関係のない様々な検査をする医療機関もあるそうです。患者さんはそれにより高いお金を払わなければならなくなるので、薬局で市販の目薬を買って済まそうとします。
開業医はそういうものではありません。患者さんが、何を一番望んでいるのかを知ることです。結膜炎がひどければ、まず目やにを止めてあげる、そして結膜炎の治療をし、その後視力検査などをするのが当たり前です。それなのに患者さんが来たらいきなり検査のフルコースをするので、医療費も増えます。そんなことをしたら、患者さんは来てくれなくなります。当たり前の話なのに、これができているところは、なかなかありません。」

北川眼科は13床の病床を有し、白内障などの手術にも対応している。病室にはテレビや電話を備え、すぐれた療養環境を実現している。 さらに北川眼科には「アイホール」という名称の部屋が存在する。これは月に2回の健康教育講座やスタッフ教育などのほか、白内障の手術をする前に、患者さんとそのご家族の方を集めて、手術の内容や、危険性を説明する場にもなっている。

 「開業にあたっては、こうしたホールを必ず作りたかったんですよ。患者さんに病気などの色々な話をしたかったんですね。健康教育講座といっても堅苦しい話ではなく、また一方通行の話でもないので、患者さんから色々な悩み、意見が出ます。患者さんの求めるものを知ることにも一役買っています。」

 また、小児眼科にも力を入れている。視力が落ちていくと、眼鏡をかけるようになるが、それをすることによりますます視力が落ちていく。両親の「眼鏡をかけさせたくない」という思いを尊重し、北川眼科ではなるべく眼鏡を使わせない方針を採用している。
そこで視力の維持・回復のために、点眼、ワックはもちろん、スーパーライザーを使用して、眼血流量を増加させ、目の回りの緊張を緩和する。子どもの近視は東洋医学では、「水毒」が原因とも言われているので、水を取り除く漢方薬を使用する。また今後、他のクリニックが行っていない治療方法も取り入れ、またアロマテラピーにも力を入れていくそうだ。
現在アロマテラピストを、非常勤として迎え、子どもの患者に合うオイルを作ってもらっている。さらに母親にアロマオイルを使ったマッサージ方法を指導している。

「アロマテラピーというのはリラクゼーションです。今の子どもたちはストレスによる心因性視力障害が結構多く、色々検査しても何も出てこないのに、視力は低下していることがあります。ただアロマテラピーをやったからといって、すぐ視力が回復するとは思いませんが、ストレスを少しでも減らしてあげたいのです。お蔭様で子どもの外来も増えましたよ。」



手術室
 ■ 北川院長に今後の展望についてお伺いした。
 「外来のコンビ二化です。デパートでなく、コンビ二の優位性というのは『近くにある』ことにつきます。しかしながら眼科が一軒もない地域はたくさん存在します。私はそうした無眼科医村に分院を建てたいですね。つまり外来を分散化すれば、患者さんはすぐ近くの眼科に通いやすくなるわけです。手術が必要ならば、こちらに来て頂いて、状態が良くなれば、分院にまた戻って頂くという体制を作りたいです。」
 ■ 開業に向けてのアドバイス

  医者にもそれぞれタイプがあります。例えば大学病院に残って力を発揮するタイプ、また市中病院で力を発揮するタイプ、そして開業医で力を発揮するタイプなどがあると思います。自分自身を冷静に分析して、方向を決めるべきです。
大学病院で力を発揮している先生が開業したからといって、その力を充分発揮できるとは言い難いです。開業医に向く先生とは「会話力」があるタイプの先生です。目の前にいる患者さんをどう助けるかを本気で考えるためには患者さんとの会話が必要です。患者さんが何を望んでいるのかを知るには、会話をしてみないと分かりません。たとえそれが短い時間の診察であっても、それを嗅ぎ取る「会話力」が必要です。

  一球入魂の気持ちで患者さんに接して診察し、不安そうだった患者さんが笑顔を見せたときには医者冥利につきます。

先生タイムスケジュール

開業前





勤務医時代も今と同じ様なスケジュールでした。

開業後

7:00 起床
8:30 病院へ
8:45 朝礼
9:00 診察開始
14:30 休憩
15:00 診察再開
17:00 診察終了
17:30 帰宅
23:00 就寝
院長のプライベート
 趣味は、アウトドアです。キャンピングカーを持っていますので、夏には2回ほど下の子ども3人を連れて、湯布院、九重温泉に行きます。残念なことに連休がとれないので日帰りになりますが、リフレッシュにはなります。
クリニック平面図
北川眼科
院長 北川 雄士 氏
住所 〒843-0023
武雄市武雄町大字昭和159
医療設備 電アルゴン・クリプトンレーザー、
YAGレーザー、自動視野計、
スペキュラマイクロスコープ、GDx、
トポグラフィー、スーパーライザー、
網膜電位測定機(ERG)、各種眼底カメラ、
各種手術機械、入院13床 等
延べ床面積 330㎡  敷地:660㎡
物件形態 ビル、3階建て
スタッフ数 非常勤医師3名 薬剤師:1名 正看護師:1名
准看護師:6名 事務長:1名 事務職員:2名
受付:3名 眼科検査員:3名  コンタクトスタッフ:3名
調理スタッフ:2名 掃除スタッフ:2名
開業資金 2億5千万円
運用資金 約1千1百万~2千万円
開業当時外来

約50名/日 (現在 約200名~300名/日)

HP http://www.eye-takeo.or.jp/






(終わり)
2006.09.01掲載 (C)LinkStaff

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