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藤本内科クリニック

藤本 俊 理事長
 神戸市中央区に浮かぶポートアイランドは都市機能を有する国内初の人工島として、1981年に街開きを行った。総面積は443haである。神戸市の中心である三宮とはポートライナーや神戸大橋で結ばれ、新港東埠頭までの港島トンネルも後に開通するなど、アクセスにも恵まれている。昨年、ポートアイランド沖に神戸空港が開港し、ポートライナーが延伸され、ポートアイランドは国際都市神戸のさらなるシンボルとなった。 今回ご紹介する藤本内科クリニックは、ポートライナー北埠頭駅の眼前にあるビルに入居する。周囲には住宅街が広がり、街路樹の緑が印象的な場所である。
藤本 俊 理事長にお話を伺った。
 藤本 俊 理事長 プロフィール

1952年に大阪府豊中市で生まれる。お父様の転勤により山口県、東京都で中学生までの時代を過ごし、その後兵庫県宝塚市へ転居する。1977年に北海道大学医学部を卒業し、大阪大学医学部第一内科に入局する。1978年に国立札幌病院(現 独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター)の呼吸器内科で研修医となる。1979年に北海道大学大学院環境科学研究科環境医学講座の助手に就任し、学位を取得する。1982年に大阪府茨木市の大阪第二警察病院(現 北大阪警察病院)に入職、1988年には兵庫県伊丹市のみやそう病院に内科部長として着任する。1993年に神戸市中央区の旧北埠頭ビルに、藤本内科クリニックを開設、理事長として現在に至る。
 ■ 開業前後
 藤本俊理事長は「サラリーマンだった親がしないようなことをやってみたい」という気持ちと「親戚にも医者がいないので、一人医者がいれば…」というご両親からのアドバイスで医師への道を志したという。高校3年生の夏に北海道を旅行し、北海道大学の広大なキャンパスに魅了され、猛勉強の末、入学を果たす。充実した大学生活を終え、住み慣れた関西へ戻ろうと、大阪大学医学部第一内科に入局した。

  「ところが生化学などの研究を勧められたのです。私としては臨床を頑張りたいと思っていたので、そこで医局を辞めることにしました。そして北大で知り合いになった先生を頼り、呼吸器内科を専攻することに決め、国立札幌病院で研修医を始めました。」

  1979年に北海道大学大学院環境科学研究科環境医学講座の助手に就任し、研究生活に入る。血液中の銅、亜鉛、鉛などの重金属の濃度を計測し、脳梗塞、脳卒中、糖尿病、胃がんなどの疾患にどのように関与するのかという分析を行い、学位論文を執筆した。
1982年に研究を終え、大阪府茨木市の大阪第二警察病院の呼吸器内科に入職する。主に結核などの治療にあたったという。また気管支鏡も経験し、現在の胃カメラ検査や治療へとつながる研鑽を積む。その当時、週1回の非常勤勤務を行っていたのが兵庫県伊丹市のみやそう病院であり、そこで縁を得て、1988年には内科部長として招聘された。

  藤本理事長はみやそう病院に勤務しながら、開業への思いを募らせていったという。
「医師になった当初はそれほど強い開業志向を持っていたわけではないのですが、周囲の人たちから開業を勧められるようになったんです。第二警察病院にいたときに兵庫県内の物件を勧められたりもしたのですが、条件が合わなくて断念したこともあります。医局人事で動いていたわけでもなかったですし、この先勤務医をしていくよりも開業医の方がいいなあと思うようになっていきました。」

  しかし、その後は特に開業地を探していなかった藤本理事長のもとに一つの案件がもたらされる。ポートアイランドで開業していた後藤内科医院の継承物件であった。院長であった後藤先生は岡山県津山市の出身で、お父様が当地で開業されていた。そこで継承のため帰省の運びとなり、後藤内科医院を継承する医師を探していた。

  「震災の前の北埠頭ビルは古くて、うっとうしい感じのビルでした(笑)。広さは100平米ぐらいでしたね。最初は内科、循環器科、呼吸器科を標榜することにしました。」
継承物件の場合、資金面では有利とされているが、医師会への入会金も高額であり、場所と患者さんを引き継ぐために準備しなくてはいけない資金もあり、結局約5500万円ほどかかったという。

  1993年3月1日に開業日を迎えたが、最初は患者さんの来院が少なく、多いときで30人ぐらいであった。

  「後藤内科医院が閉院となってからブランクを空けずに開業したのですが、継承とはいっても医師が変われば、患者さんは一時的に減ってしまうようですね。その分、一人一人の患者さんに向き合う時間が取れたので、問診を入念にするなど一人一人の患者さんに時間をかけた診察ができました。」 開業してしばらくは、レセプトなど開業医としての仕事に慣れるのが大変で、増患対策などを行うゆとりもなかった。

「開業医が何をすべきかを理解するのに1年ほどかかりました。点滴だけの患者さんがいらっしゃったのですが、いきなり診察室に入ってこられ、他の患者さんとトラブルになるなど、びっくりすることも多かったですね。事務のスタッフも継承したのですが、前の医院では当たり前のようにされていたことが、私には受け入れ難いこともあり、当初は苦労しました。1年経って、だんだん自分の思うようなクリニックに変わっていきました。」

  しかし開業して2年足らずの1995年1月、阪神大震災に遭遇する。クリニックが入居するビルは傾き、液状化がおこったために泥だらけになり、水道も1ヶ月不通となった。患者さんの足もしばらく遠のいたが、徐々に戻ってこられるようになり、傾いたままのビルでの診察を続けた。

  そして2003年に北埠頭ビルが新築され、藤本内科クリニックも移転を行う。それを機にポートライナーの車内広告などに出稿し、増患対策も開始した。
 ■ クリニックの内容
①内科

 藤本理事長の専門は呼吸器内科であるため、喘息で通院する患者さんも多い。喘息には心理的な影響が強く、これが後述する心療内科の標榜へとつながるのだが、最近では小児より成人患者が多いという。

  喘息のみならず、入院や専門的な治療を必要とする患者さんには神戸市立中央市民病院や神戸赤十字病院に紹介を行う。中央市民病院は同じポートアイランド内にあり、神戸赤十字病院も近年港島トンネルでつながったHAT神戸にあるため、患者さんの利便性も良い。

  「中央区は病診連携に積極的に取り組んでいます。患者さんを自分のところで抱えていても、患者さんのためになりません。昔は紹介状を書かなかった開業医もいたそうですけど、今はありえないでしょう。地域医療の充実について考えてみた場合、病診連携は必須ですね。」

  ポートアイランドも街開きから四半世紀が過ぎて、その頃40歳だった人も今や高齢者となり、高齢化の波が押し寄せている。一方で少子化も同時に進み、「ポーアイ」は子どもが少ない地域になってきた。

  「近所の港島小学校も以前は1500人ぐらいの児童がいたのですが、今は1000人もいないようですね。私は港島中学校の校医をしていますが、1学年3クラスずつとなり、寂しくなりましたよ。」

  高齢化とともに需要されるのが訪問診療であるが、藤本内科クリニックでは震災直後から行うようになった。

  「震災後、このあたり一帯に仮設住宅ができたんです。そこに独居老人の方がたくさん入居されたのですが、通院が困難の方のために往診し始めたのがきっかけです。」

  現在は要介護者に週4日、1日2、3人ずつの訪問診療を行っている。点滴に関しては訪問看護で行うようになったため、訪問診療の件数は落ち着きを見せている。


②心療内科


藤本内科クリニックは開業時に標榜科目とは別に、保健所に対し、内科に加えて、精神科を届け出た。心身医学療法は診療報酬が低く、通院精神療法の加算を取るためには精神科の標榜が必要だったためである。1996年に「心療内科」が標榜科目として認められるようになったのを機に、藤本内科クリニックでも新たな標榜科目として、精神科を廃し心療内科を加えた。藤本理事長は1994年から関西医科大学の中井吉英教授のもとで心療内科の勉強を続け、様々な療法を学んだ。

  現在は週3日、完全予約制で時間をかけてカウンセリングを行っている。以前はアメリカのMRIから関西医大にもたらされた療法であるブリーフセラピーを行っていたが、行える患者さんが限られてしまうという欠陥があり、現在は行っていない。行動療法や認知療法が主流となっている。

  近年、うつ病圏にある患者数は増大しているというが、心療内科の医師も増えてきたため、藤本理事長自身は患者数が増えている実感はないという。訪問診療も心療内科での依頼は1割にも満たないそうだ。

  「心療内科にも力を入れて、待合室にヒーリングミュージックを流し、アロマを焚くようなクリニックにしたいですね。」


③ポートアイランドケアセンター

介護保険制度の開始に伴い、ポートアイランド内に特別養護老人ホームと老人保健施設が開所した。また老健には多くのケアマネージャーが入職した。それと同時に藤本内科クリニックでは訪問診療が減ってきたという。

  「ケアマネージャーも一生懸命なんでしょうが、患者さんを誘導して通院先を変えさせるなどスタンドプレーを目にするようになりました。そこで介護支援、訪問介護の事業所を作り、介護と医療の連携強化を図ろうと思ったのです。」

  2004年12月に訪問介護を開始し、2005年3月に介護支援事業を行うようになった。その結果、患者さんが安心して来院するようになり、レセプト枚数も2割の増加をみたそうだ。

  「投資自体も大きくなかったですし、ケアマネ1人、ヘルパー4人というスタッフもすぐ充足したので、スタートは順調でした。なにより患者さんが『何かやってくれそうなところや』と信頼してくださっているのが有り難いですね。さらに成熟した形を目指したいと考えています。」

  介護の難しさは「介護とは何か」という定義が個人によって異なることにあると言われる。しかしながら藤本理事長の定義は「生活をしやすくするのが介護」と極めて明確である。介護をきちんと行い、医療と両立できれば、患者さんの苦痛も取り除かれ、疾患の予後も改善される。一方、藤本理事長は現在の課題としてヘルパー教育を挙げる。

  「人員確保のためにヘルパーの増産を行った結果、質の低下が起きたと思われます。その点は医療者が責任を持って、教育にあたらなくてはいけないでしょう。」

■ 今後の展望
 内科の一般外来に関しては患者数が上限であるため、増患対策ではなく患者満足のための投資を行っていきたい意向である。例えば経鼻型の内視鏡やドップラー心エコーの導入である。経鼻内視鏡は患者さんとの意思疎通を可能にし、ドップラー心エコーでは中年以降に多いといわれる僧帽弁閉鎖不全の発見に有効である。

  さらに神戸市内にデイケアセンターを開設予定で、土地を探しているところだ。
「医師を必要としないデイサービスと異なり、デイケアには医師が必要なので新規参入に関してはスムーズにことが運びます。しかし補助金が出ないので、資金繰りを考えなくてはいけませんね。」

  2006年4月の診療報酬改定でリハビリでの日数制限が行われるようになった。藤本理事長は訪問診療先でリハビリに通院できなくなった患者さんの姿を目にすることが多くなってきたという。そこでデイケアでのリハビリのため、整形外科医、または神経内科医を募っている。

  「全国にリハビリ難民といわれる患者さんがいらっしゃいます。そういった患者さんの受け皿になる施設を作っていきたいですね。」
■ 開業に向けてのアドバイス
 私が開業した頃は患者さんの来院数が少なくても割に経営は楽でした。しかし診療報酬が改定され、毎年のように締め付けが強くなっています。以前は開業のメリットは金銭的な面だとされていましたが、今は違います。したがって、これから開業される方はコスト削減など経営面について、真剣に勉強しないといけないでしょう。中途半端な気持ちではうまくいかないと思います。
■ プライベートについて
 趣味はゴルフと野球観戦です。阪神タイガースのファンで昨シーズンは20試合ぐらい見ました。ナゴヤドームで中日になかなか勝てないので、ナゴヤドームの3塁側での応援にも行っていますよ。実はあごにひげを伸ばしていたのですが、「今年、阪神が優勝できなかったら剃る」と言ってしまったので、去年の秋に剃ってしまいました(笑)。
先生タイムスケジュール


クリニック平面図





藤本内科クリニック
理事長 藤本 俊 氏
住所 〒650-0046
神戸市中央区港島中町2-1-12北埠頭ビル2F
医療設備 レントゲン装置(単純撮影)、心エコー、腹部エコー、胃カメラ、骨量測定装置
延べ床面積 108㎡
物件形態 ビル診
スタッフ数 理事長、常勤看護師1人、非常勤看護師4人、常勤事務員2人、非常勤事務員2人、ケアマネージャー1人、ヘルパー2人
開業資金 約5500万円
HP http://kanjasamade.com/clinic


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(終わり)
2007.01.01掲載 (C)LinkStaff

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