みんなで生きるー地域に密着した精神療法
緑が丘心療内科 |
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川原 隆造 院長 |
緑が丘心療内科は九州本島最南端、大隅半島の真ん中に位置する鹿児島県鹿屋市にある。
鹿屋市は鹿児島空港からバスで1時間40分、鹿児島市内からは車とフェリーで1時間30分の位置にあり、錦江湾に面した美しい海岸線で知られる町である。
この地で緑が丘心療内科を開業する川原隆造院長は2005年まで鳥取大学医学部教授として臨床、研究、教育の第一線にあった。定年退職後に故郷に帰り、自分の専門分野で故郷の役に立ちたいという思いを実現するためクリニックを開業する。
川原院長に、開業までのキャリアについて、開業に至った理由、開業後の方針などお話を伺った。
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川原 隆造(かわはら りゅうぞう)院長 プロフィール
1939年に鹿児島県内之浦町(現肝属郡肝付町)で生まれる。
1966年に鳥取大学医学部を卒業し、精神科・心療内科教室に入局する。
倉吉病院、松江赤十字病院、島根県立中央病院に勤務の後、ヴェーラメディカルカレッジ(アメリカ)、ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)に留学する。
1994年に鳥取大学医学部精神科・心療内科教授に就任する。
2005年に定年退職後、緑が丘心療内科を開業する。
鳥取大学名誉教授、精神保健指定医、日医認定産業医、臨床研修指導医、日本欧州協同サイコセラピー資格認定医、日本森田療法学会認定医、日本内観医学会認定医 |
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■ 開業前後 |
川原隆造院長は1939年鹿児島県内之倉町(現肝属郡肝付町)で生まれた。医師を目指したきっかけは幼少の頃から病弱であったことと医療の乏しい環境に育ったことで、医師の必要性を子供心に感じたからだそうだ。
精神科を志したのは10代の頃から哲学に関心を持ち、いろいろな本を読み漁っていくうちにフロイトに巡りあったことが大きいという。そして日本で最初に精神医学の本を出版した鳥取大学の新福尚武先生の影響も受け、鳥取大学医学部に入学した。
1966年に鳥取大学医学部を卒業後、鳥取大学精神科・心療内科に入局する。その後医局人事で、倉吉病院、松江赤十字病院、島根県立中央病院に勤務した後、国立浜田病院(現国立病院機構浜田医療センター)の医長に就任する。1980年にはアメリカのヴェーラメディカルカレッジに、翌年にカナダのブリッティッシュコロンビア大学に公費留学を行う。留学前は主にてんかんの症例を研究していたが、アメリカのヴェーラメディカルカレッジではアメリカの進んだ臨床を目の当たりにすることになる。当時川原院長は睡眠研究も行っていたが、それまで行ってきたことをさらに深く研究したいという意欲のもとでの渡米であった。
「ヴェーラメディカルカレッジはテキサス州のヒューストンにあったのですが、5月であってもドライヤーで熱風を吹きかけられたような暑さでしたね。殆ど1年中プールで泳げるぐらいでしたよ。」
ヴェーラメディカルカレッジでDr.カラジャンという有名な睡眠研究者との出会いがあった。インポテンスの研究がメインの大学であったが、睡眠障害、睡眠けいれん、睡眠時無呼吸症候群などの研究機関もあり、睡眠に関するあらゆる症例が集まっていた。
「アメリカの臨床は進んでいます。日本は研究面ではそう遅れていませんでしたが、臨床面では20年遅れていると感じました。とにかく金を惜しみなく使い、医療設備やスタッフを充実させていましたね。」
カナダのブリティッシュコロンビア大学では基礎的な研究を行った。そこでは川原院長のその後の医療に影響を与える人物と出会う。北海道大学の助教授であったジュン A. ワダという非常に有名なてんかんの先生であった。
ワダ先生による毛筆の書には「Today is future. It is all yours」(今日はあなたの未来だ。今日があなたの全てだ。)とある。「簡潔な言葉で哲学を表現してくれています。今でも座右の銘にしている貴重な言葉です。」
帰国後、1994年に鳥取大学精神科・心療内科の教授に就任する。2005年に鳥取大学を定年退職したが、その後の進路に関しては、鳥取に残るか、東京に行くか、故郷に帰るかという3つの選択肢があった。鳥取県内の多くの病院が川原院長の定年を待ってオファーをしてきたし、川原院長が特殊な精神療法である内観療法に精通していたため、好条件でのオファーを行った東京の病院もあった。しかし川原院長は郷里に帰って開業し、専門としてきた精神療法を郷里の役に立てようと考えた。
開業の動機としてはお父様との約束も大きいという。お父様は町役場の助役を務めておられたが、鹿児島で1年間のインターンを終えた川原院長が郷里を離れるときに「10年経ったら帰ってきて町立病院あたりで責任を持って助けてやってくれ。」と依頼されたそうだ。
「結局、郷里を離れて10年以上が経ち、その間海外留学などもあったので時流に流された面もありますが、父との約束を忘れたわけではありませんでした。郷里を思う気持ちも強く、地域と一緒に生きていきたいということが開業の一番の動機ですね。」
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■ 経営方針 |
開業日は2005年7月7日で川原院長の66回目の誕生日だった。開業にあたって一番苦労したことがスタッフ集めだったという。
「自分の理想とする病院作りに合うスタッフがなかなかおらず、開業当初は本当に苦労しましたね。患者サービスを追求するということ、地域を大事にする心、スタッフと経営者との和を大事にする気持ちなど、スタッフ教育が必要でした。」
川原院長が孤軍奮闘し、朝6時から夜10時までの過重労働を強いられた滑り出しであった。
その後、長男である新事務長が就任し、多くの改革を行ったという。まずスタッフ採用の際に採用制度を作った。これは面接を重視し、それから心理テストを行うものである。心理テストを行うことにより、その人の人柄、能力、生き方が理解できる。看護師用、事務職用、デイケアサービス用と3種類用意し、面接も院長や事務長だけではなく、看護師であれば看護師にも加わらせて、それぞれの意見を尊重するように改善した。
川原院長は開業にあたり、「人が非常に大事」だと感じたという。
「精神科や心療内科は高価な医療機器は特に必要ありませんが、その代わりに優秀なスタッフが必要です。スタッフは財産ですので、ここで満足してもらうこと、生きがいを感じながら働いてもらうことが大事なのではないでしょうか。」
開業に備えての蓄えも特になかったため、医師専用の融資を低利で受け、運転資金を含めて2億円ほど借り入れた。「定年退職後で高齢な私にとっては大きな借金でした」と川原院長は振り返る。
開業した土地は郷里に近いとはいえ、友人や知り合いがいる場所ではなかった。また最初は新患ばかりなので軌道に乗るまで大変だったという。新聞折込、パンフレット、看板などでPRを行っていたが、最近はインターネットを充実させ、新聞などの取材を受けるようになるなど、知名度向上を図る。
建築面積は1階が駐車場部分を入れて597.78㎡、2階が316.54㎡と恵まれている。院内は明るさと清潔観にこだわって作られている。内装は緑を基調とした爽やかな色彩で統一され、ガラス窓には太陽光が溢れている。
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■ クリニックの内容 |
現在の患者さんの数は一日平均55名である。内訳は新規の患者さんが5名、再診の患者さんが50名ということだ。川原院長は増患の理由を特徴的な医療を行っているからだという。それは近代西洋医療と伝統医療の両者を用いた全人的医療である。
伝統医療には内観療法と食事療法がある。内観療法とは10日間位の集中内観を行い、自分の内側を思い出しながら見つめていく治療法である。父、母、兄弟など自分の身近な人に対して、自分がどのように関わったのかを「1.してもらったこと 2.して返したこと 3.迷惑をかけたこと」の3つのテーマに沿って繰り返し思い出す。これによって自分や他者への理解や信頼が深まり、自分の存在価値や責任の自覚が生まれるため、社会生活の改善につながるそうだ。
集中内観では外界からの刺激が遮断された道場の中に屏風で狭く仕切った空間を作り、その中で朝6時から夜9時まで続けて3つのテーマについて内観していく。途中1~2時間ごとに訪れる面接者に対して、それまでに思い出したことを話す。
「この療法は重度の精神疾患には効果は見られませんが、不登校や非行など学校での問題、親子・夫婦間などの家族間の問題に有効です。またアルコール依存、薬物依存や摂食障害、心身症、抑うつ、神経症など比較的広範な精神疾患に対する効果も見られます。」
食事療法は食材を吟味することから始まる。野菜は無農薬のものにこだわり、魚も新鮮なものを選ぶ。魚の7割は鮮魚で、豚肉は特別な飼育法の黒豚である。また水も浄化水で、調理のみならず、洗い物にも使っている。そのため、特に味噌汁は凄く美味しいという。
「入院患者さんにとって、食事が美味しいと感じられることは回復につながることですから、こだわりを持って、食材を吟味しています。」 |
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■ 今後の課題と展望 |
川原院長は建物などの設備投資をすることよりも、職員研修などスタッフの質を高めることに傾注したい意向である。今後は看護師やスタッフのレベルを向上させ、それぞれを専門家に育てるような研修を行っていく方針だ。また医療面でも心療内科での特殊外来、禁煙外来の開設や、循環器外来、呼吸器外来、ED、漢方療法外来など専門の医師による診療を考えている。
医療行政は現在、在宅医療や地域で治していくことを目指している。精神障害患者もベッド削減により全国で7万人が地域に出ていくことになる。この課題の受け皿として地域と密着し、地域の中での自立支援を行うグループホームの開設準備を行ってきたが、地域住民の反対などがあり、進行が遅れている。対象患者は重度ではなく、少し疲れがあってうつ病になった程度の軽症者であるが、現在ようやく2施設の開設が本格的になってきたところだ。将来的には6施設まで拡大の予定である。 |
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■ 開業に向けてのアドバイス |
新しく開業される先生は専門知識は充分に持ち合わせていらっしゃるようですが、医療全体のシステムに関してはご存知でない方が多いように思えます。医療だけでなく法律、人事、経理にも明るくならなければいけません。また信頼のおける税理士や社会保険労務士との出会いも大事ですね。資金面に関しては、私がこの年でできましたから(笑)、若い先生にとってはなんでもないことでしょう。それよりも地域連携を大事にする姿勢が必要です。地域の病院や開業医との連携を密にし、自分に限界を感じたときはいつでも応援してもらえる体制を整えることが第一だと考えます。 |
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■ 院長のプライベート |
月に一度、先生に来て頂いて、陶芸を習っています。電動ろくろや手回しろくろも備えたんですよ。将来は釜も持ってきて患者さんと一緒にやっていきたいと思っています。また書道も先生に習っています。それと元々農家出身なので、畑を作って野菜を育てています。時間にもっと余裕ができたら、本格的な農業もやってみたいですね。 |
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先生タイムスケジュール |
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クリニック平面図 |
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(終わり) |
2007.03.01掲載 (C)LinkStaff |
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