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フィリピンで学び、尼崎で開業する
小川医院
小川 説郎 院長  兵庫県尼崎市の小川医院は1983年の開業以来、地域密着の医院として多くの患者さんに信頼され、発展してきた。小川説郎院長はフィリピンの大学で医学を学んだという異色の経歴を持つ。現在の医院のメインは内視鏡による画像診断であり、近隣の大病院との病診連携も活発である。また多くの専門医を揃えた専門外来も特色の一つとなっている。進取の気に富んだ小川院長は美容診療にもフィールドを広げようとしている。
小川説郎 院長プロフィール

1950年に兵庫県尼崎市で生まれる。
高校卒業まで尼崎市とアメリカ、カリフォルニア州フレズノを行き来しながら過ごす。フィリピンのUERMMMC(イースト大学附属ラモン・マグサイサイ記念病院)を卒業し、日本の医師国家試験に合格、1982年に大阪市の北野病院脳神経外科に入職する。
1983年に尼崎市で小川医院を開業する。
2008年3月にはフィリピンで腎移植と幹細胞移植のクリニックを開業予定である。
■ 開業前後
 小川説郎院長は尼崎市出身ではあるが、ご親戚の多くがアメリカにおられ、小さい頃から親戚の住むカリフォルニア州フレズノを頻繁に訪れていたという。
 「親戚は移民としてアメリカに渡り、米作りで成功したのです。今はもう4世がいますから、移民の第一世代なんでしょうね。アメリカで口にするカリフォルニア米はほとんどが親戚が作っているものと言えるでしょう。私も小さい頃からアメリカが身近でした。アメリカで医師になりたいと漠然と考えていたのですが、大学生の頃にラモン・マグサイサイ賞財団の話を聞いて、マグサイサイ賞財団理事長の推薦でフィリピンの大学を受験することにしました。」

 ラモン・マグサイサイは1953年にフィリピンの大統領となり、清廉潔白な政治姿勢とプラグマティックな理想主義で人気を集めたが、在任中の1957年に飛行機事故で亡くなる。その死を悼んだニューヨークのロックフェラー財団が出資してラモン・マグサイサイ賞財団が設立され、病院の開設にもつながった。マニラにあるイースト大学の附属病院としてのラモン・マグサイサイ記念病院のことである。
 なお日本人のマグサイサイ賞の受賞者には黒澤明監督、緒方貞子氏、日本の農村医療の発展に尽くした若月俊一氏など錚々たる顔ぶれが並ぶ。
 「UERMMMCは略してUERMと呼ばれることも多いですね。卒業生の8割がアメリカで医師になっています。私の同級生も三分の一がアメリカ人です。最初は言葉の壁がありましたよ。医学部はレベルが高いですから、基礎医学の勉強を英語でやってこなかったら辛いですね。入学したときは300人の同級生がいました。日本の医学部に比べたら3倍の多さに思えますが、卒業するときには150人になっていたんです。」

 UERMでは1科目でも単位を落としたら、即時に放校されるという。教育システムも日本とは大きく異なり、医学生にも症例数で卒業単位とするなど十分な臨床実習を課していた。産婦人科でも目指す、目指さないに関係なく、初産婦分娩、帝王切開ともに60例が義務付けられていたそうだ。
 「2年以上も勉強してきて、3年でフィリピン人の同級生が基礎科目を落とし、放校になったときはショックでしたね。私も必死でしたよ。人生で一番勉強が辛かった時期ですね。症例に関しては十分に学べましたよ。ずっと病院に泊まり込みで、労災も過労死も関係ない世界にいましたからね。日本に帰国したらすぐに開業できるほどの技術をマスターしていました。」

 日本に帰国後、小川院長はもともと興味のあった神経の勉強をするために、大阪市の北野病院脳神経外科に入職する。
 「ところが部長でいらした先生が札幌医科大学の教授に就任されることになったんです。その先生から勉強できないのであれば仕方ないと思い、すぐ開業しようと決意しました。」

 そこで開業物件を探して歩いていたときに、小川院長が目を留めたのが閉院した医院の建物だった。数年前に院長が亡くなったあと、奥様が借家にしようと考えておられた物件だったという。場所は現在地の斜め前で、阪神本線尼崎センタープール前駅から徒歩で3分ほどの好立地であった。尼崎競艇場とは駅を挟んで反対側であり、医院から南に少しいけば国道2号線と並んで阪神間を結ぶ大動脈である国道43号線が走っている。
 「たまたま通りがかって見つけた場所なんです。クリーニング屋さんに貸そうかと考えていらっしゃったようですが、譲って頂きました。医院を閉じて数年経っていましたから掘立小屋のような雰囲気でしたよ。とにかくお金がありませんでしたから、安くできることは安く済ませるようにしました。結果として300万円しかかかりませんでしたよ。」

 「外科のオペも分娩もできる」小川院長ではあったが、当初は内科のみを標榜して1983年12月に開業の日を迎える。特別の宣伝は何もしてこなかったのにもかかわらず、小川医院は開業初日から患者さんが引きも切らない状態になったという。
 「12月に開業したので1か月後の正月は休んだ記憶がありません。1日に360人というのが最高記録ですね。最初は働き詰めでしたよ。現在は180人ぐらいでしょうか。当時も今も競合物件は多少ある中でこれだけの患者さんに来て頂けるのはどうしてなのか分析しようがなく、よく分からないですね。」

 小川院長は「ジェネラルフィジシャン」として、救急や往診も積極的に引き受けた。院内には処置室も設け、小外科などの手術も行ったという。その後、整形外科や心臓循環器科などの標榜も増やし、小川院長以外の医師も常勤1人、非常勤が6人と充実した陣容になっている。
 「神戸の神鋼病院とご縁ができ、優秀な医師に来て頂けるようになったことも良かったですね。そのほか北野病院、済生会中津病院、関西電力病院からも部長クラスの医師が来てくださって、助けて頂きました。」
■ クリニックの内容
1.内科
 小川院長の担当は「総合内科」で一般の患者さんをジェネラルに診ているが、「消化器内科」を別に設けて、内視鏡による画像診断を行っている。
 「上部内視鏡は誰でもできますし、特に話すこともありません。私どもの特徴は下部内視鏡ですね。20数年前の黎明期から導入しています。最初は私もやっていたのですが、今は大腸ファイバーを5分でやれる『名人』に来てもらっています。」

 小川医院で診断をつけ、近隣の病院へと患者さんを紹介している。主な病診連携先としては兵庫県立尼崎病院、関西労災病院、北野病院、関西電力病院などが挙げられる。
 お二人の医師が小川院長を支えている。谷崎かなび副院長は奈良県立医科大学で救急医学を学んだキャリアを持っており、大井直子医師は日本内科学会専門医である。


2.充実の専門外来
 小川医院では、整形外科、皮膚科、糖尿病、心臓・循環器と幅広い専門外来を行っている。
 「糖尿病は栄養士に来てもらうところまではいかないのですが、専門医による指導がメインとなっています。心臓・循環器は心エコーやホルターによる検査ですね。専門外来ではそれぞれの関連病院と連携を取っています。特に尼崎市の大隈病院は循環器に力を入れていらっしゃいますので、私どもとも良い協力関係にあり、最近では連絡バスも出して頂いています。」


3.美容医療
 小川医院では日本でも数少ない「胃内留置バルーン術」を行っている。これは現在、社会問題ともなっているメタボリック症候群の原因である肥満に有効な治療として注目を集め始めている治療である。このシステムでは挿入用のカテーテルの先に折りたたまれた状態でバルーンを接続する。そして内視鏡を使ってバルーンを膨らませ、留置させることで体重を減少させるという。

 「胃内留置バルーン術はアメリカやオーストラリア、フィリピンでは以前から使われており、材料なども手に入りやすかったので、私どもでも始めたんです。体重の三分の一を落とせますから、大きな効果がありますね。」

 小川院長の大学の同級生で台湾人の医師がニューヨークで美容のクリニックを開業していることから、小川院長もたびたび渡米してレーザー治療を習ってきたという。そして、このほどリンクスタッフが主催する美容研修会でも最新の技術に触れることで刺激を受けたそうだ。
 「レーザーに関してはほぼパーフェクトにできるようになりました。美容研修会ではボトックスとフェイスリフトが特に勉強になりましたね。数をこなさないと難しいでしょうが、取り入れていきたいと思っています。」
■ 経営方針
1.介護事業
 小川医院はもともと19床の有床診療所であったが、介護保険制度の開始とともに介護事業を始め、病棟を廃止することでそのスペースに当てた。1階の外来はそのままだが、2階、3階の病棟が現在は2階がデイサービスなどの介護施設、3階が訪問看護ステーションとなっている。
 「やはり有床だと、こちらがきつかったですね。当直の医師や看護師の手配や人件費にコストがかかり、経営的にも無理がありましたので、無床にして介護に切り替えたのです。今のところ地域の皆さんのご支持を頂いているようで、恵まれています。」

2.増患対策
 小川医院ではホームページも作成せず、近くの道路に看板を出している程度で特に増患対策を行っているわけではない。しかし患者さんは1日平均180人来院しているという。
 「看板を出したり、テレビに出たりすることで患者さんが増え、経営が安定するものではありません。知る人は知りますし、そうして来院してくださった患者さん一人一人へきちんと対応すれば、患者さんは信頼し、ついてきてくださるものです。患者さんの口コミが一番の増患対策と言えるのではないでしょうか。この信念で戸惑うことなく、やってこられました。」

3.今後の展開
 3月20日にマニラでクリニックを開業します。以前からフィリピンで牧場や飛行機会社やネットカフェなどの事業をしており、肝臓病の財団も持っていまして、そのパートナーとメディカルシティーという病院の中にオフィスを持つことになりました。現在、腎臓移植や幹細胞移植などのアメリカ技術がどんどんフィリピンに入ってきています。また顔のアイバックを取ったり、尿失禁対策にもなる膣の美容整形なども盛んです。患者さんのほとんどがアメリカ人や中近東などのイスラム圏の人たちになるでしょう。アメリカ人にとっては飛行機代を払ったとしても、自国で手術するより安く済みますし、中近東の人にはハーバードやM.G.H.で手術を受けたくてもテロの問題で渡米は難しく、フィリピンでアメリカの医療を受けたいというニーズがあるようです。これからは、こういったメディカルツーリングの時代になるでしょう。日本でも、看護師をフィリピンから日本に呼ぶというあまり現実的でない話ばかりでなく、フィリピンにアメリカの医療を受けに行くということが身近なことになっていけばと思います。
■ 開業にむけてのアドバイス
 先日も私のことをどこで知られたのか日系人でアメリカの医学部に行っている方から電話があり、ルーツである日本で開業したいと相談を受けました。日系人であれ、日本で学んできた人であれ、新規開業にあたってはとにかくお金をかけずにやることに尽きるのではないでしょうか。海外で医師をするにはまずその国の国家試験に合格しないといけませんので、相応の準備が必要でしょう。アメリカは飽和状態になってきつつありますが、オーストラリアやニュージーランドは医師不足に悩まされているようですので、チャンスかもしれませんね。東ティモールに多くの外国人医師が行っており、興味深いです。
■ 院長のプライベート
 趣味はゴルフぐらいですね。月に1回から3回ぐらい行っています。それから、大学の友達はほとんどアメリカにいますので、毎年楽しみにしているのがアメリカでの同窓会です。これまでラスベガスやニューヨークなどで開き、今年はサンフランシスコなんですよ。まだ親戚も多いですから、アメリカには同窓会以外ででも年に数回は行っています。
先生タイムスケジュール
勤務医時代   開業医時代
6:00 起床 6:00 起床
8:00 出勤 6:30 出勤、院内業務、喫茶店で新聞を読む
9:00 外来、手術、病棟業務、待機など 8:30 外来
25:00 帰宅 12:00 昼食
26:00 就寝 13:00 院内業務
    17:00 外来
    19:30 院内業務
    20:00 退勤
    22:00 就寝
クリニック平面図
小川医院
院長 小川 説郎 氏
住所 〒660-0083 兵庫県尼崎市道意町4-40-3
医療設備 レントゲン、CT、心エコー、腹部エコー、胃カメラ、大腸ファイバー、リハビリ器械など
延べ床面積 615.80㎡
物件形態 戸建て
スタッフ数 医師/常勤3名、非常勤7名
看護職員/常勤3名、非常勤2名
リハビリ職員/常勤1名
X線技師
事務職員
開業資金 300万
HP なし

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(終わり)
2008.3.01.掲載 (C)LinkStaff

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