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より安全で確実な治療を
ひらばり眼科
加藤 光男 院長  今月は名古屋市天白区のひらばり眼科を紹介する。ひらばり眼科の最寄り駅は名古屋市営地下鉄鶴舞線の平針駅であり、そこから徒歩5分という好立地である。また交通量の多い通りに面しており、車でのアクセスも良好だ。天白区はかつては農村地帯であったが、土地区画整備事業が進んだ結果、多くの住居やマンションが建設され、さらに地下鉄も開通したことで人口が急増した地域である。
 加藤光男院長は天白区の出身で、1988年に満を持して出身地で開業した。加藤院長は保険診療のみならず、1980年代から屈折手術の勉強を始め、開業後まもなく、様々な手術に取り組んできた豊富な実績を持つ。近年はオルソケラトロジー治療も導入し、診療の幅を広げている。「より多くの情報を提供し、近視矯正手術を普通の手術として受け入れられるようにしたい」と語る加藤院長にお話を伺ってきた。
加藤 光男 院長プロフィール

1947年に名古屋市で生まれる。1973年に昭和大学医学部を卒業後、昭和大学外科に入局する。1974年に藤田保健衛生大学眼科に入局し、藤田保健衛生大学病院に勤務する。1987年に愛知厚生連渥美病院、1988年に東海病院での勤務を経て、1988年にひらばり眼科を開設する。
日本眼科学会認定眼科専門医。日本眼科学会、日本眼科手術学会、日本神経眼科学会に所属する。
■ 開業前後
 加藤光男院長は医師を目指した動機について「人生に確固たる目標があったわけではなく、知り合いの勧めもあって、医学部を受験しました」と話す。大学時代は様々な大学の講義を聴講しに出かけたり、近代美術館にあったフィルムコーナーで映画に親しむなどで過ごしたという。
 卒業後は外科に入局する。
「もともと眼科が面白そうで、興味もあったのですが、先輩に誘われたこともあって、とりあえず外科に入局したという感じですね(笑)。」

 ちょうど藤田保健衛生大学が開校した頃で、昭和大学からは多数の医師が赴いていたため、加藤院長も地元へと帰ることになり、1949年に改めて藤田保健衛生大学の眼科教室へ入局の運びとなる。
 「中学の先輩のお母さんが眼科医だったこともあり、眼科への入局を勧められたんですね。眼科医は忙しくなく、読書の時間がたっぷりあると本で読んだことも影響しています(笑)。確かに当時はまだ開校して間もない時期でしたから、特に午後からはあまり忙しくなかったですね。」

 藤田保健衛生大学病院で研鑽を積む一方で、加藤院長は開業することを考え始めていた。
「大学はできることも限られていますし、面白みがなくなっていったんです。具体的には1986年頃から開業地を探すなどの行動を始めました。開業が今のように厳しい時代ではありませんでしたし、そういった準備に苦労したことは特にないですね。医師会も歓迎してくれる雰囲気はありませんでしたが、仮に入会を断られたとしてもそれはそれでいいと思っていました。そこは個人で開業する強さといったところでしょうか。」

 開業地は加藤院長の自宅から車で5分ほどの場所を知人が紹介してくれたという。大きな通りに面したマンションの1階で、2階には歯科が入居している。前述のように地下鉄鶴舞線の平針駅から近い場所ではあるが、当時はまだ現在のように賑やかな場所ではなかったそうだ。
 「地下鉄が開通して間もない時期でしたし、これから開けていく場所になるだろうという予感がありました。自宅からも、その頃、研究を行っていた名城大学薬学部からも近く、馴染みのある場所でした。天白区は藤田保健衛生大学からもアクセスが良いため、藤田保健衛生大学出身の開業医が多いのも心強かったですね。」

 地下鉄の駅から近いとはいえ、名古屋は車社会であり、ひらばり眼科でも駐車場を15台確保する。 また、手術室は開業後5年ほど経った時期に院内に完備した。やがてひらばり眼科の主流となっていく近視矯正手術を見据えてのことだった。
 「最初は白内障の手術ぐらいしか行っていませんでしたけどね。ただ近視や乱視でクリアビジョンを得られない患者さんや眼鏡やコンタクトレンズの不具合に悩まれる患者さんの姿を見てきたことがきっかけとなって、1985年頃から近視矯正手術の勉強を続けていました。」

 近視矯正手術の歴史は古く、100年以上前から行われている。戦前、佐藤医師が角膜表層を後面切開した実例はよく知られているところだ。しかし日本の眼科学会では認められてこなかった領域であった。
 加藤院長は参宮橋アイクリニック五反田の奥山公道先生が主催するRK手術講習会で、ソ連(当時)のイワシナ先生からRK(放射状角膜切開手術)を習った。さらに1986年にはソ連に飛び、フィヨドロフ博士にRK、PRK(角膜屈折矯正手術)、ICL(移植型コンタクトレンズ)の治療法を学ぶ。
 「その年はウィルス性結膜炎が流行していて、院内感染の恐れがありました。思い切って休診にしてしまい、その時期を利用して、急遽勉強会に出席しました。イワシナ先生にはプライベートでも教えていただきましたね。当時のソ連は白内障の治療のための眼内レンズの計算式を発表するなど、注目を集めていました。冷戦の時代でしたが、驚くことにアメリカの医師も頻繁にソ連を訪れ、医師同士の交流が行われていたのです。屈折矯正手術の分野でもアメリカでは一定のプロトコルを作って、まず行ってみて、結論を出すというプロセスを辿っていました。しかしながら日本の学会では反対一色でしたね。」

 加藤院長は試行錯誤を繰り返して、RKの切開方法を習得し、さらに講習会やウェットラボでレーシックの手術実技を学び始める。エキシマレーザーの性能向上も後押しし、ひらばり眼科の診療内容は大きな飛躍を遂げる。
■ クリニックの内容
(1)レーシック

 加藤院長は日本におけるレーシックの草分けの一人である。そのため韓国やアメリカに足繁く通って、技術の習得に努めてきた。1999年にはエキシマレーザーを購入し、広島県三原市の越智眼科の越智利行先生にオンサイトトレーニングを受け、ひらばり眼科での治療が始まった。
 「自由診療の知識もなかったので、一人で始めるにあたっては大変でしたね。そこで越智眼科に伺ったのです。機械を稼動させるノウハウを主に教わり、1日目は越智先生がなさるのを見学して、2日目に私が行うというトレーニングでした。」

 加藤院長は長くRKの経験を積んできていた流れがあっただけに、RKの怖さを熟知していた。
 「RKは切開方法によって結果が異なるので、怖いんです。一方、レーザーは結果が安定していますからね。夢中で研修して、3、4カ月目から私どもで行うようになりました。」

 近年ではエピレーシック用のケラトームが発売されている。これは専用のケラトームを使って、角膜上皮フラップ(50ミクロン)を作り、実質表面にレーザー照射後、フラップを戻す方法である。ひらばり眼科ではMoriaC/Bを採用している。この利点は角膜フラップの作成が安定しており、ヒンジ作成部位の選択の幅が広いことにあるという。症例としてはフリーキャップ1例、シンフラップ2例、出血6例などが挙げられる。
 「症例がない頃、動きを間違えないようにやっていくのが難しかったのですが、このところ飛躍的に変わってきたように思います。MoriaC/Bの採用を決めたのは2001年で、ドルで交渉するのは大変でしたが、ちょうど円安の時期でもあり、海外の製品を入れるタイミングには恵まれました。」

 ひらばり眼科では年間500例の症例数を数え、ほぼ安定した数字であるため経営的にも大きなプラスとなっている。患者層の年齢も幅広く、口コミが中心となって、広まっていったという。
 「非常にシビアな治療なのですが、職員もよく頑張ってくれています。白内障手術が30年かかって進歩していったレベルのことをレーシックでは10年のスピードで進化していきましたから、そのバージョンアップについていくことに努力しました。情報が多いゆえに、公開情報をいかに評価するかが大事ですね。海外の雑誌や本などで勉強を続けてきましたが、自分自身が知りたいことだからこそ勉強してこられたのだと思っています。」

(2)オルソケラトロジー

 レーシックは精度の高い手術方法ではあるが、適応が20歳以上となってしまうのに対し、オルソケラトロジーは未成年者を対象に普及するとみられている近視矯正療法である。これは酸素透過性の高い特殊なデザインのハードコンタクトレンズを就寝前にはめ、角膜の形を正常な状態に整えて視力の回復を図る治療法である。
 ひらばり眼科では日本で最も早い時期である2001年に始め、高い効果を確認してきた。ただ当時は非常に高価であったため、患者さんの出足は良好ではなかったというが、現在では安全性についても広く認識され、未成年の患者さんが多数来院している。
 「レスリングのオリンピック選手が治療に成功したという話が伝わって、オルソケラトロジーの効果が社会に浸透してきたのか、最近は患者さんが増えてきましたね。私どもではレンズのデザインも3タイプ用意しています。これまでオルソケラトロジーは軽度から中度近視に有効とされてきましたが、強度近視に有効なレンズも1タイプ導入し、残りの2タイプは軽度から中度近視用で、効用はオーバーラップしています。」

(3)白内障手術

 ひらばり眼科では非常勤医師が白内障手術を担当している。2006年末までに11800件、年間1600件もの豊富な手術経験を持つ医師で、ひらばり眼科では月に1、2回の手術日を設けているが、すぐに予約で一杯になるという。
 「非常に丁寧でやる気のある先生に来ていただいています。1日に12人の手術を担当してもらっています。切開幅2.2mmの術式で、1回9分程で完了しますが、手術時間が短いということはそれだけ的確だということなんですよ。必要なことを必要な時間でやって9分なのです。」

 また眼内レンズは2007年からHOYA YA-60BBRを使用している。これは水晶体に近い光線透過率を有し、自然な色調の着色フォールダブル眼内レンズである。1.8mmから2.0mmと従来のレンズより小さな切開幅で挿入できることが特徴である。
■ 運営・経営方針
(1)増患対策

 ひらばり眼科では全国的に見ても、かなり早い時期から近視矯正手術を行ってきたため、滋賀県や横浜市などからも患者さんが来院していた。最近ではそういった医療施設も増加したため、近隣からの患者さんが多数を占めているという。
 「このあたりは診療圏を広く設定していませんので、数km圏になってしまいますね。ただ白内障手術に関しては20kmぐらいになるでしょうか。名古屋市内でも豊田市寄りの地域や日進市なども診療圏です。」

 増患対策としてはホームページのほか、フリーペーパーを活用している。加藤院長は「フリーペーパーは即効性のある広告媒体である」と認め、レーシックなどを特別価格で提供するときに効果的に用いているという。
 「かなり昔の話ですが、職員に負荷とプレッシャーの中で仕事をしてもらおうと考え、コンタクトレンズを30%オフで提供するという広告をフリーペーパーに打ちました。そしたらメーカーが飛んできましたよ(笑)。コンタクトレンズが低価格になった現在では考えられない話ですけどね。ただ広告の反応については、年を経るごとに予想が難しくなっています。増患対策は本当に悩ましく、最も分からない分野ですね。」

(2)自由診療

 屈折手術の開始以来、ひらばり眼科では自由診療の割合が高くなっている。これは一般の眼科医の感覚とは大きく異なる点であろう。加藤院長も誹謗や中傷に晒された経験があるという。
 「ある眼科医が患者さんに自由診療に関してアンケートを取ったら、『値段が高くなるのは嫌だ』という答えがあったらしく、それで自由診療に踏み切れなかったと言っていました。しかしながら、これからの眼科は歯科と同じような感覚を持つことが必要です。患者さんの先入観を取り除き、先進医療を行って、治療に付加価値をつけていくべきなんです。」

 最近になって、エキシマレーザーの有効性については学会も認める方向になりつつある。加藤院長はエキシマレーザーの経験が長かったため、自由診療で最も重視される患者さんへのインフォームドコンセントも苦労することがあまりなかったという。
 「エキシマレーザーは振動するので、2階以上のフロアには置けないという間違った情報を信じきっている眼科医もいました。世代交代が進んでいけば自然淘汰されるのかもしれませんが、白内障の点数も下げようとされている今だからこそ、眼科医は自由診療を真剣に考える時期ですね。」

 最近では美容外科医が近視矯正手術に積極的に参入していることも加藤院長は憂慮している。
 「美容外科医は自由診療に慣れ、提供の仕方がうまいですね。患者さんのニーズも的確に掴んでいますし。しかし私としては非眼科医の手術には違和感があります。社会のニーズがあるわけですから、眼科全体の地盤沈下を防いでいかなくてはいけないでしょう。」

(3)今後の展開

 保険診療のいい時代は終わりましたが、また別のいい時代が来るかもしれません。しかし私の場合は年齢的にも「いつ引退するか」について考えていますので、今後の展開は特にありません(笑)。強いて言えば老眼手術の準備はできており、いつでもできる体制になっています。レーシックの開始時期に関しては「もう少し早くてもよかったのでは」というご意見もいただいたことがありますが、データなどを見るとベストな時期だったと自負しています。いい時代にレーシックができ、好きなことを積極的に実現していくことができて面白かったですね。
■ 開業に向けてのアドバイス
 ご自身の責任において、物事を見て、考えていくことが大切なのではないでしょうか。先輩の意見を聞くことも大事ですが、所詮は自分とは違う人間の意見なのですから、最終的には自分で決断を下す姿勢を持たなくてはいけません。私は興味の対象をずっと追いかけてきました。外国の諸施設を見るグループに属し、アメリカやヨーロッパ、フィリピンまで足を伸ばしました。今はネットでデータを調べられますし、時代の雰囲気を掴むために海外の雑誌を読むのもいいですね。
■ 院長のプライベート
 好奇心旺盛でその時々に惹かれるものがあります。中学、高校と仏教系の学校で学んだので、その頃は中国やインドに興味があり、そのうち万葉集などの日本文学へと傾倒していきました。大学の頃は民俗音楽が好きでしたね。そこからヨーロッパの近世史や秩父での国民党の乱などにも興味が広がっていきました。また旅行も好きで、テロで警戒中のコーカサスを訪ねた旅が印象に残っています。アルメニアやグルジアも良かったですね。計画を立てて、実行していくことが好きなので、旅行の面白さもそこにあるのでしょう。
先生タイムスケジュール
勤務医時代   現在
05:00 起床 07:00 起床
06:00 病院到着・勉強 08:20 病院到着・準備
09:00 診察 10:00 外来
13:00 昼食 13:30 昼食
14:00 病棟業務・治験など 14:00 予約診療
24:00 帰宅 16:00 院内業務
01:00 就寝 20:00 帰宅・データ整理・読書
    02:00 就寝
クリニック平面図
ひらばり眼科
院長 加藤 光男氏
住所 〒468-0011 名古屋市天白区平針3-1501
URL http://www.hirabari-ganka.com/
医療設備 細隙灯顕微鏡、眼底カメラ、自動眼圧計、角膜形状解析装置、自動視野計、超音波角膜厚計、超音波診断措置、グレアーテスター、自動屈折測定装置、スペキュラーマイクロスコープ(角膜内皮細胞撮影)、手術顕微鏡、超音波白内障手術装置、アルゴンレーザー光凝固装置、エキシマレーザー(VISX STAR S4)、マイクロケラトーム(Moria M2)、Wave Scan(VISX)など
物件形態 ビル診
延べ床面積 107.35㎡
スタッフ数 院長、非常勤医師2人、ORT2人、常勤職員7人、非常勤職員1人
開業資金 5000万円
(終わり)
2008.8.01.掲載 (C)LinkStaff

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