大和田章院長は群馬大学医学部卒業後、東京医科歯科大学病院第二内科に入局した。その後、アメリカ・コーネル大学医学部生理学科への留学を経て、東京都立駒込病院、取手協同病院、武蔵野赤十字病院などを医局の人事ローテーションで回っていた。
「私は開業する意志はあまりなくて、ずっと勤務医でやっていこうと漠然と思っていました。しかし転勤に転居を伴うことなどがあって、妻から開業して落ち着きたいとの提案があり、決心しました。妻は現在は事務長をしています。」
大和田院長は高校生の頃に体育の授業の柔道で怪我をし、かかった整形外科の先生がとても気さくで印象深かったことが、医師を志した最初のきっかけだったと振り返る。勤務医としては腎臓内科を専門に診療を行っていたが、開業医になるなら幅広く患者さんを診ていきたいと考えた。
一般的には勤務医を辞めると一日も早く開業したいと考える医師が多いのだが、大和田院長は逆にゆっくりと時間をかけて開業に備えた。
「最後の病院を辞めてからここを開業するまでに約2年かかっています。その間はアルバイト医師をしながら、腎臓内科以外の診療科目を広げようと土浦協同病院に研修に行きました。土浦協同病院には以前勤務したことがあったので、お願いして週に1日伺ったのです。もともと開業を考えていなかったので、右も左も分からない状態で、開業する地域すら全く白紙の状態だったんですよ。アルバイトとトレーニングの傍ら、事務長とコンサルタントに協力してもらって開業準備を進めるような態勢で、そこに時間をかけられたのはよかったと思います。勤務していた病院の近くで開業するなら、患者さんの連続性もあるので開業を急ぐ必要があると思いますが、私のケースのように落下傘的に開業するなら、急がずじっくり進めることが可能です。」
相談したコンサルティング会社の薦めで柏市豊四季という地域を選んだが、特に地縁があったわけではない。大和田院長の出身地である東京や現在住んでいる我孫子市は既に開業医が多すぎて閉塞感があったこともあり、ここに決定した理由である。
しかし物件選びは難航した。当初、ビル診療は念頭になかったのだが、あまりに物件が出てこないために、コンサルタントがビル診療でもいいのではないかと提案したという。
「私としてはトレーニングもできますし、のんびり構えていたんですけれどね。そうしましたら、あるビル物件が出てきて、妥協しかけていた矢先に現在の物件が出たんです。」
そのような状況で決まったのは、地主が診療所を建てて、それを賃貸するというレントクリニック方式である。この方式は初期投資が少なくて済むので、開業資金は約1500万円に抑えられたという。
レントクリニックとはいえ、造りには希望を採り入れることができる。大和田院長のこだわりは、吹き抜けで自然光も入る開放感のある待合室と2室の診察室を設けること、明るい雰囲気の色合いでまとめること、バリアフリーであることなどだった。完成した建物はそのこだわりが見事に反映されている。
ロゴマークを大和田院長の顔をデザインしたものにしようというのは、大和田院長自らのアイデアだ。
「私は劇画調のものをイメージしていたんですが、デザイナーの提案を受け入れて練り直しました。今はとても気に入っていますよ。」
開業に先立つ内覧会は、たまたま近隣で開業するクリニックがあり、日程が重なったため、大和田ファミリークリニックでは土曜と日曜の2日間行った。
「雨が降って寒い日だったのですが、300人以上の方にお越しいただきました。正直初めてのことで、翌日からのオープンの自信にはつながりませんでした。いらしたのはほとんどが大人でしたが、開院後は小児科の患者さんが最も多いので効果のほどは分かりません。」 |