プロフィール
伊賀市立上野総合病院
三重県伊賀市は2004年11月1日に上野市、阿山郡伊賀町、阿山町、大山田村、島ヶ原村、名賀郡青山町の6市町村が合併して誕生した市である。人口は約10万人で、近鉄大阪線の沿線には大きな住宅街が広がっている。大阪と名古屋の中間に位置しているため、どちらからでも市の中心部まで約1時間30分と、大都市へのアクセスに恵まれる。この地域は京都、奈良や伊勢を結ぶ奈良街道、伊賀街道、初瀬街道を有し、交通の要衝として、また、江戸時代には藤堂家の城下町や伊勢神宮への参宮者の宿場町として栄えてきた。旧上野市にあたる市の中心部は歴史遺産が多く、伊賀忍者の里、松尾芭蕉生誕の地として知られ、小京都の一つに数えられる。
伊賀市立上野総合病院は1955年の開設以来、旧上野市を中心とした住民のニーズに応えてきた。年間で300から400件の手術件数を誇っていた基幹病院であったが、近年は医師不足に悩まされていた。しかし、2011年に三木誓雄院長が着任し、全国に先駆けて「がんサポート・免疫療法センター」を新設するなど、新しい事業を展開し、注目を集めている。
今回は三木誓雄院長にお話を伺った。
三木誓雄 院長 プロフィール
1956年に東京都に生まれる。1984年に三重大学を卒業後、三重大学第2外科で研修医となる。1985年に桑名市民病院、1990年に四日市社会保険病院を経て、1992年に三重大学第2外科の助手に就任する。1992年に英国クイーンエリザベス病院にRegistrarとして留学を行う。1998年に三重大学第2外科の講師に就任を経て、1999年に助教授に就任する。2005年に三重大学大学院医学系研究科助教授に就任を経て、2009年に三重大学大学院医学系研究科准教授に就任する。2011年に伊賀市立伊賀市立上野総合病院に院長として着任する。がんサポート・免疫栄養療法センター長、健診センター長を兼任する。専門は腫瘍外科、消化器外科。英国医師免許、日本外科学会専門医、指導医、日本消化器外科学会専門医、指導医、日本大腸肛門病学会専門医、指導医、日本消化器病学会専門医、日本がん治療認定医機構暫定教育医、がん治療認定医、消化器病癌外科治療認定医、日本消化管学会認定医、日本静脈経腸栄養学会、TNTコアスタッフ、ICD (インフェクション・コントロール・ドクター)欧州静脈経腸栄養学会LLL修了、国立大学法人三重大学客員教授、三重大学医学部附属病院臨床教授、三重大学大学院医学系研究科 リサーチ・アソシエイトなど。
病院の沿革
伊賀市立伊賀市立上野総合病院は1955年4月に上野市丸之内158番地に「上野市民病院」として発足したが、8月に「上野市国民健康保険直営市民医院」となり、1956年6月には「上野市国民健康保険直営市民病院」となった。このほか、合併前の旧村にそれぞれ診療所が設置され、無医地区の解消も図られた。
「国道165線沿いで、現在は上野郵便局となっている場所に設立されました。国家地方警察阿山地区警察署の建物を譲り受けたため、古い木造二階建ての病院だったそうです。当時は内科、外科、小児科、産婦人科の4科で、職員も約30人と少なかったので、文字通りの苦難の船出だったようですね。」
開院当時、建物は木造だったが、すぐに鉄筋コンクリート造りへと改められることになる。厚生年金還元融資を受けたもので、1958年から3カ年の継続事業として第1期工事、1961年から2カ年の継続工事として第2期工事が完成した。
1957年7月には、上野市ほか5カ町村伝染病隔離描写組合の伝染病隔離病舎の建設が行われ、それに伴って、伝染病隔離病舎を管理するための施設と、本館の病棟不足を補うための施設として、「上野市国民健康保険直営市民病院付属平野分院」を上野市平野東平野に開設した。
しかし、両院ともに老朽化し、敷地や建物も狭隘化したため、日進月歩の近代医学に対応し、かつ地域医療を確保していくため、1975年度から市民病院移転改築工事が上野市四十九町831番地で始まった。そして1977年に現在の施設が完成し、1978年2月に「上野総合市民病院」と改称された。
「移転自体は1974年に決まっていました。名阪国道の開通による南部都市計画構想の中で、久米山開発計画が策定されたのですね。駐車場の確保も課題でした。そうした上野市当局の協力とスタッフの努力があって、現在の四十九町に新築移転を行えました。13の診療科を持つ、伊賀地域の中核病院としてのスタートとなりました。高台で眺めも良く、『昭和の白鳳城』だと言われていたこともありました。」
1996年に西館の増築を行う。西館では回復室、人工透析療法、磁気イメージング装置、全身用コンピュータ断層装置、自動化学分析装置、超音波断層装置、アンギオ装置などを設置し、高度医療サービスを充実させている。病床数は一般病床281床、結核病床23床、伝染病病床12床の計316床になった。
1999年には検診バスによる職場検診や院内での人間ドックなど、地域の健康管理を進める一方で、療養型病床群を採用した。
2000年には在宅介護支援センターを設置し、入院患者さんの社会復帰に向けての相談などに応じている。また、この年にはMRIや乳腺撮影装置などの導入も行っている。
2002年には腎臓結石破砕装置を導入した。
2004年からは3階、4階、6階と、順次、病棟の大規模改修を行い、入院環境の改善を図る。また、上野市、阿山町、伊賀町、大山田村、島ヶ原村、青山町が合併し、伊賀市が発足したため、「伊賀市立上野総合病院」と改称された。
2007年には伊賀市民の健康増進施設として、健康・健診センターが設立されている。健康・健診センターの核としてPETが導入されるなど、高度医療への取り組みも期待される。PETは三重県内では4番目の早さでの導入となり、伊賀市立上野総合病院の新しい特色となった。
「これからは予防医学が重要になってきます。病気の予防と患者さんの立場に立った医療を提供することで、市民の皆さんの健康維持に寄与していきたいと考えています。」