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大分市医師会立アルメイダ病院
プロフィール
大分市医師会立アルメイダ病院
大分県大分市は大分県沿海部の中央に位置する、東九州の主要都市の一つである。人口は約48万人、大分県内の人口の約40%が集中する首位都市となっている。高度経済成長期に鉄鋼業、化学工業などの重化学工業の進出に伴い、工業都市として急成長し、近年では電子工業の立地が進んでいる。
大分市医師会立アルメイダ病院は、大分市医師会の事業の一つとして、1969年4月1日、現在の地に建設された。当初の病院の規模は100床で、地上6階、地下1階(延面積5,386㎡)だった。
近年、老朽化と狭隘化が進んだため、新病院建設計画が検討され、2006年4月に増改築工事に着工し、2008年3月、地域住民から期待される快適な療養環境や、多様化する近代医療等へ対応できる新病院が完成した。規模は385床で、RC造地上7階(延床面積23,401㎡)、大分県で初めての免震構造を採用している。アルメイダ病院では、高度な医療機器を整備し、地域医師会員の共同利用施設として、現在では救急医療、災害拠点病院、周産期医療をはじめ、地域の拠点病院として様々な役割を担っている。
杉村忠彦 院長プロフィール
1970年に日本医科大学を卒業し、同年、東京女子医科大学第二外科に入局し、1976年に医学博士号を取得する。2004年に大分市医師会長、および大分市医師会立アルメイダ病院の病院長に就任する。現在、大分市医師会会長、大分県救急医療対策協議会救急医療体制整備専門部会委員、大分市学校保健会会長、公益財団法人大分県地域成人病検診協会理事長などを務める。
名称の由来
日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコザビエルが、豊後(大分)を訪れたのは1551年のことでした。当時の府内、現在の大分市には貧しい人々や病人が多く、府内にやってきた宣教師たちは、こうした人々の救済に力をつくし、1557年にはポルトガル宣教師で、医師でもあったルイス・デ・アルメイダが府内に始めての洋式病院を建てました。 病院では、日本で最初の外科手術が盛んに行われたほか、食事療法の生活指導や巡回治療も行われ、その噂は九州はもとより遠く各地に広まり、多くの患者が訪れていたと当時の記録は伝えています。また、病院には、日本最初の医学校も併設されていました。アルメイダは、この病院を建てる2年前に私財を投じて育児院も開設しており、2頭の雌牛を飼って貧しい子供たちに牛乳を飲ませて育てたといわれています。アルメイダ病院は、「ルイス・デ・アルメイダ」を顕彰して名付けられたものです。
推移
昭和44年 5月 | 開設 |
昭和45年 5月 | 労災委託病棟を含む全館落成(160床) |
昭和53年 6月 | 新館増築(地上7階) |
昭和53年10月 | 救命救急センター認定 |
昭和56年 9月 | 脳神経外科新設、脳外手術室新設、専用病床(28床)改造工事 |
昭和59年 4月 | 歯科新設 |
昭和60年 4月 | リハビリ棟(厨房、リハビリテーション訓練室)新築 |
昭和61年 4月 | 6病棟病室12床増床 旧リハビリテーション訓練室改装)工事 |
昭和63年 3月 | 西病棟(病室数45床)増築工事 |
平成元年 8月 | MRI棟・2病棟(病室16床)新・増築工事 |
平成元年 9月 | アルメイダ研修会館(5階建)竣工 |
平成 3年 8月 | 病院棟増築(3階建)救命救急センター(8床)増床工事 |
平成 7年 6月 | 検査棟(4階建)新築 |
平成 8年 9月 | 整形外科再開 |
平成 9年 3月 | 災害拠点病院(地域災害医療センター)指定 |
平成 9年 4月 | 小児科常勤医着任 |
平成 9年11月 | 救急車進入口・救急処置室・救急診察室改造 |
平成10年12月 | 地域医療支援病院の名称使用承認 |
平成11年 1月 | 救急医療応受情報システム参画 |
平成18年 4月 | 新病院増改築工事着工 |
平成19年 7月 | ISO9001認証取得 |
平成20年 3月 | 新病院にて診療開始 地域周産期母子医療センター指定 |
平成21年 4月 | DPC対象病院 DPCでの請求開始 |
平成22年 3月 | 地域がん診療連携拠点病院指定 |
平成23年 6月 | 緩和ケア病棟増築工事着工 |