143
高度な医療を、全ての人に平等に
医療法人 徳洲会 東京西徳洲会病院
プロフィール
医療法人 徳洲会 東京西徳洲会病院
東京都昭島市は都心より約35キロメートル西の多摩川の左岸にある街で、奥多摩の入り口に位置し、米軍横田基地に隣接しています。市の北部には玉川上水が流れていて、自然環境に恵まれ地下水を飲料水として利用ができ、川にはホタルが飛び交うなど四季を実感できる地域です。戦後、街の中心となった拝島駅はJR青梅線、八高線、五日市線のほか、西武拝島線が通っている。また、国道16号線や中央高速道、圏央道が通る交通の要所でもあることから、都心への通勤圏として近郊住宅地が発展し、大型団地建設などで人口がさらに増加した。さらに、工場誘致条例によって工業団地が造成され、近年では電子機器などのハイテク産業が発展している。
東京西徳洲会病院は、2005年9月1日、徳洲会グループとして初めて東京都内に開設された病院である。病院から半径5Km内に約34万人の人口があり、二次救急圏としては立川市、八王子市内を含む約100万人の救急を担っている。
東京西徳洲会病院は従来の縦割りの診療科単位に留まらず、センター化を構築し、診療科を横断する形での診療を実現している。現在、救急医療センター、循環器センター、脳卒中センター、乳腺腫瘍センター、消化器病センター、脊椎センター、関節外科センター、スポーツリハビリセンター、腎臓病総合医療センター、口腔センター、放射線医学センター、小児医療センター、化学療法センター、健康管理センター、がん総合診療センターを有する。
今回は菊一雅弘院長にお話を伺った。
菊一 雅弘 院長プロフィール
1959年に神奈川県横須賀市に生まれる。1985年に金沢大学を卒業後、三井記念病院で初期研修、後期研修を行う。1990年に渡米し、シティ・オブ・ホープ・ナショナルメディカルセンターにリサーチフェローとして留学する。1993年に帰国し、三井記念病院消化器外科にスタッフとして勤務する。1998年に三井記念病院消化器外科科長に就任する。2012年3月に東京西徳洲会病院に院長として着任する。専門は消化器外科。日本外科学会専門医、指導医、日本消化器外科学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医、日本輸血学会認定医など。
病院の沿革
東京西徳洲会病院は2005年9月1日、東京都昭島市に開設された。徳洲会グループとしては全国で59番目、東京都内では初めて開設された病院である。地域の基幹病院を目指すべく、500床という大規模なスケールで、徳洲会グループの中でも専門性を高めた診療科を集めた施設にするという計画になっていた。
「この地が選ばれたのは医療計画の中での不足病床を補う意味合いが強かったのだと思います。八王子市には東京医科大学八王子医療センターや東海大学医学部付属八王子病院があり、青梅市には青梅市立総合病院があります。都心部寄りの地域には東京都立多摩総合医療センター、公立昭和病院などがありますが、この地域での中核病院の役割を果たそうという意図があったのでしょう。西多摩北部医療圏は広いですし、人口密度もそれなりに高く、100万人の人口があります。私どもとしても、もっと頑張っていかなくてはいけないと思っています。」
診療科をまたがるセンター化も設立当初からの構想だった。規模や設備を整えたうえで、徳洲会グループの中でもフラッグシップ病院として期待されていたのである。
しかし、医師不足や診療科目の偏在など、医療自体の危機といった流れが東京西徳洲会病院にも押し寄せてきた。昨年は常勤医師の退職が相次いだほか、後発病院として発展させていくことの難しさ、多摩地区とはいえ東京に立地するゆえの困難もあったという。
そこで、菊一院長の招聘が実現した。菊一院長は三井記念病院で活躍してきた消化器外科医師で、着任以来、経営面はもちろん、診療の第一線にも立っている。
「我が国の医療現場で普通に起きている問題が私どもでも起きてしまいましたが、これを解決していきたいと思っています。まずは医師不足の解消を目指して、取り組んでいきます。私は良い病院は二つの条件を備えていると考えています。一つは職員やその家族がかかりたいと思う病院であること、一つは若い医療従事者が志を持って集まってくる病院です。孔子は『論語』の中で『徳は弧ならず必ず隣あり』と述べています。『徳』を名に負う、私ども東京西徳洲会病院は志を同じくする仲間を増やし、チーム医療の絆を深めていきます。