プロフィール
社会医療法人財団 董仙会 恵寿総合病院
渚のいで湯として全国的にも有名な和倉温泉や風光明美な能登島を有する石川県七尾市は能登の玄関口であり、能登地域の政治や経済、文化の中心となっている街である。
恵寿総合病院はJR七尾駅から車で5分の七尾市富岡町に位置する。1934年に「いつでも、誰でも、たやすく安心して診療を受けられる病院にする」という創業精神にのっとって設立された恵寿総合病院は、医療のみならず、介護、福祉、保健の複合体グループ「けいじゅヘルスケアシステム」として、一貫して「地域住民が安心して医療を受けられる病院」、「患者の立場に立った病院」であり続けることという理念で、地域とともに成長してきた。現在は20診療科で、451床の病床を有する。最新の医療機器や情報ネットワークを取り入れながら、一人一人の患者さんに質の高い医療の提供に努めている。近年は専門医療を初期の段階より十二分に発揮するため、消化器病センター、脳神経センター、ハートセンター、能登半島唯一のリハビリテーション専従専門医2人態勢によるリハビリテーションセンターや早期リハビリテーションが可能な回復期リハビリテーション病棟などを設置し、診断、治療をスピーディーに行える環境を整えている。
今回は社会医療法人財団 董仙会の神野正博理事長にお話をお伺いした。
神野 正博 理事長プロフィール
1956年に石川県金沢市で生まれる。1980年に日本医科大学を卒業後、金沢大学第二外科に入局し、消化器外科を専攻する。研修医として、富山県立中央病院外科に勤務した後、1986年金沢大学大学院卒金沢大学第二外科助手などを経て、1992年に恵寿総合病院へ外科部長として着任する。1993年に院長、1995年に特別医療法人董仙会の理事長に就任する。2008年に社会医療法人の認可に伴い、社会医療法人財団菫仙会の理事長に就任する。日本外科学会認定医、指導医、日本消化器外科学会認定医、専門医など。
<公職> | 社会福祉法人徳充会理事長、全日本病院協会副会長、七尾市医師会会長、日本医療法人協会理事、石川県病院協会理事、VHJ機構・VHJ研究会理事、日本医療機能評価機構評議員、医療のTQM推進協議会理事、社会医療法人協議会世話人、一般社団法人日本医療経営実践協会理事 |
<委員> | 【厚生労働省】 | 医道審議会医師分科会医師臨床研修部会委員、(中医協)診療報酬調査専門組織 入院医療等の調査・評価分科会委員、臨床研修制度の評価に関わるワーキンググループ委員、チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ委員、医療・介護サービスの連携に関する懇談会委員 |
【経済産業省】 | ヘルスケア産業プラットフォーム推進委員会委員 | |
【石川県】 | 石川県医療計画推進委員会 、産業革新戦略検討委員会委員、医商工連携促進協議会会員 | |
【四病協】 | 総合部会員、医療安全対策委員会委員長、医療制度委員会委員 | |
【日病協】 | 診療行為に関連した死因究明制度等に係るワーキンググループ座長 | |
【全日本病院協会】 | 病院のあり方委員会、病院機能評価委員会、学術委員会、医療の質向上委員会、救急・防災委員会担当副会長 | |
【日本病院会】 | インターネット委員会委員 | |
【日本医師会】 | 地域医療対策委員会委員 | |
【石川県医師会】 | 代議員、財政検討委員会委員、選挙制度検討委員会委員 | |
【医学書院】 | 月刊「病院」編集委員 |
病院の沿革
恵寿総合病院の歴史は戦前にさかのぼる。1934年、神野正博理事長の祖父に当たる神野正隣(まさちか)先生が当地に神野病院を設立した。神野正隣先生は日本製鋼室蘭病院(現 日鋼記念病院)で副院長兼外科部長を務めていたが、当時、能登には盲腸の手術ができる外科医がおらず、地域から迎えられる形での開業となった。現在のように陸の交通が便利ではなく、奥能登からの患者さんは船で来院したという。
「能登半島で初めて外科手術ができる病院として創始しました。それまでは国公立病院でも内科的な処置しかされていなかったんですよ。そこからニーズにしたがって、新しいことを行う流れができたのだと思います。例えば、老人保健施設や関連の社会福祉法人の身体障害者施設など、県内初の施設が多くあります。」
戦後になり、神野正博理事長の実父である神野正一先生が院長を引き継いだ。病院名も現在の恵寿総合病院に改め、診療科目の拡大を行った。それは拡大路線を敷いたわけではなく、全て地域のニーズによるもので、「金沢まで行かなくても治療できる」とのコンセプトからだったという。
「そういう中での大きなエポックメイキングとしましては、1967年に医療法人になり、1967年に特定医療法人になったことですね。この特定医療法人認定も全国的にも早い方だったはずです。先代の頃ですが、このときに私有財産を放棄したことはやはり大きなポイントになったと思います。当時、私はまだ小学生か中学生でしたが、先代から『あなたに譲るものは何もない。全部放棄した』と言われ、子どもながらとても驚きました。ただ、それからは公益的な法人としての考え方をすり込まれましたね。」
1993年に三代目となる神野正博先生が院長に就任し、2000年には延べ床面積5410平方メートルとなる6階建ての新館を増設した。しかし454床の病床数が変わったわけではなく、1床あたりの面積を広げることにより、ゆとりある療養環境の充実を図ったものである。1階の救急センター、5階の健康管理センターなどに加え、6階には露天展望浴場を備えた。さらに、道路に面した場所にはコンビニエンスストアのローソンを誘致している。今でこそ病院内のコンビニエンスストアはよく見られる存在であるが、当時は日本初の試みとして注目を集めた。
しかし、神野理事長が院長に就任した頃は恵寿総合病院の経営は苦しく、そこで「全国に先駆けて」の経営改革が始まっていく。
「まずは診療材料SPD導入を全国に先駆けて三菱商事さんと共同で立ち上げました。経営を良くしたいという思いから始めたのですが、既にトヨタ自動車などの日本先進企業ではかんばん方式や在庫レス、サプライチェーンなどが導入され、先生となる企業が多かったものの、医療分野ではどこもしていないという仕組みが色々とありました。これらを真似するという発想で実行に移した1994年頃から、私どものシステムががらりと変わりましたね。
このシステムの変革で、経営が良くなるだけではなく、一貫して大きな柱として、『コアミッション』、つまり医師は医師の仕事、看護師は看護師の仕事という本来の業務に目をやれば業務改善ができることが分かりました。スタッフのモチベーションも上がると同時に、病院内の不要な在庫が減り、現場の医師や看護師と病院経営にとっても良い結果をもたらしました。」
2007年にはけいじゅPET-CTセンター、恵寿パートナーズ心臓血管センターが相次いで開設された。2009年にはけいじゅPET-CT・リニアックセンターが開設され、放射線治療を開始した。また、2011年には石川県地域がん診療連携協力病院に指定されている。
「これからも一人の病める患者さんに私たちチームが連携することで、情報と心のバリアを取り除いて最善のサービスを提供していくつもりです。それが皆様の安心につながっていくに違いないと確信していますし、『けいじゅ』は進化し続けたいと考えています。」