プロフィール
医療法人財団 明理会 春日部中央総合病院
埼玉県春日部市は埼玉県の東部に位置し、さいたま市岩槻区などと境を接する。江戸時代に日光街道粕壁宿の宿場町として栄えたことから、現在も国道4号、新国道4号、国道16号、東武スカイツリーラインと東武野田線が交差する交通の要衝となっている。高度経済成長以来、東京のベッドタウンとして人口を増加させており、2012年の調査では23万人以上を数える。
東日本を中心に展開するIMSグループは医療、介護、予防医学などを推進している。春日部中央総合病院は春日部市緑町にあり、電車や自動車による都内からのアクセスも便利である。春日部市最多病床数の404床を有し、二次救急指定病院により、365日24時間の急患、緊急手術の受け入れを行っている。特に、循環器科や心臓血管外科は埼玉県内有数の体制と設備、症例数を誇る。地域に密着し、医療ニーズに応えるべく急性期、障害者、療養病棟のケアミックス型の病院として医療を提供し、近隣の開業医や病院、各施設との連携による地域完結型医療を目指している。IMSグループ内の基幹病院として、また急性期地域中核総合病院としての使命を果たすべく、最新かつ高度な医療機器の整備に加え、職員の教育や育成により、適正で良質な医療提供を図っている。
松田 実 病院長プロフィール
1986年に東京慈恵会医科大学を卒業し、国立東京第二病院(現 東京医療センター)で外科研修医となる。1988年に東京慈恵会医科大学第一外科に入局する。その後、神奈川県立厚木病院(現 厚木市立病院)、社会保険大宮総合病院、川口市立医療センターに勤務する。2004年に春日部中央総合病院に外科部長として着任する。2006年に春日部中央総合病院副院長に就任を経て、2007年3月に春日部中央総合病院病院長に就任する。専門は肝胆膵などの消化器。日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医、日本肝胆膵外科学会評議員など。病院の沿革
IMSグループが1981年6月、南春日部中央病院として開設したのが春日部中央総合病院の前身である。当時は162床で、標榜診療科は内科、外科、整形外科であった。翌年には救急医療機関指定を受け、増加する患者さんに対応するために、1984年7月に52床を増床した。地域の医療ニーズに応えるべく、脳神経外科や泌尿器科の診療も開始する。こういった拡充は地域住民のために、病院として何ができるかを常に考えた結果である。
1989年5月には100床を増床し、皮膚科、耳鼻咽喉科、眼科、婦人科の診療を開始した。1997年4月には心臓カテーテル検査装置を導入し、現在に至るまで埼玉県内でも有数の体制や設備、症例数となった。
1998年4月には春日部中央総合病院へと名称を変更する。そして2001年10月に、さらに90床を増床し、404床となったことで、春日部市内で最多病床の病院となった。
2003年4月には厚生労働省から臨床研修病院としての指定を受け、現在も卒後臨床研修を積極的に受け入れている。
春日部中央総合病院の研修はグループのスケールメリットを活かしていることが特徴である。一施設完結型ではない、複数の施設や地域医療を大切にするプログラムとなっている。研修医自身が選択したプログラムである以上、研修医の意欲も向上する。臨床研修医を受け入れることは指導医はじめ、病院全体のスキルアップに繋がっている。
春日部中央総合病院ではその後も電子カルテやPACSの導入、日本医療機能評価機構の認定を受けるなど、常に進化し続けている。
1989年5月には100床を増床し、皮膚科、耳鼻咽喉科、眼科、婦人科の診療を開始した。1997年4月には心臓カテーテル検査装置を導入し、現在に至るまで埼玉県内でも有数の体制や設備、症例数となった。
1998年4月には春日部中央総合病院へと名称を変更する。そして2001年10月に、さらに90床を増床し、404床となったことで、春日部市内で最多病床の病院となった。
2003年4月には厚生労働省から臨床研修病院としての指定を受け、現在も卒後臨床研修を積極的に受け入れている。
春日部中央総合病院の研修はグループのスケールメリットを活かしていることが特徴である。一施設完結型ではない、複数の施設や地域医療を大切にするプログラムとなっている。研修医自身が選択したプログラムである以上、研修医の意欲も向上する。臨床研修医を受け入れることは指導医はじめ、病院全体のスキルアップに繋がっている。
春日部中央総合病院ではその後も電子カルテやPACSの導入、日本医療機能評価機構の認定を受けるなど、常に進化し続けている。