プロフィール
広島市立広島市民病院
広島市は山陽地方のほぼ中南部に位置する。1889年に日本最初の市になった中の一つであり、それ以後、中国、四国地方で最大の人口を有する。1980年には全国で10番目となる政令指定都市に指定され、中国、四国地方の政治や経済、文化の中心都市となっている。広島市立広島市民病院は広島市中区にあり、広島市が運営する市立病院である。広島県災害拠点病院、地域がん診療連携拠点病院、エイズ治療拠点病院(中国四国ブロック拠点病院)、総合周産期母子医療センターなどに指定されている。当初は厚生省(現 厚生労働省)により開所され、広島市が運営受託していた。名称も社会保険広島市民病院だったが、2003年に受託を解除して、現在の広島市立広島市民病院になった。2003年から2008年にかけて、建物の増改築及び耐震補強などを行い、現在の病床数は743床、診療科の数は26床となっている。
今回は広島市立広島市民病院の荒木康之病院長にお話を伺った。荒木病院長が内科医師として、社会保険広島市民病院に着任したのは1988年8月のことだった。
「今年で25年になります。着任当初も非常に活気のある病院で、がんの治療件数も多かったです。病床数は変わってはないですが、当時は医師数が少なかったですね。一番違うのは今の方が救急に力を入れていることでしょうか。当時はがんに比べると、救急にはあまり積極的ではなかったです。2006年にERを始めたのですが、ER型を初めてからは救急が増えました。当院はがん治療においては全国レベルの急性期病院ですし、救急医療や周産期医療なども行っています。高度専門医療と救急医療を両立させていることが特徴で、これからも継続していきたいと考えています。三次救急は以前から非常に力を入れてきましたが、高度救急だけではなくて、一次や二次も診ないといけない位置付けです。心筋梗塞の件数などは広島県で一番多く、全国のランキングに載るぐらいですが、今まで通りに行っています。がんや三次救急の多い病院がERを始めると、今までやってきた三次救急が縮小していくケースもありますが、当院は今までの高度救急はそのまま維持しています。一次救急も始めましたので、患者さんの幅が広がりました。病院全体が忙しくなりましたが、その分、人材を確保して行ってきたのが経緯です。」
荒木 康之 病院長 プロフィール
1956年 1月19日(56歳)に広島県福山市で生まれる。1980年に岡山大学を卒業し、岡山大学第一内科(現 消化器肝臓内科)に入局する。井原市民病院と国立病院機構四国がんセンターで研修し、岡山大学に帰任する。研究生として勉強して、1988年4月に東海大学医学部第三内科に異動し、助手に就任する。1988年8月に社会保険広島市民病院(現 広島市立広島市民病院)内科に勤務する。1995年に社会保険広島市民病院(現 広島市立広島市民病院)内科部長に就任する。2008年に広島市立広島市民病院副院長兼内科主任部長に就任する。2012年に広島市立広島市民病院病院長に就任する。
略歴
1974年 3月 | 広島県立福山誠之館高校卒業 |
1974年 4月 | 岡山大学医学部入学 |
1980年 3月 | 岡山大学医学部医学科卒業 |
1980年 4月 | 岡山大学第一内科入局 |
1980年 5月 | 医師免許取得 |
1980年 9月 | 井原市立井原市民病院内科勤務 |
1982年 4月 | 国立病院四国がんセンター内科勤務 |
1985年 2月 | 岡山大学医学部付属病院第一内科医員 |
1988年 4月 | 東海大学医学部第三内科助手 |
1988年 8月 | 社会保険広島市民病院内科医師 |
1989年 4月 | 同 内科副部長 |
1995年 4月 | 同 内科部長 |
2002年 4月 | 同 臨床検査部主任部長兼内科部長 |
2003年 4月 | 広島市立広島市民病院、内科主任部長兼臨床検査部主任部長、岡山大学臨床准教授 |
2008年 4月 | 広島市立広島市民病院副院長、内科主任部長兼臨床検査部主任部長事務取扱 |
2011年 4月 | 同 副院長 臨床検査部主任部長兼内科部長事務取扱 |
2011年 | 岡山大学臨床教授 |
2012年 4月 | 同 病院長 |
現在に至る | |
2009年4月より2012年3月まで広島県医師会常任理事 |
学会活動
日本内科学会認定内科医、総合内科専門医、指導医 |
日本内科学会評議員 |
日本消化器病学会専門医、指導医 |
日本消化器病学会中国支部評議員 |
日本肝臓学会専門医、指導医 |
日本肝臓学会西部会評議員 |
日本超音波医学会専門医、指導医 |
日本消化器内視鏡学会専門医、指導医 |