プロフィール
公立宍粟総合病院
兵庫県宍粟市は2005年4月1日に宍粟郡山崎町、一宮町、波賀町、千種町の4町が合併して、誕生した市である。兵庫県中西部に位置し、西播磨に属する。神戸市から約100km、姫路市から約30kmにあり、西は岡山県、北は鳥取県に接している。「しそう森林王国」と呼ばれるように林業が盛んで、兵庫県の指定天然記念物である山崎大歳神社の千年藤はかおり風景百選にも選ばれている。
公立宍粟総合病院は宍粟市に唯一の基幹病院である。12診療科、205床を有し、救急医療や地域医療連携に努めている。また、急性期医療を中心に、血液透析やリハビリテーションも積極的に行っている。2009年にMRI、2011年にCT、2012年に血管造影装置を最新機器に更新し、基幹病院にふさわしい体制になっている。一方で、病院機能評価Ver.6の認定を受け、 地域の方々に良質の医療を提供するための取り組みも行っている。
今回は公立宍粟総合病院の山崎良定院長にお話を伺った。
山崎 良定 院長 プロフィール
1948年に生まれる。1974年に神戸大学を卒業後、神戸大学医学部附属病院第二外科(現 循環動態医学講座呼吸循環器外科)に入局する。高砂市民病院、石川島播磨重工業健康保険組合播磨病院(現 IHI播磨病院)、神戸大学医学部附属病院などで研修を行う。1983年に公立宍粟郡民病院(現 公立宍粟総合病院)に赴任し、1986年に公立宍粟郡民病院副院長に就任する。2002年に公立宍粟総合病院副院長兼救急部長に就任する。2010年に公立宍粟総合病院院長に就任する。
日本外科学会認定医・指導医、日本消化器外科学会認定医・指導医、マンモグラフィ読影認定医など。
病院の沿革
公立宍粟総合病院は宍粟郡山崎町、安富町、一宮町、波賀町、千種町の5町が宍粟郡病院事務組合を1975年3月に設立し、 財団法人博愛病院の施設設備を買収して1975年4月に組合立宍粟郡民病院として開設したのが始まりである。 2005年4月に4町の合併に伴い、新たに宍粟市となったのを受け、改めて公立宍粟総合病院を開設した。
1975年3月 | 宍粟郡病院事務組合設立 |
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1975年4月 | 組合立宍粟郡民病院開設(病床数:一般92、結核24、伝染25) |
1981年4月 | 公立宍粟郡民病院に名称変更 |
1983年2月 | 病床数変更一般165床 結核病床廃止 |
1984年7月 | 伝染病床廃止 |
1985年2月 | 第1期増改築工事完了 |
1992年1月 | 人工透析業務開始(15床) |
1995年10月 | 病床数変更許可 一般205床 |
1998年12月 | 人工透析15床増床(計30床) |
1999年2月 | 第2期増改築工事完了 |
1999年4月 | 「公立宍粟総合病院」に名称変更(40床増床 計205床) |
2001年4月 | 危機管理対策室設置(医療安全管理対策室へ改称) |
2002年3月 | 「日本医療機能評価機構」病院機能評価Ver.3.1認定 |
2003年7月 | 病床種別 一般病床選択(一般病床 205床) |
2005年3月 | 宍粟郡病院事務組合解散 |
2005年4月 | 町村合併に伴い、宍粟市が開設者に |
2005年10月 | 地域連携室設置 |
2007年1月 | 一般7対1入院基本料施設基準承認 |
2007年10月 | 「日本医療機能評価機構」病院機能評価Ver.5.0認定 |
2007年12月 | 電子カルテ導入 |
2009年3月 | PACS(医用画像配信システム)稼働 |
2009年7月 | DPC(診断群別定額払い方式)導入 |
2010年3月 | へき地医療拠点病院指定 |
2011年9月 | 基幹型臨床研修病院指定 |
2012年2月 | 「日本医療機能評価機構」病院機能評価Ver.6.0認定 |
「宍粟市の人口は4万人ほどですが、医療圏としては8万人の人口があります。当院では地域の住民の皆さんの医療ニーズの増大と変化に対応して施設設備の拡充を図り、地域における医療の確保と医療水準の向上に貢献して、今日に至っています。3年前からは初期研修医が来るようになったので、職員のモチベーションが上がっていますね。医局も若返りましたよ(笑)。初期研修医への指導のために、ベテランの医師も頑張っています。今年も2人の初期研修医が来るのですが、そのうちの1人が兵庫県の養成医師なんです。今後、養成医師も初期研修医だけでなく、後期研修医が来るようになると、さらに戦力になりますが、2年後には後期研修医として回ってくることになりそうです。」