プロフィール
地方独立行政法人 さんむ医療センター
千葉県の北東部に位置する山武市は2006年3月に山武郡成東町、山武町、蓮沼村、松尾町が合併して、発足した。主産業は農林業や観光業で、特に林業は「山武杉」で知られている。山武杉などを加工して作られる「組子細工」は主に障子や欄間などの建具に施される技法で、それを施された建具は「上総建具」と呼ばれ、「房総の魅力500選」に選ばれる伝統工芸品である。また、成東地域の国道126号線沿いは「ストロベリーロード」と称され、立ち並んだいちご農家でのいちご狩りは観光客で賑わっている。
さんむ医療センターは2010年4月にスタートした病院である。前身は組合立国保成東病院だったが、地方独立行政法人となって移行したものだ。現在は18診療科、312床を有する総合病院として、「医療・保険・介護の三位一体」の切れ目のない医療サービスを行っている。
今回はさんむ医療センターの篠原靖志院長にお話を伺った。
篠原 靖志 院長 プロフィール
1960年に千葉県東金市で生まれる。1986年に旭川医科大学を卒業後、千葉大学医学部附属病院第二外科に入局する。入局後の研修を千葉大学医学部附属病院、公立長生病院、千葉県がんセンターで行う。1989年から1991年まで千葉大学医学部附属病院で肝胆膵疾患の画像診断などの研究を行う。1992年に鴨川市立国保病院に外科医長として勤務する。1994年に八街総合病院に勤務する。1996年に千葉大学医学部附属病院第二外科に勤務する。1997年に国保成東病院(現 さんむ医療センター)に主任外科医長として勤務する。2007年に国保成東病院(現 さんむ医療センター)診療部長に就任する。2010年にさんむ医療センター副院長に就任する。2013年にさんむ医療センターの院長に就任する。
日本消化器外科学会指導医・専門医、日本外科学会専門医、日本消化器病学会専門医、緩和ケアの基本教育に関する指導者研修会修了(2009年2月)、日本プライマリ・ケア連合学会指導医など。
病院の沿革
1952年7月に地域住民の医療の確保という使命を担って、成東町外23か町村立成東病院組合が設立され、1953年6月に内科、外科、産婦人科の組合立国保成東病院が病床数51床で開院した。
「病院は現在地よりも山沿いの方にあったようです。私は山武市の隣の東金市の出身なのですが、子どもの頃の国保成東病院のイメージは地域医療を頑張っていて、忙しそうな病院だなということでしたね。」
その後、地域住民の要望に応える形で、施設の拡充と診療内容の充実が図られる。皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、小児科が新設されたほか、伝染病隔離病舎を併設した。
1969年に現在地に新築移転する。病床数は結核病床12床を含む110床となった。さらに、1971年には整形外科、脳神経外科を増設する。
「この移転で老朽化の問題が解消され、施設の拡充ができたと聞いています。」
1980年に千葉県の公立病院整備計画にもとづき、救急医療体制の充実、リハビリテーション施設の新設、地域基幹病院としての施設、設備の充実を目的として増改築工事に着手し、1985年に総合病院となった。
1992年に外来棟の診療環境を改善し、循環器医療や救急医療などの特殊診療部門を充実させるため、増改築を行った。これにより、人間ドック10床を含め、350床となった。この年はオーダリングシステムを導入した。
篠原院長が主任外科医長として国保成東病院に着任したのは1997年のことである。
「当院の歴代院長は千葉大学医学部附属病院第二外科の出身なんです。坂本昭雄理事長が当時の院長で、私はこの地域出身だから頑張れるだろうということで、呼んでいただきました。当時は北棟を作ったものの、赤字で経営不振になっており、経営健全化の真っ只中にありました。私は30代後半でしたが、その時期に同世代の医師が揃ったこともあり、皆で病院を盛り上げようと頑張ったんです。坂本理事長もいけいけと背中を押してくれましたね(笑)。二次輪番制の後方支援病院となり、救急にも力を入れていったんです。年間3900台の救急車が来た年もありましたよ。脳神経外科は4人の医師が代わる代わる当直するほどで、三次救急に近いことまで行っていました。」
1999年に350床のうちの40床を療養病棟に切り替え、2000年には地域医療部に地域医療連携室を設置し、訪問看護ステーションを開設した。
「介護保険法に対応するためですね。居宅介護支援事業所を実施できる体制を確保し、在宅ケアなどのニーズにお応えするために訪問看護ステーションも開設したのです。」
2004年に臨床研修制度が始まり、大学医局による医師の引き上げなど、全国的に医師不足という社会問題が起こったが、国保成東病院も例外ではなかった。その端緒は千葉県立東金病院の医師引き上げにあった。
「東金病院は当院から5キロしか離れていないので、患者さんも重なっていました。そのため、東金病院を去る医師からの紹介状を持った患者さんが当院に押し寄せ、当院の内科医師への負担が増大したんです。当時、当院には内科医師が13人ぐらいいましたが、2005年秋には雲行きが怪しくなり、冬には全員退職となってしまいました。」
その後、8カ月に渡って内科医師がゼロという状態が続いたという。
「最初は内部留保もあったのですが、徐々に苦境に立たされるようになり、2007年には資金ショートが始まるようになりました。市立銚子病院が経営破綻したのもこの頃ですね。こうした事態を受けて、千葉県が動き、基金の融資を受けることができました。県からは合理化を求められ、同時に新病院構想も走り始めました。」
2010年に病院組合の解散に伴い、新設型地方独立行政法人さんむ医療センターとして生まれ変わった。16診療科、350床という規模であった。
「当初は成東、東金、大網が一緒になって、医療資源の集約化を行おうとしたのです。組合立と県立の違いはありますが、県立病院と市立病院が統合して開設された高知医療センターの事例も参考にしました。しかし、構想が立ち上がったものの、場所の問題でご破算になってしまいました。東金市は合併に失敗しましたし、大網も抜け、最終的には当院のみで立て直しを図ることになりました。2006年に成東町、山武町、蓮沼村、松尾町が合併して山武市になっていましたので、山武市の直営として独法化を進めていったんです。」
2012年に回復期リハビリテーション病棟を開設する。
「当院は整形外科の手術が多いですし、脳卒中の患者さんが在宅に帰るまでの療養をということで始めた病棟ですが、順調に推移しています。」
2014年に緩和ケア病棟を開設し、同時に緩和ケア内科を増設した。これで診療科目は18科となったが、許可病床数を11床減少し、312床に変更した。
「これからも患者さん中心の医療をさらに深化させ、患者さんが地域の中で自分らしく生きていくことを支えられるように、患者さん、全スタッフとともに歩んでいきたいと願っています。」