プロフィール
医療法人社団元気会 横浜病院
神奈川県横浜市緑区は鶴見川流域に広がる区で、東西にJR横浜線が通っている。緑区は地下鉄グリーンラインで日吉と直結し、最近ではショッピングセンターの建設も相次いでいる。新興住宅地や団地も数多く、18万人近くの人口を有する。また、緑区内を虎ノ門から平塚までを結ぶ中原街道が通り、交通量が多い。
横浜病院は、中原街道沿いにある病院である。隣には四季の森公園、晴れていれば上層階からは東京スカイツリーや富士山も眺められる環境にある。横浜病院は1981年に個人病院としてスタートした病院で、環境の変化に伴い1985年からは療養型病院として、高齢者医療や介護に取り組んできた。現在は内科、精神科を標榜し、326床を有する。北島明佳理事長のお父様である北島淳先生が院長だった時代から「こわくなく、くるしくなく、さびしくなく」を大切に、医療と福祉の一体化を目指している。
今回は横浜病院の箱崎幸也院長・広報担当者にお話を伺った。
箱崎 幸也 院長 プロフィール
1954年に広島県因島市(現 尾道市)で生まれる。1981年に防衛医科大学校を卒業後、防衛医科大学校病院、自衛隊中央病院で研修を行う。1983年に自衛隊富士病院に勤務する。1987年に自衛隊中央病院消化器内科に医長として勤務する。1997年に自衛隊中央病院研究検査部検査課長に就任し、内視鏡室長を兼任する。2000年に自衛隊阪神病院第一内科部長兼健康管理センター長に就任する。2004年に陸上自衛隊西部方面隊総監部医務官に就任する。2006年に自衛隊中央病院第一内科部長(診療幹事)に就任する。2014年10月に自衛隊中央病院を陸将補で退官する。2014年11月に医療法人社団元気会横浜病院に院長として着任する。
日本内科学会専門医・指導医、日本超音波学会専門医・指導医・代議員、日本消化器内視鏡学会専門医・指導医・評議員(関東地方会)、日本消化器病学会専門医・指導医・評議員(関東地方会)、日本肝臓学会専門医、日本集団災害医学会評議員など。
病院の沿革
1981年に横浜病院が誕生した。設立時は一般病床189床の個人病院で、製紙関連会社の跡地に建設されたという。1985年に北島明佳理事長のお父様である北島淳医師が院長になり、横浜市内で最も早く高齢者医療に取り組み始めた。
「設立当初は一般病院でしたが、経営不振により、北島医師が院長となり、経営を担うことになりました。1985年に北島院長が法人化し、これからは高齢者医療が重要だと考えシフトしたのが始まりです。当時は介護保険もまだなく、ほとんどの医師が急性期医療をしたいという時代でしたから、先見の明があったのでしょう。介護で家族が崩壊してしまっては皆が不幸です。そこで、他人が預かり、医療と介護を行うことで皆が幸せになるようにというのが設立時の理念なのです」
1988年に特例許可病棟の認可を取得する。横浜市内では最初の認可だったという。1989年に17床増床して206床となり、1990年に70床増床し、276床となる。そして、特例許可老人病院へ変更する。1991年に医療法人元気会を開設し、医療法人社団元気会横浜病院へ改称となる。
「元気会は『元気かい?』が由来です。先代の北島院長が命名しました。誰にでも分かりやすく、親しみやすくしようとしたようですね。病院という場所は皆ができれば行きたくない場所ですから、明るい名前にしたと聞いています。ですから院内は明るいあいさつがとびかっています」
1996年に特例許可老人病院を介護強化病院に変更したが、2002年に1号館が完成し、療養病床の認可を取得する。さらに、2003年に精神療養病床を50床増床し、326床となる。
「内科のみならず、精神科も標榜することで、心と身体の両面を診ることができる体制になりました」
2010年に日本版医療MB賞クオリティクラス(JHQC)Aクラスの認証を受けたことに続き、2013年には日本版医療MB賞クオリティクラス(JHQC)Aクラス継続認証となった。
「実行計画策定や経営計画発表会、環境整備活動、各種の会議活動の仕組みを整え医療と介護の連携を強化してきました。また、北島理事長、箱崎院長を含む経営幹部は第一線の社員とともに、医療や介護サービスの品質向上に取り組んでいます。このような取り組みが顧客満足、社員満足の向上、財務業績の成果に結びついたことが評価されて、認証に繋がりました。これからも継続していきたいです」
横浜病院は今後も「医療と福祉が一体化したロールモデル病院」を目指して、進化していくことが期待される。