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「生命の尊厳が最大の使命」
医療法人社団青葉会 狭山神経内科病院

プロフィール

医療法人社団青葉会 狭山神経内科病院

医療法人社団青葉会 狭山神経内科病院

 埼玉県狭山市は埼玉県南西部に位置し、市域を西武鉄道の新宿線と池袋線が通る。1960年代以降に東京郊外のベッドタウンとなったことで人口が急増し、現在は15万人を有する。ホンダの埼玉製作所があるため、埼玉県一の工業都市となっているが、静岡茶、宇治茶と並んで日本三大茶の一つである狭山茶で知られるように、農業都市としての側面もある。狭山市役所の南側には航空自衛隊の入間基地がある。2012年に西武新宿線の狭山市駅西口地区で再開発整備事業が完了し、秩父連山を望めるスカイテラスは2014年度のグッドデザイン賞を受賞している。
 狭山神経内科病院は西武新宿線の新狭山駅から徒歩9分の場所にある神経内科専門病院である。戸田中央医科グループに属し、グループ共通の理念である「愛し愛される病院」を目指して、地域医療にも貢献している。現在は神経内科、内科、リハビリテーション科を標榜し、147床の病床を備える。我が国では画期的な専門病院として、神経難病をはじめとする重度神経障害の患者さんに長期療養を提供している。
 今回は狭山神経内科病院の沼山貴也院長にお話を伺った。


沼山 貴也

沼山 貴也 院長 プロフィール

1964年に東京都東村山市で生まれる。1991年に弘前大学を卒業後、弘前大学医学部附属病院神経内科の医局に進み、弘前大学医学部附属病院で研修を行う。1995年に弘前大学大学院を修了する。その後、医局派遣により、各地の病院に勤務する。1997年に狭山神経内科病院に勤務する。2002年に国立障害者リハビリテーションセンター病院、2009年に浴風会病院勤務を経て、2010年に狭山神経内科病院に副院長として着任する。2014年に狭山神経内科病院院長に就任する。
日本神経学会専門医・指導医、日本内科学会認定医、リハビリテーション医学認定臨床医など。

病院の沿革


 狭山神経内科病院の前身は新狭山セントラル病院である。新狭山セントラル病院は戸田中央医科グループの病院として、1978年6月に開設された。

「狭山神経内科病院は新狭山セントラル病院を前身として、前々院長が作った病院です。一部の国公立の病院以外には長期の療養先がほとんど無い、神経内科の難病患者さんの置かれた現状をなんとかしたいという思いから、この病院を作られたと伺っています。」

 そして、1985年に狭山神経内科病院としてリニューアルされた。

「新狭山セントラル病院を引き継いで、近隣のこの場所に狭山神経内科病院を作りました。この場所を選んだ理由の詳細は知らないのですが、周辺は山や畑などの緑が多く、患者さんが療養されるにはいい環境ですね。2003年に病棟を新築移転しましたが、その際には患者さんの快適な療養環境という視点だけでなく、現場の職員にも機能的で働きやすく設計されています。」

 沼山院長が狭山神経内科病院に着任したのは1997年のことである。

「私は大学が青森県の弘前大学でしたので、東北各地の医局の関連病院に勤務していたのですが、地元に帰る事情が出来た為に医局を辞め、当院に赴任しました。それまでに神経内科医として6年程勤務していましたが、既に神経難病患者さんの置かれた状況が非常に厳しい現状であることを知り、自分なりに何とかならないものかという気持ちが強くありました。当院での勤務後、リハビリテーション医学を学ぶ為、国立障害者リハビリテーションセンター病院に転勤しましたが、2010年に再び当院に着任しました。」

 2011年には訪問リハビリテーションの事業所を立ち上げた。

「当院は難病患者さんへのリハビリテーションに力を入れており、入院患者さんだけでなく、地域で療養されている方を支援する為に訪問リハビリテーションも行うことにしたのです。私の着任以来数年が経過し、病院のシステムも安定してきました。しかし、現場スタッフの大変さは昔も今も変わらないですね。」

 狭山神経内科病院は「生命の尊厳を最大の使命と考え、信頼される病院を目指し、たゆまぬ努力をいたします」の理念通り、今後も地域の期待に応えていくだろう。

2016.04.01 掲載 (C)LinkStaff

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