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「地域とつながり、安心感と温かみのある精神・高齢者医療を」
医療法人社団 研精会 稲城台病院
プロフィール
稲城台病院
東京都稲城市は多摩丘陵の北東部、多摩川右岸に位置する、人口約8万人の街である。市の南北をJR南武線が、東西を京王相模原線が通り、バス路線も充実している。よみうりランドの所在地として知られているが、古くからナシやブドウの産地でもある。比較的、森林も多く残っているが、若葉台は近年、開発が急ピッチで進み、大型のマンションやショッピングセンターの建設が相次いでいる。
稲城台病院は京王相模原線の若葉台駅、小田急多摩線のはるひ野駅から徒歩15分の場所にある。精神科339床、内科71床を有し、患者さんに対し、「優しい医療」の提供を目指している。特に精神科の患者さんの社会復帰に力を入れ、患者さんの退院後も訪問看護ステーションや作業所と連携しながら、患者さんの生活を支援している。
病院の沿革
稲城台病院は1965年に112床、31室の精神科病院として、東京都稲城市に開設された。創設者の山田禎一先生は金沢大学の精神神経科で助教授を務めており、秋元波留夫教授が西ドイツに留学している間、留守を預かっていたが、秋元教授の帰国に合わせて、医局を辞し、上京して開業することになった。それが東京都調布市の山田病院であり、開業日は1957年5月25日である。開業にあたっては東京都立松沢病院の臺弘先生の尽力があったという。その臺先生は群馬大学の教授になり、秋元教授が東京大学の教授に転身したこともあって、都立松沢病院と東京大学の支援を受ける形で、山田病院には多くの患者さんが訪れ、それが稲城台病院の開設へと繋がっていった。
「当地の北側に広がる一帯は明治天皇の御狩場だったそうです。山田禎一名誉会長が秋元教授や臺教授と一緒に見に来て、助言をいただいて、この地に決めたと聞いています。稲城に精神科医療の灯を灯そうということだったのでしょうね。若葉台駅もはるひ野駅も開業前で、1974年に若葉台駅ができましたが、若葉台駅は東京都で最も乗降者数が少ない駅だったんですよ。そのため、病院開設は電気や水道といったライフラインの確保から始まったようです。」
1969年に精神科260床となった。この年、神奈川県足柄下郡箱根町に箱根仙石原温泉病院(現 箱根リハビリテーション病院)も開設している。
「当時の日本には脳出血の患者さんは推定80万人いたそうです。しかし、リハビリテーション施設は4,000床しかありませんでした。患者さんや地域の方の要望を受け、箱根にリハビリテーション施設を作ったのです。」
1971年に医療法人社団研精会稲城台病院となった。病院は拡大を続け、1976年に精神科311床となる。そして、1988年に内科病棟を併設した。このとき、内科71床と歯科を開設し、地上4階、地下1階の本館が竣工した。
「山田名誉会長は地域の住民の皆さんと話す機会を持っていました。そこで、皆さんから急性期病院には長く入院できないので困っているという話を聞いてきたのが内科を開設したきっかけだったんです。困っている人がいるのなら、うちの病院で何とかしようという男気のある人なんですよ(笑)。」
1990年には稲城台病院の隣地に、老人保健施設ヒルトップロマンを開設した。これは東京都で初めてとなる老人保健施設である。続いて、1992年にはその隣地に東京南看護専門学校を開校した。
「看護学校を持っているグループは珍しいですね。准看護師がスムーズに正看護師になる道を作りたいとのことで開設した学校です。グループ内で看護職を育てることは意味があると思います。」
稲城台病院は1999年に現在の精神科339床、内科79床となり、2003年に内科が療養病床となった。櫻井医局長が着任したのもこの頃のことである。
「はるひ野駅ができたのは2004年ですし、私が着任したときはマンションなどの大きな建物もありませんでした。今は本館と新館がありますが、まだ本館のみでしたね。」
そして、2005年に地上8階建ての稲城台病院新館が完成した。
「昔の精神科病院のイメージは鉄格子のある建物といったものでしたが、新しい病院ではそういったイメージを払拭させる建物にしようと、何回も会議を重ねたんです。外壁の色を明るくしたり、外の光を内部に届かせる工夫をするなど、皆で相談しながら、設計に改良を加えていきました。お蔭様で、患者さんやご家族からは『想像していたよりも明るい病院ですね』と好評をいただいています。」