プロフィール
帯広第一病院
北海道帯広市は十勝地方の中心都市であり、十勝地方の産業や経済を牽引している。約17万人の人口を有し、小売業の年間商品販売額も北海道では札幌市、旭川市に次ぐ規模である。主な産業として農業が挙げられ、じゃがいも、とうもろこし、アスパラガス、長芋の有数の産地となっているほか、牛乳の生産も盛んである。また、最近では六花亭、柳月、クランベリーなどのスイーツが有名となり、豚丼発祥の地としても知られている。
帯広第一病院は前身の志田病院からの歴史を数えると、2016年には創立88年を迎える。帯広市の基幹病院として、消化器内科や外科を中心とした急性期医療を行っている。2013年には公益財団法人に移行し、公益を目的に幅広く事業を展開している。
今月は帯広第一病院の山並秀章院長に話を伺った。
山並 秀章 院長 プロフィール
1964年に宮城県仙台市で生まれる。1988年に東北大学を卒業後、十和田市立中央病院で研修を行う。1990年に東北大学病院に勤務を経て、1995年に仙北組合総合病院(現 大曲厚生医療センター)に勤務する。1997年に宮城県立がんセンターに勤務する。2014年に帯広第一病院に外科部長として着任する。2015年に帯広第一病院院長に就任する。
日本外科学会専門医・指導医、日本消化器外科学会専門医・指導医、検診マンモグラフィ読影認定医、消化器がん治療認定医、ICD制度協議会ICDなど。
病院の沿革
帯広第一病院の法人格である「財団北海道医療団」は1948年に組織化された。
「志田信也先生が第二次世界大戦後の医療復興のために自身の財産を寄付し、財団法人志田病院を開設したのが前身です。」
1971年に財団法人北海道医療団となり、2013年に公益財団法人に移行している。
「財団法人として病院経営を実践する組織は珍しいですが、公益を目的とした事業を積極的に展開しています。」
志田病院は1972年に廃業し、一時事業休止となったが、1974年8月に帯広第一病院として再建された。病床数は30だったという。その後、十勝管内初の脳神経外科の開設をはじめ、複数の診療科の標榜を果たし、急性期医療を整備させてきた。一方で、救急告示病院として、救急の受け入れを積極的に行うなど、帯広市内はもとより、十勝支庁管内19市町村、35万4000人を支える中核病院の一つである。
「1997年には現在地に移転を完了しています。」
そして、2009年に消化器内視鏡センター、2010年に化学療法センター、2012年に在宅ケアセンターを開設した。また、2013年には24時間体制の院内保育所を新築している。
法人内では地域医療へのさらなる貢献を行うべく、関連施設として療養中心の2病院(計243床)のほか、介護老人保健施設、ヘルパーステーション、ケアマネジメントセンターを帯広市内を中心に開設しており、救急医療から在宅医療までの一貫した事業展開を行っている。
2017年には緩和ケア病棟を開設予定で、病院の特徴の一つになることが期待されている。