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「高度な医療で愛し愛される病院」
一宮西病院( 愛知県一宮市開明字平)
プロフィール
一宮西病院
愛知県一宮市は尾張国の一宮である真清田神社があることに由来し、尾張一宮とも呼ばれる街である。かつては紡績や繊維産業で賑わっていたが、近年は織物、紡績、繊維の工場の跡地が住宅や商業施設になっている。道路や鉄道の利便性が高いため、名古屋市のベッドタウンとして人口を伸ばしており、2005年に尾西市と葉栗郡木曽川町を編入したことで、38万人を超える自治体となった。
一宮西病院は一宮市のみならず、尾張西部地区の救急医療を担う急性期病院である。2009年に名古屋鉄道尾西線の開明駅から徒歩20分の場所に新築移転を行い、さらに機能を充実させた。病床数は440床で、内科、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、内分泌・糖尿病内科、神経内科、小児科、外科、消化器外科、肛門外科、乳腺・内分泌外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、耳鼻咽喉科、頭頸部外科、泌尿器科、眼科、皮膚科、産婦人科、リハビリテーション科、放射線診断科、放射線治療科、臨床検査科、病理診断科、麻酔科、救急科を標榜する。
今回は一宮西病院の上林弘和院長にお話を伺った。
上林 弘和 院長 プロフィール
1955年に愛知県一宮市に生まれる。愛知医科大学を卒業後、愛知医科大学病院に勤務する。奥町病院への勤務を経て、1988年に奥町病院の院長に就任する。1991年に奥町病院は上林記念病院へと名称を変更し、院長に就任する。2009年に一宮西病院の院長に就任し、社会医療法人杏嶺会理事長を兼任する。
精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医、日本精神科病院協会指導医など。
病院の沿革
社会医療法人杏嶺会の歴史は1948年に先代の院長である上林弘之先生が開設した上林医院から始まる。
「きっかけは奥町から町立診療所の移譲を受けたことです。1965年に奥町病院に改称し、1970年の増床を経て、1976年には精神科病床134床、一般病床15床の149床の病院となりました。」
上林弘和先生が奥町病院の院長に就任したのは1988年である。同時に医療法人杏嶺会を設立し、上林院長が初代理事長に就任した。
「杏嶺という名前は中国の故事である神仙伝から取りました。古代中国の神仙董奉が医療を提供するときに、患者さんに『杏を持ってくれば、お金はいいですよ』と言ったそうです。その杏が林になり、森になり、嶺になったということで、私どものグループもこの杏のように成長させていきたいと考えました。」
奥町病院は上林記念病院へと名称を変更し、1995年には一般病床60床、精神科病床253床に増床した。一方で、2001年に131床の一宮西病院を開設する。
「院長に就任した頃はまだ30代でしたし、臨床や研究に打ち込んでいましたので、あまり気が進まなかったんです(笑)。旧病院も経営的に安定していましたが、自分はどう生きていくべきかを自問自答するうちに、病院を大きくしていかなくてはならないと思うようになりました。これが一宮西病院の開設に繋がっていますね。進むべき道と私自身の使命を自覚したんです。」
その後、一宮市で市民病院の民間移譲に関する公募があり、杏嶺会は地域医療の継続のために公募に参加する。その結果、一宮市民病院今伊勢分院の移譲が決まり、2008年にいまいせ心療センターとして発足した。精神科病床156床、回復期リハビリテーション病床47床という規模であった。翌年、一宮市立尾西市民病院の移譲も受け、一般病床51床、回復期リハビリテーション病床41床の尾西記念病院として生まれ変わった。
2009年に一宮市の開明地区に一宮西病院が新築移転を行う。上林院長は一宮西病院の院長も兼任することとなった。
「一宮市はだだっ広い街ではありますが、街の玄関口であるJR一宮駅からそこまで遠くない範囲で病院にふさわしい土地がなかなかなかったんです。古い街ですから、住宅街もぎっしりと詰まっていますし、ある程度のビルも建ち並んでいます。ここだけが唯一の大きな土地でした。一宮駅からは車で10分ほどかかりますが、空いていた土地でしたし、ここでできる医療をしていこうと思いました。」
「地域の中で完結できる強みがありますね。病院と老健や訪問看護、訪問介護が連携を深めながら、地域包括ケアの完成を目指しています。」
現在は内科、消化器内科、呼吸器内科、循環器内科、内分泌・糖尿病内科、神経内科、小児科、外科、消化器外科、肛門外科、乳腺・内分泌外科、呼吸器外科、心臓血管外科、脳神経外科、整形外科、形成外科、耳鼻咽喉科、頭頸部外科、泌尿器科、眼科、皮膚科、産婦人科、リハビリテーション科、放射線診断科、放射線治療科、臨床検査科、病理診断科、麻酔科、救急科を標榜し、病床数は440床である。
「病院を大きくする『量』を達成しましたので、これからは『質』を高めていくことに力を注ぎたいですね。検査や手術でほかの医療機関に引けを取らないよう、技術なら一宮西病院だと言っていただけるように邁進します。杏嶺会の理念は『街と人が明るく、健康でいられますように』というものです。常に理念に立ち返り、地域の皆様のニーズに対して『ベクトル合わせ』をしていきたいと思っています。」