プロフィール
総合大雄会病院(一宮市栄)
愛知県一宮市は尾張国の一宮である真清田神社があることがその名前の由来であり、尾張一宮とも呼ばれている。かつては真清田神社の門前町として栄え、明治以降も紡績や繊維産業で賑わっていたが、近年は織物、紡績、繊維の工場の跡地が住宅や商業施設になっている。道路や鉄道の利便性が高いため、名古屋市のベッドタウンとして人口を伸ばしており、2005年に尾西市と葉栗郡木曽川町を編入したことで、38万人を超える自治体となった。
総合大雄会病院は真清田神社から東へ300mに位置し、愛知県尾張地域で地域の人々の健康を守るという重要な役割を担い続けている。
救急医療、先進医療、予防医療を柱とする急性期医療を担い、地域の医療機関との連携に取り組む一方、地域中核災害支援センターの指定も受けるなど、地域における医療ネットワークの中核的な医療機関となっている。
今回は総合大雄会病院の今井秀院長にお話を伺った。
今井 秀 院長 プロフィール
1957年に岐阜県大垣市で生まれる。1982年に岐阜大学を卒業後、岐阜大学脳神経外科教室に入局し、岐阜大学医学部附属病院で研修を行う。その後、岐阜大学医学部附属病院、関連病院での勤務を経て、1996年に総合大雄会病院に脳神経外科部長として着任する。
1997年に総合大雄会病院に脳卒中センターを設立する。2011年に総合大雄会病院副院長に就任する。2012年に総合大雄会病院筆頭副院長に就任する。2015年に総合大雄会病院院長に就任する。
日本脳神経外科学会専門医・指導医、日本脳卒中学会専門医、日本脳神経外科コングレスなど。日本脳卒中の外科学会にも所属する。
病院の沿革
総合大雄会病院の歴史は古く、間もなく開設100年を迎えようとしている。1924年9月に初代院長である伊藤郡二先生が岩田医院を開設したのがその始まりだ。1929年には国産第一号のレントゲンである「比叡号」を全国で最初に導入したという。
「初代院長は医療を通じて、地域に貢献したいという志を持っていたそうです。岩田医院は内科が専門で、薬局には初代院長と結婚したばかりの夫人がいました。
初代院長は四日市からの結核の患者さんには東京にまで新薬を買いに行ったそうで、神仏のように感謝されたという記録があります。」
戦後の1947年には伊藤放射線科医院を改称し、1952年にコバルト治療の研究を開始する。1953年にレントゲン深部治療室を作り、1956年にはコバルトを設置して、悪性新生物の治療に威力を発揮する。
「初代院長は愛知県立医学専門学校の出身なのですが、病院勤務時代にがんや結核の患者さんに接した経験から、レントゲンなどの最新医学に傾倒していったようです。」
1968年には病床数200床の伊藤放射線病院と改称し、1974年には総合大雄会病院とさらに改称する。「総合病院」の名称使用の許可を受けたのは愛知県の民間病院で初めてのことであった。
1985年に総合大雄会病院を改修し、病床数は322床に増える。そして、1992年にMRIを導入する。これは国内6番目という早さであった。
1997年に今井院長が着任し、脳卒中センターを設置する。
「岐阜大学脳神経外科の初代教授であった山田弘先生が1996年3月に退官し、総合大雄会病院に行くので、お前もついてこいと言われたのです。
一人でも多くの脳卒中の患者さんを救うのだとの熱い思いの退官教授についてきたという状況ですね。とにかく、やりましょうという感じでした。
当時の脳卒中治療は今もそういう傾向がなきにしもあらずですが、脳出血のような外科的な対象になる疾患は脳神経外科、脳梗塞などの保存的に診るものは内科の医師が診ていました。
その頃は当院に神経内科がなかったので、脳神経外科で全ての脳卒中患者さんを診ようということになったんです。1997年に脳卒中センターを立ち上げました。
しかし、常勤医師4人ではフルカバーできませんから、夜間は大学病院の脳神経外科のスタッフにも来てもらい、フルカバーしていきました。多いときは80床を診ていて、大変でしたね。内科の先生方は喜んでいましたよ(笑)。
今でも内科の先生には『脳卒中は診なくていいんですか』と言われますね。」
2002年には核医学センターを開設し、PETを稼働させる。2005年にはPET-CTの稼働も始まる。
2007年に大雄会ルーセントクリニックを開設する。これは名古屋駅から徒歩5分のルーセントタワーに入居するクリニックであり、総合大雄会病院のサテライトクリニックになっている。
「ルーセントクリニックはサテライト的なものを作っていこうという理事長の強い思いから実現しました。
反対意見も出ましたよ。名古屋市内の他施設で二次検査を受ける方が多いのではないか、大名古屋ビルヂングなど多くのビルの建て替えが計画されており、そちらに競合が入り競争が厳しくなるのではないかといったことですね。
しかし、病院の基本方針にも掲げる予防医療の一環でもあり、健診のニーズも高いと判断し、開設となりました。
ルーセントタワー自体は名古屋駅から少し離れていますが、スタッフの質が評価されるなど、競合が乱立する中でもご支持をいただいています。」
2007年に災害拠点病院、2010年に救命救急センター三次指定地域中核災害医療センター、2011年に地域医療支援病院の指定を相次いで受ける。これらの指定により、総合大雄会病院は地域住民からの信頼を確固なものとした。
2016年にはミャンマーにクリニックを開設し、診療を開始する。
「これも理事長の熱い思いに尽きますね。医師1人、看護師2人という体制です。
私どもの使命である『人類を救う』にも通じるわけですが、ミャンマーには、1998年から少し古くなったけれども、十分に使用可能な医療機器を寄付したり、人材交流を行うことで、ミャンマー医療の向上に少なからず寄与してまいりました。
そうしたご縁もあり、日本の企業の進出が増加する中で、まずは当地の日本人のお役に立てたらというところで診療を開始したわけですが、日本人の方々には『日本人のスタッフでやってくれていて、非常に有り難い』と喜ばれています。
しかし、日本人の滞在者はご家族を入れても3000人ほどと少ないんです。しかも若くて、元気な人が多いので、受診率が非常に低く、採算性は厳しいです。
ただ企業誘致も進んでいますし、少なくとも5、6年先を見据えると、非常にニーズはあると思っています。」
一宮市はこれから先も人口増加が見込まれており、総合大雄会病院は地域の中核病院としての存在感をますます高めていくだろう。