プロフィール
高砂市民病院(兵庫県高砂市)
兵庫県高砂市は播磨灘沿岸地域に工場が林立する工業都市である。水が豊富であり、かつ海岸が埋め立てに適した遠浅の地形であったことから、工場の立地が相次ぎ、播磨臨海工業地帯の中核の一つとなっている。一方で、神社も多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られている。日本の結婚披露宴などで謡われる「高砂」の縁となった、美しい松林と砂浜も残っている街でもある。
高砂市民病院は市内唯一の公立病院であり、内科系、外科系の21診療科を有し、1965年の開院以来、地域における基幹病院として、地域に貢献している。内科は糖尿病、腎臓、消化器の専門性を持つと同時に、総合内科として、幅広く診療を行う。特に透析治療は1969年からの歴史がある。多くの透析症例に対応しており、総合透析センター病院としての役割を果たしている。外科では消化器外科と呼吸器外科を二つの柱とし、さらに乳腺外科、血管外科などの診療も行う。2014年には気胸センターを開設し、全国的にも有数の気胸手術を行っている。
今月は高砂市民病院の永田正男院長にお話を伺った。
永田正男 高砂市民病院院長 プロフィール
1957年に生まれる。1982年に神戸大学を卒業後、神戸大学医学部附属病院第二内科で研修を行う。1985年に神戸大学大学院医学研究科第二内科に入学し、1989年に修了する。1989年にカルガリー大学医学部に研究員として留学する。1993年に神戸大学医学部附属病院第二内科医員、非常勤講師となる。1997年に神戸大学医学部附属病院老年科助手、1998年に神戸大学医学部附属病院老年科講師を経て、2000年に神戸大学医学部附属病院老年医学講座助教授に就任する。2007年に神戸大学大学院医学系研究科内科学講座老年内科学分野准教授に就任する。2009年に神戸大学医学部附属病院老年内科診療部長を兼任する。2010年に加古川市民病院副院長に就任する。2011年に独立行政法人加古川市民病院機構加古川西市民病院副院長に就任する。2015年に高砂市民病院に院長として着任する。
日本内科学会認定医・総合内科専門医・指導医、日本糖尿病学会専門医・指導医、日本老年医学会専門医・指導医。日本内科学会評議員(地方会)、日本糖尿病学会評議員、日本老年病医学会代議員など。 専門は1型糖尿病、高齢者糖尿病など。
病院の沿革
- 1965年1月
- 荒井病院、国保高砂病院を統合し、開院する。
内科、外科、小児科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、整形外科、放射線科(8診療科)、病床数159床。初代院長に石川善衛氏が就任する。 - 1965年7月
- 病床数260床に増床する。
- 1965年8月
- 皮膚科、神経科を新設する。(10診療科)
- 1966年10月
- 麻酔科を新設する。(11診療科)
- 1967年1月
- 理学診療科を新設する。(12診療科)
- 1968年1月
- 新生児センターを開設する。
- 1969年4月
- 人工透析室(腎センター)を開設する。
「当院の特徴として、後藤名誉院長が透析センターを立ち上げたのが大きいかと思います。当院の内科は神戸大学第二内科出身の先生方が多いのですが、そこがもともと消化器と糖尿病と腎臓をやっているところだったのです。その関係もあり、兵庫県下では大学病院以外では最初に血液透析が導入されました。当院の血液浄化センターはその意味でも非常に歴史があり、現在も兵庫県下で有数の血液浄化センターです。当院の内科には透析診療ができる腎臓専門医の医師が多いですし、もともとの母体の医局が消化器や糖尿病もやっていたということで、多くの医師が複数の専門医資格を併せ持ちながら総合診療をしているというのが当院の特徴です。」
- 1972年4月
- 第2代院長に藤田嘉一氏が就任する。
- 1976年4月
- 第3代院長に友松達弥氏が就任する。
- 1979年4月
- 第4代院長に麻田栄氏が就任する。
- 1984年10月
- 新市民病院建設計画を発表する。
- 1986年2月
- 新市民病院建設候補地を決定する。
- 1987年3月
- 建設用地買収を完了する。
- 1988年3月
- 新市民病院建設工事を着工する。
- 1989年4月
- 第5代院長に後藤武男氏が就任する。
- 1990年2月
- 新市民病院建設工事が竣工する。
- 1990年5月
- 新市民病院が開院する。
脳神経外科、泌尿器科を新設し(14診療科)、病床数が350床となる。 - 1998年10月
- 第6代院長に老籾宗忠氏が就任する。
- 2001年4月
- 立体駐車場が完成する。
- 2002年10月
- 循環器内科、消化器内科を新設する。(16診療科)
- 2003年3月
- 放射線科診療棟を増築する。
- 2004年4月
- 第7代院長に玉田文彦氏が就任する。
- 2006年2月
- 財団法人日本医療機能評価機構による病院機能評価の認定を受ける。
- 2006年4月
- 形成外科を新設する。(17診療科)
- 2007年6月
- 第8代院長に大野徹氏が就任する。
- 2008年5月
- 病床数を290床に減床する。
- 2008年11月
- 第1回高砂市民病院健康まつりを開催する。
- 2008年11月
- 第5代院長後藤武男氏が瑞宝小綬章を受章する。
- 2009年4月
- 入院医療費計算方式「DPC方式」を導入する。
- 2010年4月
- 呼吸器外科を新設する。(18診療科)
- 2013年7月
- 緩和ケア病棟を開設する。
- 2013年7月
- 緩和ケア内科を新設する。(19診療科)
- 2015年4月
- 第9代院長に永田正男氏が就任する。
- 2016年4月
- 地域包括ケア病棟を開設する。
- 2016年7月
- 乳腺外科・胸部外科を新設する。(21診療科)
- 2017年9月
- 地域医療支援病院に承認される。
永田院長に高砂市民病院に着任した当時のお話を伺ってみた。
「私は神戸大学出身で、卒業後も神戸大学医学部で16年間スタッフとして働き、途中の3年半はカナダに留学していました。研究職が長く、老年内科では准教授まで務めましたが、老年学はなかなか世間に認めていただけず、全国でも老年内科の教室が減少し、神戸大学においても老年内科を閉鎖することになったので、それをきっかけに神戸大学をあとにしました。最初に着任したのが加古川市民病院で、副院長として着任しました。当時の加古川市民病院は内科医が私を入れて2人だけで、内科は閉鎖に近い状況でした。しかし、その年の春には内科医が5人に増え、神鋼加古川病院とも統合したので、現在では非常に立派な加古川中央市民病院となっています。そこに5年ほどいましたが、今から3年前に神戸大学から「高砂市民病院の内科が困っているから、院長として行かないか。」という話がありました。その後、神戸大学の教授会に推薦していただき、院長として着任しました。当時の高砂市民病院の内科は大学とのコンタクトが薄くなっていて、内科医の人数はそれなりにいても人事交流ができない状況にあったので、大学と病院との橋渡しをしようということで来ました。私自身の専門は糖尿病と老年医学ですから、ジェネラルなことにプラスして、生活習慣病に関わることもやっていますし、少し特殊ですが、1型糖尿病のインスリンポンプのような先進的な治療などもしていました。神戸大学の糖尿病・内分泌内科から常勤医師が1人、非常勤医師が2人来てくれるようになり、少しずつ医師が増えてきたところです。多くの医師が神戸大学出身ですが、整形外科、麻酔科、脳神経外科は岡山大学から来ていただいていますので、本当に助かっています。麻酔科は常勤医がいますので、大きなメリットですね。」