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「これまでも、これからも地域に根ざした医療を」
市立大町総合病院

プロフィール

市立大町総合病院

市立大町総合病院(長野県 大町市)

 長野県大町市は立山黒部アルペンルートの長野県側の玄関口であり、かつては「世紀の大事業」と呼ばれた黒部ダムの建設を支えた街である。市の西部には標高3000メートルを超える北アルプスが連なり、山岳観光ルートを訪れる観光客の宿泊地として賑わいを見せている。また、大町市は山村留学の発祥地でもあり、日本初の登山ガイド組織である大町登山案内者組合は登山文化を発信してきた歴史を持っている。
 市立大町総合病院は1927年に開設された。現在は12診療科を揃え、地域包括ケア病床48床を含む一般病床212床、療養病床62床、感染症病床4床を有する。災害拠点病院、長野県災害派遣医療チーム(長野県DMAT)指定病院である一方で、基幹型、協力型での臨床研修病院でもあり、研修医教育にも力を入れている。
 今回は市立大町総合病院の井上善博病院事業管理者兼院長にお話を伺った。


井上 善博 病院事業管理者兼院長

井上 善博 病院事業管理者兼院長 プロフィール

1955年に兵庫県姫路市で生まれる。1981年に信州大学を卒業後、信州大学泌尿器科に入局し、信州大学医学部附属病院で勤務する。1983年に自治医科大学消化器外科にレジデントとして勤務する。1984年に信州大学医学部附属病院に勤務する。1985年に国立松本病院(現 まつもと医療センター松本病院)に勤務を経て、1987年に信州大学医学部附属病院に勤務する。1989年に市立大町総合病院に勤務する。1990年に小諸厚生総合病院(現 浅間南麓こもろ医療センター)に勤務する。1996年に市立大町総合病院泌尿器科に医員として着任する。2009年に市立大町総合病院診療部長、2011年に市立大町総合病院副院長を経て、2012年に市立大町総合病院院長に就任する。2014年に大町市病院事業管理者を兼任する。

日本泌尿器科学会専門医・指導医、日本性感染症学会認定医、ICD、信州大学医学部臨床教授など。日本泌尿器科医会、日本老年泌尿器科学会にも所属する

病院の沿革


 

1927年9月
大町町長が開設者となり、大町町営病院を一般病床70床で新築
1928年6月
産婦人科の診療開始
1948年5月
眼科の診療開始
1950年4月
平村診療所の診療を受託し、大町病院附属平診療所とする
1951年4月
小児科の診療開始
1954年7月
市制施行により、市立大町病院となる(一般140床)
1956年4月
法に基づく企業会計方式を採用
1958年1月
北安中央伝染病院の診療を受託
1959年2月
一般病床111床、結核病床24床に変更
1961年6月
増床許可(一般122床、結核24床)
1966年7月
整形外科の診療開始
1969年7月
救急病院に指定
1969年11月
増床許可(一般156床、結核24床)
1971年1月
1泊2日の人間ドック開始
1971年7月
新病院建設工事竣工
1971年9月
新病院に移転し、診療開始
1972年6月
総合病院と称することが承認される
1973年10月
結核病床を閉鎖(一般180床)
1978年5月
院内特殊学級を設置(後の院内学級)
1978年7月
皮膚科、泌尿器科の診療開始
1979年9月
東診療棟増設工事竣工
1979年10月
人工透析診療を開始
1980年4月
脳神経外科の診療を開始
1982年9月
増床許可(一般240床)
1982年12月
整形・リハビリテーション棟増設新築工事竣工
1985年4月
麻酔医常勤化
1986年4月
医事システムを大幅変更し、1患者1カルテファイル方式採用
1987年11月
開設60周年記念行事、医学展、歴史展、講演会などを開催
1990年9月
形成外科の診療を開始
1992年1月
大町市在宅介護支援センター併設
1993年3月
大北広域伝染病舎移転併設(6床)
1993年3月
大町市老人訪問看護ステーション併設
1993年8月
大町市母子通園訓練所「あゆみ園」移転併設
1994年12月
東病棟増築工事竣工
1995年5月
西病棟改築工事竣工(3階~5階)
1995年9月
外来診療棟管理部棟改築工事竣工(1階~2階)
1995年9月
再来自動受付開始
1995年12月
外来食堂、医局、院内学級などを改築
1996年4月
健康管理室設置
1997年1月
地域災害医療センター(災害拠点病院)指定
1997年3月
北アルプス広域連合老人保健施設「虹の家」併設
1998年2月
長野オリンピック冬季競技大会及び長野パラリンピック協力病院
1999年4月
第二種感染症指定医療機関に指定
2001年4月
一般病床を280床に増床
2001年10月
院外処方始める
2004年5月
脳ドック、骨ドックを開設
2004年9月
第1回地域医療連携「談話会」を開催
2004年10月
新潟県中越地震発生し、医療班派遣準備
2005年2月~3月
「2005スペシャルオリンピックス冬季世界大会・長野」白馬・スノーハープ会場に医療スタッフ派遣
2005年3月
附属平診療所閉院
2005年4月
地域医療連携室を開設
2005年6月
院内全面禁煙
2005年7月
病院ボランティア制度発足
2005年9月
波田総合病院と災害時の相互患者受け入れ協定を結ぶ
2006年1月
市村合併により、「国民健康保険八坂診療所」と「国民健康保険美麻診療所」が大町市の医療機関となる
2006年6月
一般病床50床を療養病床に転換
2006年6月
県から「おいしい空気の施設」に認定
2006年6月
長野市民病院と広域災害発生時における相互医療協力に関する協定を結ぶ
2007年3月
病院機能評価(Ver 5.0)認定
2007年4月
地方公営企業法全部適用
2008年12月
産婦人科病棟に「プチ個室」開設
2008年1月
医師研究資金貸与制度創設
2008年4月
健康管理室を「健診センター」に名称変更し、特定健診・特定保健指導開始
2009年1月
DMAT(災害派遣医療チーム)を配備
2009年2月
亜急性期病床20床開設
2009年3月
市立大町総合病院改革プラン策定
2009年4月
DPC(診断群分類別包括評価制度)適用、総合診療の診療開始
2009年6月
助産師外来開設
2009年9~12月
病院地域談話会開催(計8回開催・参加者総数416人)
2009年12月
オーダリングシステム導入
2010年8月
禁煙外来開設(敷地内禁煙)
2010年10月
出前講座開始
2010年10~11月
病院地域談話会開催(計5回開催・参加者総数346人)
2011年3月
東日本大震災発生 DMAT(3/11~14)と医療救護班第1隊(3/15~19)、第2隊(3/26~29)を派遣
2011年5月
第1回病院祭を開催
2011年8月
一般病棟入院基本料7対1施設基準取得
2011年11月
西病棟耐震改修工事着工
2012年2月
病院附属託児所「きらり」を開設
2012年4月
病院機能評価(Ver 6.0)認定
2012年5月
第2回病院祭を開催
2012年5月
簡易脳ドックを開始
2012年12月
電子カルテシステム導入
2013年3月
信州メディカルネット参加
2013年3月
医師住宅3棟完成
2013年4月
入院患者に対する周術期口腔ケアの充実を図るため、歯科口腔外科を設置
2013年5月
第3回病院祭を開催
2014年4月
発達支援室を設置
2014年5月
第4回病院祭を開催
2014年9月
御岳山噴火災害発生 DMAT2チーム(27日~28日、28日~29日)を派遣
2015年3~10月
産婦人科医不足により、分娩休止
2015年5月
第5回病院祭を開催
2015年6月
職員宿舎完成(2階建 10戸)
2015年7月
南棟「さくら」竣工(健診センター・内視鏡室を移設、レストラン新規オープン)
2016年1月
高気圧酸素治療を開始
2016年1月
地域包括ケア病棟を開設(48床)
2016年5月
第6回病院祭を開催
2016年7月
訪問診療を開始
2017年3月
市立大町総合病院新改革プラン策定
2017年5月
病院機能評価(3rdG:Ver 1.1)認定
2017年6月
第7回病院祭を開催

 市立大町総合病院の前身は1927年に開設された大町町営病院である。

 「全国的にかどうかは分かりませんが、明治の頃はこの辺りではコレラが流行っていました。大正13年頃になると腸チフスが蔓延していたそうです。それで病院が欲しい、病院を建てたいという要望があったらしいんですが、東京電力が発電所工事をこのあたりで行い、資金を寄付してくれたらしいです。その資金を元手にして病院を作ったと聞いています。長くその場所で運営していましたが、建物の老朽化が進んだので、1971年にこの場所に移転してきました。」

 井上院長が着任したのは1996年のことである。

 「その前にいた小諸厚生総合病院と比べると、市立大町総合病院は病院の動き全体がゆったりしている雰囲気でしたね。第一印象はのんびりしているというものです。私は大学時代はワンダーフォーゲルをしていて、山が好きでしたので、病院の背景に山があるというところに良い印象を持ちました。」

 井上院長が着任以来、印象に残っていることについて、伺った。

 「自分でやったことで一番印象に残っているのは電子カルテの導入でしょうか。最初はオーダリングシステムを導入して、その後、何年か経ってから電子カルテを導入したのですが、かなり大変でした。しかし、導入後は医療情報とか、そのほかの色々な情報を入手しやすくなったので、楽になった部分もあります。画像診断では大学とのネットワークを作ってフィルムレスにもなりましたので、その意味では近代化しました。どちらの病院でもそうでしょうが、当院も電子カルテの導入で大きく変わったと思います。」

2018.05.01 掲載 (C)LinkStaff

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