プロフィール
釧路孝仁会記念病院(北海道 釧路市)
北海道釧路市は道東の政治経済の中心地であり、道東最大の人口を擁している。釧路港は国際バルク戦略港湾に選定されており、製紙工場や食料品工場、医薬品製造工場、発電所などが建ち並ぶ臨海工業都市である。一方で、釧路湿原国立公園や阿寒摩周国立公園といった2つの国立公園が市内にあるなど、雄大な自然を楽しめる街でもある。
釧路孝仁会記念病院は釧路脳神経外科病院、星が浦病院、新くしろ病院の脳神経外科、心臓血管外科、消化器外科などを集約することにより、高度な急性期医療の提供を目的とするために2007年に開設された病院である。道東ドクターヘリの基幹連携病院になっており、地上へリポート、ヘリ格納庫、給油施設を設置しているなど、地域に根ざした救急医療に力を入れている。
今月は釧路孝仁会記念病院の齋藤孝次理事長にお話を伺った。
齋藤 孝次 理事長 プロフィール
1948年に生まれる。1972年に札幌医科大学を卒業後、札幌医科大学脳神経外科学講座に入局する。1982年に市立札幌病院、1989年に市立釧路総合病院勤務を経て、1989年12月に釧路脳神経外科病院を開設する。1991年に医療法人孝仁会理事長に就任する。2006年に徳島大学医学部臨床教授に就任する。2007年に札幌医科大学医学部 臨床教授に就任する。社会福祉法人釧路悠和会理事長に就任する。2009年に社会医療法人孝仁会理事長に就任し、藤田保健衛生大学医学部客員教授を兼任する。2013年に社会福祉法人孝仁会理事長に就任する。医療法人札幌第一病院理事長を兼任する。2017年に医療法人礼風会理事長に就任する。
日本脳神経外科学会脳神経外科専門医・指導医、麻酔科標榜医、日本脳卒中学会認定脳卒中専門医、日本脊髄外科学会認定医、日本人間ドック学会認定医、日本リハビリテーション医学会認定臨床医など。
日本病院脳神経外科協会理事、日本臨床医療福祉協議会理事、日本航空医療学会評議員、日本脳ドック学会評議員、北海道脳PET・SPECT研究会世話人など。
法人の沿革
- 1989年
- 釧路脳神経外科病院開設
- 1993年
- 遠隔地画像伝送ネットワーク開始(釧路支庁、根室支庁管内の市町村病院とのCT画像ネットワークシステム)
- 1996年
- 星が浦病院開設 … 免震構造建築(日本初)、フィルムレス院内ネットワーク
訪問看護ステーションはまなす開設 - 1999年
- 老人保健施設星が浦開設
在宅介護支援センターはまなす開設
釧路脳神経外科病院フィルムレス院内ネットワーク開始
星が浦ケアプラン企画センター開設 - 2000年
- グループホームはまなすの家星が浦開設
中標津脳神経外科開設 - 2002年
- 星が浦病院心臓血管外科開設
- 2004年
- 新くしろ病院開設
ヘルパーステーションはまなす開設 - 2005年
- 芦野ケアプラン企画センター開設
- 2006年
- 根室脳神経外科開設
鶴ヶ岱ケアプラン企画センター開設
釧路訪問リハビリセンター開設
釧路東部北地域包括支援センター開設
留萌セントラルクリニック開設
留萌訪問看護ステーションサンタ開設
留萌居宅介護支援事業所サンタ開設
根室脳神経外科デイサービスセンター開設 - 2007年
- 根室脳神経外科居宅介護支援事業所開設
釧路孝仁会記念病院開設 … 釧路脳神経外科病院から釧路脳神経外科へ改名、新くしろ病院から新くしろクリニックへ改名 - 2008年
- 釧路脳神経外科デイケアセンター開設
介護付有料老人ホームはまなす芦野館開設
介護付有料老人ホームはまなす睦館開設 - 2009年
- 社会医療法人に組織変更
道東ドクターヘリ運航開始
グループホームノエル開設 - 2011年
- 五輪橋産科婦人科小児科病院開設
- 2012年
- 知床らうす国民健康保険診療所 指定管理者
- 2013年
- 釧路孝仁会看護専門学校開校
愛国ケアプラン企画センター開設
ケアスタジオ住吉開設
訪問看護ステーション根室開設
グループホーム根室開設 - 2014年
- 社会医療法人碩心会と合併
医療法人札幌第一病院と合併 - 2015年
- 札幌西孝仁会クリニック開設
- 2016年
- グループホームもみの木開設
北海道大野記念病院開設 - 2017年
- 羅臼町地域包括支援センター開設
- 2018年
- 中標津訪問リハビリセンター開設
留萌セントラルクリニック訪問リハビリテーション開設
釧路孝仁会記念病院の前身である釧路脳神経外科病院が開設されたのは1989年のことである。
「当時、北海道の大都市のあちこちに脳卒中を診る脳神経外科の専門病院ができていましたが、釧路市、帯広市、北見市はどうしても病床数が少なく、脳卒中を診る診療科が足りない状況でした。私はその頃、小樽の方の病院に勤務していたのですが、私の目指す医療が法人の方向性と少し違うところがあり、自分の思う医療を行うためには自分で開業した方がいいかなと考え、釧路で開業したのです。」
釧路脳神経外科病院は釧路に当時の最先端の設備をそなえた病院を新築するところから始まった。
「一人で釧路に来て、120床ぐらいの病院を新築したわけですが、人も全くいない中で始めました。始める前に市立釧路総合病院の脳神経外科に半年ほど勤務させていただきましたが、開業するにあたって、市立釧路総合病院の脳神経外科などに勤務していた看護師さんが何人も来てくれることになったんです。市立病院とすれば職員が引き抜かれるということで、反対意見も多かったのですが、当時の伊藤院長が『行きたいと言う人がいれば行ってもいいから、頑張れよ』と応援してくださって、非常に心強かったですね。」
釧路脳神経外科病院は順調に発展していった。
「釧路市の東側、根室方面の国道からアクセスしやすい場所に設置しました。この立地条件は良かったですね。脳卒中を診る病院が少なかったこともあり、お蔭様で地域の皆様から大きな歓迎をされ、順調に運営してきました。そのうちにベッドが足りなくなって、西側にも脳神経外科の病院を作ろうということで、1996年に星が浦病院を開設したんです。」
これで釧路市内の東西に脳神経外科の病院ができ、病床数のバランスが取れた。そして、孝仁会は周辺の病院を統合し、大きなグループになっていった。
「釧路にあった道立の病院が経営難から閉院することになりました。しかし、道立病院の心臓血管外科や循環器内科の歴史は長く、患者さんも多かったのです。当時の市立釧路総合病院には心臓血管外科があったために、道立病院の心臓血管外科と循環器内科の行き先がなく、困っていたのを受け、2002年に星が浦病院に心臓血管外科と循環器内科を開設し、道立病院の院長と4人の心臓血管外科の先生方、何人かの看護師さんに来ていただきました。これはもちろん札幌医科大学に承諾を得て、札幌医科大学の関連病院としてやっていくということで作った診療科です。」
2004年には新くしろ病院を開設する。
「消化器外科と消化器内科を中心にした道東病院という病院が釧路にあり、院長は私の後輩でした。まだ開院して間もない病院でしたが、院長が舌ガンに罹患し、予後がないため、後継者に困っていたのです。そのため、私どもで引き受け、新くしろ病院として開設しました。当時は釧路脳神経外科病院、星が浦病院、新くしろ病院と3つの病院があり、それぞれ外科系の診療科で手術をしていたので、統一した方がいいのではないかという考えのもとで2007年12月に釧路孝仁会記念病院を開設したのです。」
それぞれの病院は機能分化し、釧路脳神経外科病院は脳神経外科の外来専門クリニック、星が浦病院は回復期リハビリテーション病棟と外来、新くしろ病院は外来のクリニックに生まれ変わった。
「この形になって、ちょうど10年となります。今後は釧路市の人口は急速に減り、10年後には13万人を切ると予測されています。その中で、釧根地域の医療従事者を確保することは非常に困難です。そこで北海道の中心である札幌に基幹病院を作り、連携しながら医療従事者を確保していくことが将来のためになるだろうと考え、2016年10月に札幌市に北海道大野記念病院を開設しました。」
最新の診断治療機器を備え、患者さんにやさしい低侵襲な治療をモットーに、これからも孝仁会グループは地域医療の一層の発展に貢献していくだろう。