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プロフィール

長野中央病院

長野中央病院

 長野県長野市は長野県の県庁所在地で、全国の県庁所在地の中で最も高い標高に位置する県庁舎を持つ。善光寺の門前町として知られており、周辺の観光の拠点にもなっている。
 長野中央病院は長野医療生活協同組合の病院で、一般病床240床、ICU6床、HCU8床、回復期リハビリテーション病床56床、緩和ケア病床12床の計322床を有する。また、標榜科目も内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、糖尿病内分泌内科、腎臓内科、透析内科、放射線科、小児科、婦人科、麻酔科、外科、乳腺外科、肛門外科、呼吸器外科、整形外科、心臓血管外科、消化器外科、脳神経外科、皮膚科、耳鼻いんこう科、眼科、リハビリテーション科、救急科、リウマチ科と多彩であり、臨床研修指定病院にもなっている。
 今回は長野中央病院の番場誉院長にお話を伺った。


>番場 誉(ほまれ)院長

番場 誉(ほまれ) 院長 プロフィール

1966年に長野県中野市で生まれる。1990年に信州大学を卒業し、長野県民医連で初期研修、小児科研修ののち、神奈川県立こども医療センターで研修を行う。1993年に長野中央病院に小児科医員として勤務する。1997年に小児科医長に就任を経て、2006年に副院長兼小児科部長に就任する。2018年に長野中央病院院長に就任し、小児科部長を兼任する。
日本プライマリケア連合学会認定指導医。日本小児科学会、日本小児アレルギー学会、日本アレルギー学会、日本小児保健協会、日本新生児成育医学会、日本感染症学会(ICT)に所属。

病院の沿革

1977年
長野医療生活協同組合が医療法人厚生会と長野中央病院の土地・建物売買契約に調印する。
1977年
長野中央病院の医療活動を引き継ぐ。
1978年
長野中央病院の新病院の竣工式を行う。
1979年
新長野中央病院(87床)が診療を開始する。
1980年
リハビリ病棟を開設し、147床の全床を稼働する。
1984年
救急病院の指定を受ける。
1987年
増改築工事が竣工し、221床となる。
2000年
第7期増改築工事を着工し、242床となる。
2005年
第8期増改築工事を竣工し、292床となる。
2005年
病院機能評価認定を受ける。
2006年
マルチスライスCTを導入する。
2007年
増床し、302床となる。
2008年
産婦人科を開設する。
2013年
心臓病センターを開設する。
2013年
総合診療病棟を開設する。
2013年
長野県下初ハイブリット手術室を稼働。
2014年
広報誌「しなのき」を創刊する。
2014年
HCU(8床)を開設する。
2017年
産婦人科病棟を緩和ケア病棟に転換する。
2018年
卒後臨床研修評価機構(JCEP)による認定(4年)を受ける。

 1977年に長野医療生活協同組合が厚生会の長野中央病院を継承したのが長野中央病院の歴史の始まりである。

 「さらに前史があります。戦前の無産者診療所です。お金のない人を診るという、そういう診療所からスタートしているんですよ。昔の日本は到るところに無産者診療所運動が起き、下宿屋の一室などを借り、医師1人、事務1人、看護師1人で作ったような診療所を無産者診療所と言っていました。当院も長野県の無産者診療所の一つから始まっています。その後、長野県でも民主診療所を作りたいという運動が始まりました。長野医療生活協同組合は1966年10月に発足しましたが、それに先駆けて1961年8月に芙蓉荘という下宿屋の一角を借り、若干の改造をして、長野民主診療所を開設したのです。しかし当時は医師の待遇が悪かったこともあり、幾人もの医師が変わり、1973年5月に初めて常勤医師2人体制が実現されました。そこで病院化の話が出て、できたのが1976年に落成した長野協立病院です。開設後すぐに満床状態に。長野赤十字病院に次ぐ基幹病院として役割を果たしていた厚生会長野中央病院が老朽化等の理由から改築を検討しており、長野医療生活協同組合は厚生会に継承を打診。1979年長野医療生活協同組合長野中央病院が完成しました。」

2019.01.01 掲載 ©LinkStaff

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