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地域まるごと健康づくり
プロフィール
東葛病院
千葉県流山市は千葉県の北西部に位置し、かつては江戸川や利根運河の水運で栄え、幕末には新選組が本陣を置いた歴史で知られている。つくばエクスプレス開通後は人口が右肩上がりに増加し、現在は19万人を超え、千葉県下の市町村の中では最も高い増加率となっている。特に子育て世代の流入が多く、活気のある自治体である。
東葛病院は2016年につくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅前に新築移転を果たした。東京勤労者医療会が運営する病院で、一般病床330床、療養病床36床の計366床を有する。標榜科目は内科、循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、腎臓内科、糖尿病内科、神経内科、外科、整形外科、小児科、皮膚科、眼科、耳鼻いんこう科、泌尿器科、産婦人科、精神科、麻酔科、呼吸器外科、リハビリテーション科、放射線科、脳神経外科、救急科、病理診断科、臨床検査科となっており、人工透析、緩和ケア、HIV、総合診療科の診療も行っている。
今回は東葛病院の井上均院長にお話を伺った。
井上 均(ひとし)院長 プロフィール
1959年に宮崎県宮崎市で生まれる。1987年に熊本大学を卒業し、代々木病院で研修を行う。1993年に東葛病院に勤務する。2003年に代々木病院に副院長として着任する。2008年に代々木病院院長に就任する。2016年に東葛病院に院長として着任する。
日本プライマリ・ケア連合学会指導医、日本医師会認定産業医など。
病院の沿革
- 1982年
- 住民立の北医療グループの病院として、開業する
- 1983年
- 経営破綻するが、医療を継続する
- 1990年
- 全日本民主医療機関連合会に加盟し、再建を目指す
- 1992年
- 東京勤労者医療会と合同し、代々木病院から多くの職員が合流する
- 1993年
- 東葛看護専門学校を設立する
- 2011年
- 東日本大震災で大きな被害を受ける
- 2011年
- WHO推奨の国際的なネットワークであるNPH(健康増進活動拠点病院)に加盟する
- 2016年
- 現在地に新築移転を行う
東葛病院は1982年に開業したが、翌年に経営破綻してしまう。
「最初に開業した団体も民主的な医療を志していた団体なのですが、当初の構想と実際の状況に隔たりがあったようです。大学病院からの医師派遣を頼り、脳神経外科の病棟なども作ったのですが、経営状態の悪化から脳神経外科だけでなく、外科の医師も医局に引き上げました。医師が集まらないことで医療が成り立たず、経営も成り立たなくなっていきました。しかし、経営が破綻しても、旧東葛病院で働いていた職員や地域の方々によって、医療は継続していました。皆さんが力を合わせて再建に繋げていったのです。」
そこで、東京勤労者医療会に相談があり、全国の民医連の病院から支援が入ることになった。1990年に全日本民主医療機関連合会に加盟し、1992年に東京勤労者医療会と合同する。井上院長もこの頃に東葛病院に支援に入った一人だ。
「私は東京勤労者医療会の代々木病院に勤務していたのですが、東葛病院を支援する第一陣として、当院に来ました。まだ病棟が半分しか開いておらず、閉じた病棟から変な臭いがしたこともありました(笑)。しかし、支援は続き、第二陣も来て、看護師も増えました。支援の医師が増えるとともに、医療の内容も広げていきました。」
再建は順調に進み、1993年に東葛看護専門学校を設立したほか、1994年に野田南部診療所、2002年にあびこ診療所が開設される。また、代々木病院で初期研修医の受け入れを行っていたことから、東葛病院も初期研修医の受け入れを続け、毎年2人から4人の初期研修医の教育を行っている。
2011年にはNPHに加盟した。
「これはWHOが推奨する国際的なネットワークで、疾病の社会的要因を考え、チーム医療の中に組み込もうというものです。疾病の原因は自己責任ではなく、社会的要因があるというものです。お酒を飲んだくれている人も最初からそうしているわけではありません。きっかけは社会の中にあるのです。こうしたことを考える医療は遣り甲斐が持てますし、働き甲斐があります。」
流山市の人口増加を受け、東葛病院も患者数が増えていたが、2011年の東日本大震災により、被災する。
「老朽化していたことに加え、震災で建物にヒビが入ったり、屋上の貯水槽が壊れたりしました。災害時に地域に貢献できない病院ではいけないということで、以前から構想していた移転に踏み切ることになりました。」
新規移転先はつくばエクスプレスの流山セントラルパーク駅のほぼ正面、徒歩1分の場所である。旧東葛病院の場所には付属診療所が建てられた。
「つくばエクスプレスが開通する前のこのあたりは流山市総合運動公園しかなく、ここは森でした(笑)。流山セントラルパーク駅は流山おおたかの森駅や柏の葉キャンパス駅のように快速が停まらないこともあって、この土地をリーズナブルに取得できました。また近隣に競合する医療機関がないことも良かったです。ただ、震災後は建築資材不足や職人などの人手不足もあり、建築費が高騰して、思いの外、費用がかかりました。」
しかし、流山市は「母になるなら、流山市。」のポスターで知られるように、30代の人口増加率が高く、全国でも有数の数値となっていることから、東葛病院の外来患者数も右肩上がりを続けている。
「今の日本では珍しい人口流入地域です。当院の患者さんも外来、救急車ともに増えていますが、これからも地域のための総合病院でありたいと願っています。効率の良い医療ではなく、地域から求められる医療を追求していきたいですね。」