沿革
- 1949年
- 内科、整形外科の千手堂病院を開設する。
- 1954年
- 医療法人慶睦会を設立する
- 1972年
- 病院を増築し、岐阜県下初となる岐阜心臓血圧センターを開設する。
- 2002年
- 千手堂病院デイケアセンターを開設する。
- 2002年
- 千手堂病院居宅介護支援事業所を開設する。
- 2013年
- 初音俊樹現院長が循環器専門医として着任する。
- 2014年
- 心臓大血管リハビリテーションを開始する。
- 2014年
- 在宅療養支援病院の届出を行う。
- 2017年
- 初音俊樹医師が院長に就任する。
- 2019年
- 電子カルテを導入する。
- 2020年
- 10床を地域包括ケア病床に機能転換し、地域包括ケア病床10床、療養病床40床の計50床へ病床変更する。
千手堂病院は1949年に岐阜市で開設された。
「昔のことはよく分からないのですが、母方の祖父が兄弟で千手堂医院を立ち上げたと聞いています。1954年に法人化したときに病院になったようですね。その後は父が心臓外科医だったこともあり、1972年に岐阜心臓血圧センターを開設したのですが、これは岐阜県下初めてとなる心臓の専門施設でした。」
しかし、1990年代になると高齢化が進み、患者さんのニーズも外科から内科に移る。
「この規模で急性期医療を行うことが難しくなったので、療養型病床に切り替えました。2000年代にはデイケアセンターや居宅介護支援事業所なども開設しました。」
初音院長が実家である千手堂病院に入職したのは2013年のことである。初音院長は心臓血管外科医として、急性期病院でキャリアを積んできた。
「私は急性期病院での勤務が長かったこともあり、当院のどんよりした雰囲気を寂しく感じました。廊下を歩いている患者さんがほとんどおらず、人工呼吸器がついていたり、胃瘻の患者さんのような重症度の高い患者さんが多かったんですね。そこで、院内を活動度の高い雰囲気にして、元気になって自宅に帰れる人を増やしていこうと考えました。今では長期療養には意味があることを理解していますし、当院もそうした医療を継続していますが、当時は医療制度に不勉強でしたし、単純に『廊下を歩いている患者さんを増やそう』という思いでしたね。そして、これから先の生き残りのためには療養病床だけでは心もとないですし、より幅広く地域に貢献しなくてはいけません。それが地域包括ケア病床の開設に繋がっていきました。」
千手堂病院は2020年に病棟再編を行い、地域包括ケア病床10床、療養病床40床の計50床の病院になった。
(2021年4月~地域包括ケア病床15床、療養病床35床で運営)
「少子高齢化、生産年齢人口の減少、医療費を含む社会保障費の増大が進む中で、持続可能な社会補償制度の確率が急がれています。医療や介護の面では2025年を目処に地域包括ケアシステムの確立が進められています。これはこれまでの医師主導、病院完結型、『治す』治療から多職種による地域完結型、『治し支える』医療へと変えていきましょうということです。岐阜医療圏は一般病床、療養病床は病床過剰とされています。その中で当院が存続するためには自院の強みを見極め、地域の中での役割や立ち位置を確立する必要があると考えています。」