「毎日歩く道でも、時々面白いものを発見する。最近こだわっているのは、通勤途中の道に落ちている2cm×6cmほどのブルーの平たい物体についてである。この物体に気付いたのが3ヶ月ほど前だから、かなり長くそこに居座っていて、私の興味を引いていることが分るだろう」と、前回書いた。
記憶というのは曖昧なもので、「車道と歩道を分ける白い線の上に、その物体はあった」と言ったが、実際に確かめてみると、道路の端と白い線の真中にあった。これでは、「勘違いをした」と言い訳をする政治家の悪口を言えないと思った。大変申し訳ない。こんな風だと「証言台」には立てそうもない。
さて、読者は驚かれるかもしれないが、その「物体」が、実はなくなってしまった。あれほど、そこに頑固に存在し続けたものが、あっけなく消えてしまったのだ。
私の家を出て、一つ目の十字路を越え、二つ目の十字路を左に曲がって少し行ったところの右側に、大きなお屋敷がある。白塗りの塀で中は見えなかったが、運転手付きのベンツや私服警官の乗った黒い車が張り付いていたから、イワク付きの大金持ちの家と知られた。
ある日、そのお屋敷が取り壊されるらしく、解体屋の二台のトラックが「その物体」の上に停車していた。私が白線を見ながら歩いていると、そのトラックが邪魔になって、いつものブルーの平たい物体を確認できなかった。次の日からは、一つ目の十字路もその右側のマンション工事のために「通行禁止」になってしまった。私は仕方なく、最初の十字路を左に曲がり、環七に突き当たって右に進むコースを取った。
こうして数日が過ぎると、例のお屋敷はきれいに解体されて、整地された奥に作られた庭に咲く、見事な紅白の梅の姿を道行く人に見せてくれた。裸になったお屋敷は、なんてことない空き地になっていた。歩きながらその梅から、白線の上に目をやると、「その物体」は跡形もなく消えていた。停まっていたトラックのタイヤにくっついていったか、業者が土や解体した木材の破片と一緒に掃き清めたゴミの中に紛れて行ったかは分らない。なくなったという「事実」だけが残ったのだ。
あれだけ、未来永劫変わることなく存在し続けるだろうと思っていたのに、道路と一体になって、大地震でも起きなければ剥がれることなどないと思っていたのに、正直いってショックだった。しかし、全ては変化しつづけることが真理なのだと悟った。そして、うつろはないのは、脳に定着した「記憶」だけなのだと分った。
痴呆老人が持つ確かな実存は、その記憶の中に閉じ込められているのだろうか。そのうち、私もうつろうことを止めて、定着した記憶の中に住めるようになるのかもしれない。 |