(前回より続く)そこで、我々が取った行動は、それなら、病院の中に入っていって、病院のスタッフに在宅医療とはどんなものかを理解してもらえばいい、彼ら彼女らを教育しよう、ということだっ
た。とりあえず、私のそれまで培った豊富な人脈の中から、世田谷における在宅医療を発展させる原動力となって下さるだろう方々に集まっていただき、1996年4月に「在宅医療研究会」を発足させることにした。それからの数年間、この会が果たした役割は大きく、その波は単に世田谷にとどまらず、全国に波及していく。
この在宅医療研究会は、今まで十回を数えているが、最初から開催場所は病院の会議室や講堂をお借りして開くことにした。というのも、院外の場所で開いても病院のスタッフは日常業務に忙しくてなかなか出てきてくれない。中で開けば、何をやっているのだろうと興味を持って来てもらえるのではないか、そして少しでも在宅医療のシンパを増やせるのではないか、そんな思いだった。
さて、その演題を改めて見てみると、最初から実に多くの試みがなされていたのに驚く。第一回は公立学校共済関東中央病院で行い、「落差方式による腹水濾過濃縮再静注が有効であった糖尿病性腎症に合併した難治性腹水患者在宅療法の一例」「在宅人工呼吸療法へのサポート」などの話題が出ているし、第二回は都立荏原病院で行い、「新しい在宅経腸栄養管理法-経皮的内視鏡的胃瘻増設術(PEG)」の話題が出ている。「在宅死」についても初期から大切な課題として話し合われていた。中心静脈栄養、在宅酸素療法、在宅人工呼吸療法、腹膜透析、血液透析、在宅成分栄養経管栄養法、在宅エックス線撮影などは、通常は病院内でも高度の技術を持つ専門家が行う種類の医療であり、在宅医療でこれらを展開する場合には「ハイテク(high
technology)在宅医療」と呼ばれる。癌末期の麻薬を用いた鎮痛や、硬膜外麻酔などによる治療もこれに含まれるが、在宅医療を進めていく時に、患者さんにとってより良い在宅環境を、より良い医療を、と貪欲に望んでいく過程で、従来病院で行われていた多くのスキルが在宅医療で次第に可能になっていったのだ。従来の「往診」といった、病院医療への橋渡し的な急性期医療より、ずっとアカデミックで、医師の技量が問われる医療形態であり、そこに若手医師の参入する価値があったといえよう。
私は今、日本の在宅医療をリードしてこられた、ライフケアシステムズ代表で日本在宅医学会会長の佐藤 智先生、日本プライマリーケア医学会会長の小松 真先生、日本プライマリーケア医学会副会長の鈴木荘一先生、三人の先生方の後を引き受けて、日本における正しい在宅医療の系譜を途絶えさせないように、全国在宅医療推進連絡協議会の事務局長として働いている。今振り返ると激動の10年間だった。 |