ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2003年5月号 -国際疾病分類学会- backnumberへ
 私がヨット乗りだった話は以前にいくつかの医師向け雑誌に書いたことがある。従兄弟が阪大のボート部にいて、そのバンカラな面白さを吹聴していたから、医学部に入った時には是非ボート部へ入りたいと思っていた。しかし、ボート部からは誘いが無く、替わりにヨット部が勧誘に来た。その頃世田谷区医師会の重鎮であった吉川先生が「息子がヨット部の主将をしているので、是非入って欲しい」と、入学が決まった頃から父に勧誘をしていて、その勧めもあって入部を決めたという経緯があった。今、母校のボート部は廃部になってしまい、私がヨット部のOB会長として100名以上の同窓部員のお世話をしているのだから、人生、何が切っ掛けで先が開けるか分からないものだ。結局、このヨットが私の生涯スポーツになった。

ヨット競技は、単に力だけがあっても優れた競技者にはなれない。技術力、瞬発力、持久力は勿論大切だが、潮の流れ、波の形、海面を渡る風の流れとその強さ、方向。湾に流れ込む川の流れ、丘の切れ目から吹き込む海面とは違う風の流れ、10km先の煙突からの煙や空に棚引く雲の形、富士山の頂上にかかる雲の形、こうした観天望気、自然の中から発信される様々な情報を敏感に感知する能力が要求される。さらに、一艇一艇異なる船のコンディションや特性を知り、競技相手の心理までも読む。実に奥の深いスポーツなのである。一旦嵐になれば、自分と同乗者の命を守り、港まで帰り着く、あるいはその嵐が止むまで耐え抜く、強い精神力と勇気も必要だ。

最近の子供達は、家の中でファミコンをやって、脳を鍛えてはいるが、身体と脳のバランスが悪い。生活環境が戦前の日本とは比較にならないくらい格段に良くなったから、自分の肉体を使って自然と対話する機会を逸してしまっている。運動についても、整備されたグラウンドで、ある一定の筋活動をするだけになってしまった。これでは、心と身体のバランスが保てない。右脳も左脳も充分に使い、自然の中で総合的な人間の力を培うには、ヨット競技ほど素晴らしいものはない。ヨーロッパの王室では、王子、王女の教育にヨット競技が必修であり、ノルウェイ皇太子が東京オリンピックに出場したことは今でも有名な話になっている。日本は海岸線だらけの国なのだから、日本の子供たちをヨットに乗ることを通して教育することが、昨今のゆとり教育推進の中で大切だと思うのだが、なかなかそうはなっていないのがお寒い日本の教育事情だ。

表題にある『佐島ジュニアヨットクラブ』というのは、株式会社SB食品がスポーツ振興の一貫として行っていた「SBヨットクラブ」を前身として、平成5年に発足した自主運営による子供のためのヨットクラブのことである。SB食品は不況のためにこうした不採算部門を閉鎖したのだが、海とヨットを愛し子供たちにもその素晴しい世界を味合わせたい、と考えたその時の会員たちが発起人となって新しいクラブを立ち上げたのだ。ホームポートは佐島マリーナ。私はこのクラブの会長になって10年になる。ボランティアではあるが、和気藹々としたクラブの雰囲気は素晴らしく、子供たちとそのご両親たちと診療の合間に時々海に行って、本当のクラブライフを楽しんでいる。

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