ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2004年3月号 -ここ何週間かは入学シーズンに入ったようだ- backnumberへ
 ここ何週間かは入学シーズンに入ったようだ。

というより、入学前のいろいろな伝(つて)を探す時期といった方がいいかもしれない。入学試験が競争試験であることは明らかだ。優秀な学生を入れたいと思うのは、優秀でない学生をふるい落としたいということと表裏一体であろう。優秀、という言葉の中には、記憶力、読解力、語学力、問題解決能力、独創性、忍耐力、精神力、勇気、胆力、筋力、体力、人間力、および特定の技術力などが優れていることを含んでいると考えられる。具体的な例を挙げれば、オリンピック選手やノーベル賞、芥川賞や国民栄誉賞を貰う人々のことだ。しかし、全ての能力が優秀であることは少ないし、どの時点でその能力が解発されたかは個人によっておおいに異なるようだから、一律同じ年齢だからと、同じ試験を受けさせるのは間違っているかもしれない。ある人は16歳で、ある人は23歳で、ある人は40歳で、ある人は75歳で「他に秀でている」ことが立証されることも、また事実だからである。

アテネオリンピックの女子マラソン候補選手を誰にするか、でもめているようだが、これも同じ事だ。枠が決まっていて絞り込まなければならない。つらいところだ。

医学部の入学試験という特に高いレベルの競争試験では、一点差の中に数十人が入っていることも稀ではない。受験をするだけでもエリートである。私が早稲田中学に入学した時には、我が町では今迄一人しかこの中学に入学したことがなく、私で二人目だということで「我が町の秀才」ということで評判になった。しかし、中学に入学してみると、同級生は皆その地域の小学校で一番成績が良い学童だった。大学に入ると、早稲田高校からは医学部進学というのはまれで、良く入ったということになった。しかし、同級生はやはり皆その高校で一番優秀な生徒だった。中には、成績優秀なために学費免除になったものもいた。しかし、彼は早くに学生結婚をし、特に大学に貢献せずに普通の臨床医として普通に暮らしている。大学が期待していた人材にはならなかったのだから、大学側には見る目がなかったということだろう。大学内には優れた医学研究者はいても、「人材の目利きをするのに優れた人」が多い集団ではないから、そこに責任を押し付けても仕方がない。しかし、優秀でない、というのはかなりのところで分かるが、「あるレベル以上に優秀である」というのを、人はどうやって知るのだろう。あるいはどうやって選別したらいいのだろうか。

今、大学の教授連中は入学試験合格者のうち、誰を入れようかと頭を捻っているところだ。昔の日本では、ある社会的レベル以上の者しか進学は叶わなかったし、伝を頼って人品怪しからぬ学生たちを集めることが出来た。日頃からエリート同士の交流は盛んで、栴檀は双葉より芳し、などと子供の頃からその成長過程も含めて品定めが出来た。旧制高校に入れば、寮生活などで揉まれてさらに人間力がアップしたから、旧制高校生は大した入学試験なしに大学に入学出来た。

さてさて、どうなるか。私のところには、嬉しい知らせが入ったけれど。

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