ドクタープロフィール
ドクター神津
神津院長は昭和52年に日本大学医学部を卒業後、同大学第一内科に入局され、その後、神経学教室が新設されると同時に同教室へ移られました。医局長、病棟医長、教育医長を長年勤められ、昭和63年、アメリカのハーネマン大学およびルイジアナ州立大学へ留学。帰国後、特定医療法人佐々木病院(内科部長)を経て、平成5年に神津内科クリニックを開業された。神津院長の活動は多岐にわたり、その動向は常に注目されている。
2004年10月号 -第111回日本医師会臨時代議員会(そのⅠ)- backnumberへ
  8月29日に午前9時半より、文京区本駒込の日本医師会館大講堂にて、臨時代議員会が行われた。私は東京都医師会推薦の代議員ということで、前日の28日6時より「関東甲信越ブロック代議員懇談会」(飯田橋のホテルメトロポリタンエドモンド)にも出席した。このブロック会議は、東京都医師会と関東甲信越各県医師会との懇親を深め、日本医師会に対する発言権を強めようという意図があるのかもしれない。確かに、普段お付き合いのない先生方と食事をしながらお話しを伺うと、一昔前の医師会のいろいろな状況が分かり、大変勉強になるのだ。

さて、翌日の日曜日は朝の9時半からの会議に出席するために、9時に日本医師会の5階会議室に都医推薦の代議員が集合することになった。ということは、世田谷を8時に出なければならず、必然的にいつもと同じ7時起床となった。毎日の診療で疲れた身体にはなかなかつらいものがある。集合は必ずしもその時間というわけでもないのだが、都医代議員会の議長でもある先生が、日医代議員会の「議事運営委員会委員」でもあり、9時からその委員会が開かれていて「今回は台風が九州に来ているので、帰りの飛行機の関係もあり、代表質問の順番を事前のものと変更するかもしれません」というアナウンスを我々の集まっている部屋に来られてしていたので、突発的な事故や変更事項が起こった時、代議員間の意見の調整を取りまとめるためには、こうした下準備の時間と部屋とが必要なのであろうと推測している。他のブロックも、それぞれ医師会館の会議室やら小講堂やらに振り分けられて、控え室として使用しているようで、医師会館を日医代議員が占拠しているかの如くである。勿論、昼休みには、ここでお弁当を食べることになる。なだ万のものだが、あまり豪華でない、お椀も付かない、さして美味しくもないものである。日医代議員はさぞ豪華なお弁当を食べているのでは、と邪推して羨ましがっているご人がいるとすれば、大変残念ながらその期待を裏切ったことになりそうだ。

111回の臨時代議員会は、参議院議員に立候補した西島先生が当選したことによって、理事が一人空席になるので、補欠選挙を行うということと、前執行部の作った予算書の内容を一部変更して、植松執行部の特色を出したものを日本医師会員に出来るだけ早く発表したい、ということで開かれたもの。しかし、まず会の冒頭に、沖縄県の代議員からこの臨時代議員会の開催そのものに疑問がある、と質問が出た。「この程度の予算の変更や決算報告なら、会長即決でやれたではないか。8月に今回行われたことで、10月の代議員会がなくなるということになると、各地区医師会の民意が反映できない。通常は10月に日医の代議員会が行われることを目標として、各地区医師会の代議員会がその前に開かれる。下位上達が組織の基本と信じているので、これでは会員の意見を反映できないではないか。」というのがその主張だ。至極もっともな意見ではあるが、早く自分達の考えを会員に伝えたいというのも、これまたもっともなことだ。これに対して、植松会長からは縷縷説明があり、結局、「今後はこのようなことが起こらないようにして欲しい」という沖縄の代議員からの要望を受け取ることになった。日本医師会の代議員会というのが、日本全国津々浦々、すべての医師会員の様々な思いがここに結集されている場であることが良く分かった気がした。

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